好きな人の言葉は、よく聞こえますか。
補聴器って、あるのは知っていたけれど。

みんなで
コミュニケーションのこと
話してみました


ここまでの4回の連載で
「聞くコミュニケーション」について
「ほぼ日」なりにできることを探ってきました。

編集部のなかでも、
みなさんのメールを読ませてもらいながら、
「人とコミュニケーションするって、
 そもそもいったいどういうことだろうか」と
みんなでワキワキ、話題になっているんですよ!

表現力というか、受け取る力というか
みんな、当たり前のように持ってると思ってるけど、
それが本当に活かしきれてるのかな?

そんなことを、
ほぼ日スタッフのこんなメンバーで
膝つきあわせて、話してみました。

:シェフ
:スガノヤ
:モギ
:ROCK
:リカ
:通天閣

みなさんはどう思われるでしょうか?






あたしは主婦なんですけども
近所の奥さんとかと話したいんですけどね、
話が通じないんですよ。


どんなふうに通じないんですか?


話題が合わないの?


例えば、お給料がどうとか、すぐダンナの話になる。
そういう話も、私はハートトゥハートで
聞こうと思ってるんですけど・・・。


もしかしたら、その奥さんたちの話の中に
「私」がないから通じないのかもね。
全部「私」じゃなくて「ダンナ」の話なんだよね。
「私」対「私」だったら会話が成立するのに
「ダンナ」対「ダンナ」みたいなことになってる。


まわりのトーンに合わせようとして
「宅の主人は」って言ってみたりするんですけど
突然、大宝律令の話をしても、ひかれるんですよー。


「大宝律令」はひくわ。(笑)


あと、友達にこんな子が多くってって言っても、
「へーそうなんだー」で終わり。
アンテナが違うんですかねえ。


僕は、アンテナどこでも出してますね。
自分のことばっかりしゃべってるから。
すぐ友達になれる。

言葉が通じなくても、
相手がオーストラリア人っていうだけで
「オーストラリア! オーストラリア!」って
ずっと言う、とかやってるなあ。


何なの? そのコミュニケーションのテクニックは。


それ、自分だけが
「友達」と思ってるだけかもしれへんで。(笑)


いや、みんな笑ってるもん。


愛想笑いかもしれへんで。(笑)


ROCKは初対面のときから、
自分のことをしゃべってるんだけど、
人の話を聞かない風には見えなかったよね。



そうそう。


僕はこうなんだけど、どうなんです?
ってわりと引き出してくれたりする。


相手に話題をふります。「どうすか?」って言って。


自分のことをしゃべってるのに、
相手のことも聞いてるんだね。


それは相手に興味があるから?


ROCKは初対面のときには特に
高いところからものを言うことはしないよね。
「おかしいでしょ?」ってわざわざ言ってないけど
自分のキャラの設定のポイントが低い。
だからつっこみやすかったりする。


こっちも話しやすいね。


それに、ROCKは話題になる材料を持ってるよね。
デブ時代の写真だったり。(笑)
ネタを持ってる。


自分のことを伝えるときに、
まず相手のことを聞いておかないと
伝えられない
っていうのはある。
相手がどんなテンションで、どんな人なのか
知っておきたいですよね。
そう思うのは転校経験があるからだと思うんだけど。

「(偉そうに)転校生がやってきました」
って行ったら、皆ひくじゃないですか。
「(下手に出て)転校生です〜」って行くと
受けがよかったりする。

そうやって
聞くことによって自分を表現していく
んです。
相手のことを聞いて初めて、
「僕もこうですわ」っていうのを見せられる。
そう思うと、聞くことが一番大事ですね。


絵に書くと、こういうことかなあ。



相手のほうに扉を押そうとすると、
なんか「邪魔してるもの」があって開かないの。
だけど自分の側には絶対に開くんだよ。


なるほど〜。


相手の側の扉のむこうに何かがあるかどうかは、
わかんない。
こっちからむこう側に扉を押そうとすると
開かなかったりするんだけど、
手前に引いて風通しをよくしておくと
けっこう行き来ができたりする。

手前にドアを開くと、たいてい相手は入ってくるしね。
自分をむこうに届けたいときには、まず手前に開く。
「開いてるから、入ってきていいけど、どう?」
っていう風にする。
コミュニケーションがうまくいかないときは
けっこう自分で閉めてることが多いんだ。
これは思うなあ、よく。


