8歳ではじめてサーカスに出会い、
16歳のときに演劇グループをつくり、
これを生活の糧にしたいと思いながらも、
父親に言われるがままに勉強して
建築事務所に勤めることになったジル・サンクロワ。

適度に長く、適度にかいつまんだ、
シルク・ドゥ・ソレイユのはじまりの物語。
その続きをどうぞお読みください。


『ジル・サンクロワの適度に長い物語 その1』


その建築事務所で、私は2年間働きました。
父親に言われたとおり、真面目にやりました。
しかし、2年経ったあと、私は自分のなかに、
もっとやりたいことがあることに気づきました。

1970年代に入り、私は少々、ヒッピー的でした。
世間的にいえば、
ドロップアウトしつつあったのかもしれません。

私は、劇場の歴史や、インドのダンス、
バリの人形劇、即興劇などを勉強しました。
といっても、深く研究するわけでもなく、
だいたいのところがわかったら
また別のことを勉強する、というくり返しでした。

そして、1975年のことです。
アメリカに住んでいる友人が、
「ストリートプレイヤー」の存在を
私に教えてくれたのです。

それは、文字通り、ストリートで公演する人たちで、
アクロバットや人形劇を取り入れたりもしていました。
その代表的な集団が
ブレッド・アンド・パペット・シアターという人たちで、
彼らの本拠地はバーモント州にありました。
8月の満月のころにはフェスティバルが開かれました。

私は、バーモント州へ行き、
彼らのパフォーマンスに触れました。
そして、幸運にも、
彼らの中心的人物に会って話すことができたのです。

私は、彼に言いました。
「私の夢は、あなたがやっているようなことです」と。
彼は、私に何かできることがあるかと訊きました。
私は、「竹馬ができる」と彼に伝えました。

実際、私は、実家の農家を手伝うとき、
竹馬に乗ってリンゴの実をとることをやっていました。
木から木へ、リンゴをとりながら移動するということを
とくに練習するでもなく、やっていたんです。

それを聞いた彼は、
自分のショーで竹馬に乗りなさいと言ってくれました。
それは、大きな人形劇と、竹馬で構成されたショーでした。

竹馬には、コスチュームがついていました。
まず、オレンジと黄色の長いフリンジ。
そして、大きなマスク。
──たいへん興味深いことですが、
このときのマスクが、太陽(ソレイユ)だったんです。

私のパフォーマンスはたいへんシンプルなものでした。
コスチュームをまとい、竹馬に乗って、
通路をぐるっと回って元の場所に戻る。
それだけです。それが、私の最初の経験でした。

私は、最初のパフォーマンスを終えて、
コスチュームをとったときに思いました。
「これが私の本当にやりたいことだ」と。


(続きます)





シルク・ドゥ・ソレイユの国際本部には
「ストリート」がある


カナダ、ケベック州のストリートから
発祥したシルク・ドゥ・ソレイユは、
自分たちの出身地である「ストリート」に
たいへん強い思い入れを持っています。
たとえば、写真の、長い通路。
シルク・ドゥ・ソレイユ本社にあるのですが、
この通路には「ストリート」と名づけられているのです。
また、社内のあちこちには、
いわゆる「大道芸人」の写真や絵が
たくさん飾られています。


ラスベガスで大成功を収めようとも、
自分たちの出身地はストリートであることを
忘れないようにしよう。
そんな、静かだけれども強い決意のようなものを
そこここから感じ取ることができました。


(永田) 

2008-04-07-MON

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