モントリオールにある
シルク・ドゥ・ソレイユの本社を訪れたのは
今年の1月下旬のことで、
当然のようにあたりは一面の雪景色でした。

出発前に東京で慌てて購入した
物々しいブーツから雪を落とし、
ガラスの扉をくぐるとそこは活気に満ちていました。

思った以上に若い従業員たち。
どこからどう見てもアスリート、
という集団がいるかと思えば、
おじさんやおばさんの姿も目立ちます。
どの顔も、きらきらと、楽しそう。

まるでそこは雪に閉ざされた大学の寮のようで、
とても世界的企業の本社とは思えませんでした。

──シルク・ドゥ・ソレイユ。
世界一のサーカス集団。
約3800名の従業員を抱え、
世界中で15のショーを運営する
きわめて特殊な企業。

「シルク・ドゥ・ソレイユを取材しませんか?」
そんな依頼があったのは去年の年末のことです。
「アレグリア」や「ドラリオン」といった、
シルク・ドゥ・ソレイユが運営するショーを観て、
すっかり心を奪われていた私たちは、
もちろん、大喜びで、それを引き受けました。

「オー」や「ミステール」「ラブ」といった、
日本では観られない
ラスベガスの常設ショーを取材できるのも
たいへん貴重でうれしいことでしたが、
取材旅行のいちばんのクライマックスは
この日の取材にありました。

シルク・ドゥ・ソレイユの創始者のひとり、
ジル・サンクロワへのインタビューです。

1984年の創立以来、
ほとんどあらゆるショーを成功させ、
世界的な企業に成長したシルク・ドゥ・ソレイユ。
元オリンピック選手など、約1000人の
アーティストたちと契約するシルク・ドゥ・ソレイユ。
ケベック州のストリートから発祥し、
いまやラスベガスで5つのショーを
同時開催するシルク・ドゥ・ソレイユ。

この不思議な集団は、
どんなふうにしてできたのだろう。
創始者のジル・サンクロワは
どんなふうに説明するのだろう?

シルク・ドゥ・ソレイユで働く人たちは若く、
みな、フレンドリーで、いきいきとしています。
にもかかわらず、通された会議室には
わずかに緊張感が漂っていました。

やはり、創設者、ジル・サンクロワは、
特別なのでしょう。

ほとんど時間どおりに、
ジル・サンクロワが入ってきました。
公演のパンフレットで見た写真のとおりの顔でしたが、
実際の彼の表情は写真よりもずっと陽気で、
張り詰めていた会議室の空気も
一瞬で和らいでいきます。

彼は品のいいシャツを着ていましたが、
右手に、どちらかといえば茶目っ気のある
カラフルなブレスレットをしていました。
その不釣り合いが、妙におもしろく感じられました。

糸井重里は立ち上がり、
ジル・サンクロワと笑顔で握手をしました。
そして糸井重里はあえて日本語で
「はじめまして」と言いました。
きちんとした通訳さんもいるんだし、
自分が英語を話せないんだということを
最初から表現しておいたほうがいいと思うんだ、と
糸井重里はしばしば言っていました。

ジル・サンクロワは席につき、
控えていた女性スタッフに対して
「何か、飲み物を用意してもらえませんか?」と
おだやかにリクエストしました。

取材が、はじまります。

(続きます)






すべてのショーはここでつくられる。


シルク・ドゥ・ソレイユ(Cirque du Soleil)は
フランス語で「太陽のサーカス」という意味です。
シルク・ドゥ・ソレイユは2008年4月現在、
世界で15のショーを運営しています。
彼らのショーは、大きくいって
ふたつの種類に分けることができます。
ひとつはビックトップという移動式テントで
世界各地を回る「ツアーショー」。
もうひとつは、その土地でしか観られないシアター形式の
「常設ショー(レジデントショー)」です。
過去に日本で開催された「サルティンバンコ」
「アレグリア」「キダム」「ドラリオン」といったショーは
「ツアーショー」に分類されます。
それらのショーはすべて、私たちが今回取材に訪れた
シルク・ドゥ・ソレイユの国際本部でつくられています。
この、シルク・ドゥ・ソレイユ国際本部、
たいへんユニークで興味深い施設でしたので、
ここでその一端をレポートさせていただきますね。
どうぞ、お楽しみに! 


(永田&スガノ)

2008-04-03-THU

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