手前に開いても、無理に相手を入れようとすると
うまくいかないしね。


むこうがケガしたりするね。
うまくいってないときのコミュニケーションって
無理をしたり、させたりしてる。


仕事でもそうなりますね。


わたしはすごくコミュニケーションが苦手なので
しゃべり倒したりして墓穴をほるタイプなんです。

しゃべることに対して反応が鈍い人と話そうとするとき
「もしかしたら人見知りかもしれない」
っていうことに想像力が働かなくって。
嫌われてるのかも、と思ってしまう。


閉じられてるって思い込むことも
自分を閉じてることなんだよね。



うん。


思い込みっていうのは
コミュニケーションを阻害するものなんですね。





日ごろ、みなさんの学校、会社、
好きな人、初対面の人との
コミュニケーションって、どんな風なんでしょうか?
コミュニケーションがとれなくてもどかしいと
思われたエピソードはありますか?

ぜひ教えてくださいね!

読者のかたからの声です。


今回は、
コミュニケーションについて考えてくださったメールを
主にご紹介していきますね。


●ハートがあれば。


友人の挙式に出席するため
ワイキキに行ってきました。
「ハワイは日本語が通じるから大丈夫」とはいえ
語学は不安。ひとりで買い物するときは、
日本語と英語半々で悪戦苦闘しました。

最初はすごく不安だったんですけれども、やがて
「自分が話さなきゃいけない!と思うと自然に通じる」
ことがわかってきました。

あとで気がついたのですが
私が一生懸命していたことは、ただ
「相手の目を見て話していたこと」と、
「なんとかわかってもらおう
 短いセンテンスを自分がわかる構文で
 つなげまくってたこと」
でした。

ハートがあれば伝わるのでしょうか?

これは、いつも日本語で話しているときに
当たり前すぎて流してしまっていたことです。



●私の気持ちは、伝わってる?

「私の言葉が耳に入っている」
というだけで、伝えられたな、と
感じてしまうことが多いです。
でもそれは、私がずっと
音のある世界に生きているからなのでしょうか。
言語というより、音としてだけでも、
「相手が聞いている」というだけで安心していた
だけだったかも。

そもそもが一方的に「聞かせて」満足していたのかな。
伝えられたと思っていたのは幻想だったのかもしれない。
伝わってるかな?という不安、
どう伝えられる?という疑問・悩みは、
聞こえない方と接するまで、私にとって
今まで意識しなかったことでした。



語学を学ぶ動機は、
「資格を取りたい」ということ
だけではありませんよね。
その国の人と、
自分とは違う価値観をもつであろう人たちと、
「話がしてみたい、ふれあってみたい」
という気持ちを単純に携えていることも多いです。

しかし、言葉を操るだけでは、
何かを伝えることはできないのかもしれない。
いただいたメールを読んで、そう考えるようになりました。
コミュニケーションって
「伝えたい」キモチと
「わかりたい」キモチ、

両方が重なったときに
はじめて生まれるものなのかもしれない・・・。

通天閣あかりも先日中国にいってまいりましたが
意外に英語が通じなくて困りました。
タクシーに乗っても、簡単な単語が通じない。
でも、通じない相手に向かって
「Go streight!」
といったって、しようがないんですよね。
そんなときは「まっすぐ行ってください」と
日本語でいいから意志を示す。
その「キモチの矢印の大きさ」が
コミュニケーションではモノをいうのだ、
ということがわかりました。


●心の難聴

「心が難聴」の人っているじゃん?
伝えようとする気持ちは大事だけど
相手に聞こうとする気がなければ
コミュニケーションはうまくいかないよね。
僕は高校2年なんだけど、
僕達の間ではそのことが問題になってる。
他人の言うことを聴けない「心の難聴」の人につける
補聴器ってないの?
      


言葉を話したり認識したりしていても、
心を閉ざしてしまっていることがあるかもしれません。
家族、恋人、会社、学校、友人など、
いろんな関係性のなかで
人が複数いるところには
コミュニケーションが生まれてきますよね。

ときには
「ああ、伝わらないなぁ」
と力尽きることもありますが、
「人ってそういうもんだよ」
「自分の想像できないことは想像できないし
 理解を求めようと思わないこと」
という声も聞いたりします。

「じつはちゃんと伝わっていない
 一方的コミュニケーション」が
あたりまえになってきてる?
これは、ちょっと悲しいかも、なのです。
耳に届く、届ける言葉
もっともっと大切にしたいです。

みなさんは、どうお考えでしょうか。
ぜひ、aid@1101.comまでご意見をお寄せください。
(質問なども引き続き、受け付けています)
レッツコミュニケーション。
お待ちしていまーす!

2002-07-05-FRI

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