海馬。
頭は、もっといい感じで使える。

第7回 脳に関する質問に、おこたえします




(海馬の研究者・池谷裕二さん)


明日22日から、『海馬』の単行本の
ほぼ日での先行発売をいたします。お楽しみに!!

こちら「海馬。」のコーナー宛てに
たくさんのメールをいただき、ありがとうございます。
いただいたメールは、すべて、
脳の研究者の池谷裕二さんに転送しておりまーす!

質問や疑問を投げかけるメールが目立ったので、
今回からの数回は、池谷さんに直接疑問をたずねて、
答えていただくことにしました。
Q&A形式でお届けしますので、楽しんでくださいね。
「A」が、池谷さんによる談話です。






 ほぼ日に脳のお話がでていたので、
 たいへん興味を持ってしまいました。
 いつだったか、新聞の記事に、
 「脳は出来高評価ではなく、過程にこそ意味を持つ。
  脳はコンピュータとは違う。
  だから、出来高評価の世の中では
  脳にストレスがたまってしまう」のだとか。
 脳を健やかに育てるには、どうしたらいいのでしょう?
 子育ての最中なので、教育方針にも疑問がいっぱいです。
 (匿名希望)




 「子育て」について、ですね。
 子どもっていうのは、将来の可能性に満ちています。
 いろいろなポテンシャルを秘めている。
 だけども、能力としては、まだゼロに等しいという存在。

 「人間が成長する」ということは何かと言えば、
 ひとつの見方をすると、
 「何にでもなれる可能性を削って
  ある選択した能力を伸ばしてゆく過程」
 というようにも見えるんです。
 世の中にあるすべての職業には就けないわけだし、
 世の中のすべての言語を話せるわけでもないですから。

 ある特定の環境に置かれて、
 「日本語をしゃべろう」と脳が決めたら、
 言語として日本語に特化していく、これは
 成長のプロセスとして当然のことでもあると思うんです。

 そういうことを前提にして考えますと、
 子どもを育てる時には……
 漢字を若い頃に教えちゃうとか、
 計算を教えちゃうとか、
 幼稚園なのに微分積分をできちゃうとか、
 そういう能力を高めるということは、
 実はそのぶん、可能性を狭めている危機にも
 とても近いところにいく
のではないかと思います。
 そのことさえ忘れなければ、どんなふうに教育されても、
 いいんじゃないかなぁ、と考えております。

 ひとつの能力に固執するあまりに
 ほかの能力を伸ばすポテンシャルを削ることには、
 割と興味があります。
 「ポテンシャル」って、実際には、年を取ってからも
 持ちつづけなければいけないものだと、
 ぼくとしては、考えているんです。
 ぼくはいま三一歳だけど、まだ
 ポテンシャルが残っていると思っているわけで……
 だからこそ、生きていくことができるんです。

 ポテンシャルや可能性がなくなってしまった人に
 これ以上生きろと言っても酷なところがあって、
 生きる活力ってなんだろうという問題になると思います。

 余分なものごとに目を向けなくなるのは、
 ある方向から見ると、成長だと言えます。
 しかし同時に、余分なほうに向かう可能性も削っている。
 科学をやっているせいか、
 そういうことに考えが向きます。
 (池谷裕二)







 今日「海馬」を読んでみて「そうそう!」と思いました。
 私は今、外資系コンサルティング会社の
 サポートスタッフをしています。
 わりと優秀な人たちが仕事をしている様子を見ていて、
 「頭の使い方って、どうしてこんなに
  人によって、違うんだろうか?」
 と、常日頃から思っていました。
 学歴やMBA取得とは関係なく、
 何かコツのようなものがありそうというか、
 「訓練してよくなった感じ」がするのです。

 つまり元々の素質はベースとしてあるだろうけれど、
 ある種の訓練のようなものによって、
 それを伸ばしているというか、後天的に
 頭の使い方を学んでいったような風に見えるのです。
 そういうわけで、『海馬』のコーナーに書かれていた
 「身体を鍛えるように、頭の訓練をしたい」
 とは、いつもぼんやりと思っていました。
 だから、本当に膝頭を叩きたくなったんです。
 長々書きましたが、単にこれからの連載が楽しみです、
 ということを言いたかった訳です。

 本当に楽しみにしています。
 ちなみにプロローグ・その2を見て、仕事中なのに
 右目を抑えてPCの画面に近づいたり遠のいたりして
 実験に参加してしまいました。無気味な光景ですね。
 (hiro)




 この方の質問は、
 『海馬』という本の主題ですよね。
 ここで話されているテーマは、この本のあちこちに
 ちりばめられていることだと思います。

 ぼくは、イトイさんが『海馬』の対談の中で
 「クリエイティブというものは、伝授できるものだ」
 とおっしゃっていたことがとても印象に残っています。
 このメールの人も、「訓練」と捉えていますが、
 まさに、脳の使用法は「訓練次第」なんですよね。

 自転車の乗りかたとおなじで、
 経験の記憶を重ねていくことに関しては、
 頭の中で考えるだけでは、いつまで経っても
 自転車が乗れるようには、ならないじゃないですか。
 実際にやってみて「訓練」をする。
 そういう頭の鍛え方は、あると思うんです。

 一輪車に乗るためには、
 まずは自転車に乗れなきゃならない。
 自転車の前には、補助輪のついた状態も経験して、と、
 そういったステップアップがあるわけで、
 一足飛びではない訓練を重ねる必要がありますから。

 この方のメールへの感想は、
 「はい、そのとおりです!」という感じですね。
 <後天的に頭の使い方を学べる>というくだりなんか、
 ほんとうにそうですし、しかもポジティブな考え方が
 とてもいいなぁと思って読んでいました。

 「あいつには、かなわないよなぁ」
 という考えこそが、他のどんな要素よりも先に
 自分と相手とのあいだに壁を作ってしまい、
 その壁を壊せなくなる原因になるのではないでしょうか。
 それがないところが、このメールの人の
 ほんとうにすばらしいところだと思います。

 壁はなくて、使いつづけていると、
 脳はいつか急に能力を開花させる……
 その爆発は、そんなに遅くはないんだよ、
 というのが、『海馬』の中での
 みなさんへのメッセージでもあると思います。

 脳で起こる反応は、直線グラフではあらわしきれず、
 べき乗(ある数の何乗)といった形で起こります。
 脳があるものとあるものとを組みあわせながら
 発展していく能力のすごさを考えますと、
 あるものごとをやりつづけることのすごさが、
 ほんとうによくわかります。
 だからこそ、いま現在、自分よりもすごい人に対して、
 ことさら「かなわない!」と思い過ぎる必要がない。

 対談していておもしろかったのが、
 脳の発展していくグラフを見ている中で、
 イトイさんが、
 「あともうちょっとであのスゴイ技能に達する、
  と、明らかに初級の段階で言ったヤツがいたとしたら、
  まわりからはきっとバカ扱いされるでしょうね。
  しかし、池谷さんの話を聞いていると、
  むしろそのバカの予想こそが、脳の可能性を
  もっとも的確に言い表わしていることになるんだなぁ。
  バカだと人には思われるかもしれないけれど、
  変に自分の能力を過小評価せずに、将来の
  飛躍的な成長を夢見ることって、大事ですね

 というようにおっしゃっていたことなんです。
 楽天的なほうが脳がのびるというのは、
 ほんとうに「そのとおりだ」と思うのです。
 (池谷裕二)






(※脳に関わる質問におこたえするシリーズは、
  明日につづきます。次回も、おたのしみに!!)

2002-05-21-TUE

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