BOXING
私をリングサイドに連れてって。

WBA・WBC・IBF 世界ヘビー級王座統一戦
「イベンダー・ホリフィールド 対 レノックス・ルイス」


11月14日(日)AM11:00〜
WOWOWで独占生中継


ついにヘビー級王座が統一される瞬間がやってきます。
最後の三団体統一チャンピオンはリディック・ボウです。
1992年11月にホリフィールドに判定勝ちした時点から
すでに7年の歳月が流れました。

今年3月13日にニューヨーク伝統のMSGで行なわれた
第一戦はルイス有利の見方に反してドロー。
今回いよいよ雌雄を決する時がやってきました。
この大一番を前に両選手のこれまでを振り返ってみます。


イベンダー“The Real Deal”ホリフィールド
1962年10月19日米国生まれ、37歳


彼の経歴は一言で言って凄いです。
8歳で母親に連れられていったボーイズクラブで
ボクシンググローブをはめました。
当初は殴られるのがいやで、渋ったそうですが、
コーチの説得のもとボクシングチームに入りました。

アマチュアで頭角をあらわし、
多くのエリートボクサー同様、1984年のロス五輪に出場。
見事銅メダルを獲得。

その後プロ入りしました。
ここからがさらに凄いのです。
順調に勝利を重ねたホリフィールドは1986年7月に
WBA世界クルーザー級王座獲得に成功します。
(クルーザーはヘビーより一階級下で
 190Lbs=80.18kgがリミットの階級です)。
1987年3月には
IBF世界クルーザー級王座との統一にも成功。
そして1988年4月にはついに
WBA・WBC・IBF世界クルーザー級王座統一に成功。

もはやクルーザー級には敵無しとなった彼の目標は
究極の階級、ヘビー級への挑戦でした。
単純に一階級あげるといっても、
スピードやパワー、スタミナなど
さまざまな要素を変えなければいけません。
彼はそのために徹底的にマシンを使用した
近代トレーニングで、究極の肉体を作り上げました。

そして東京でタイソンを破る世紀の番狂わせを演じた
マイケル・ダグラスを破り、念願の統一ヘビー級王者
となりました(WBA・WBC・IBF)。
今から9年前の1990年10月のことです。

そのホリフィールドの前を塞いだのが
リディック・ボウです。
現在のヘビー級選手の大型化の象徴ともいえる巨体と
際限ないパワーに、ホリフィールドは五輪以来の、
プロでは初の敗戦を喫します。

彼の“The Real Deal”=“本物”というニックネームは
ここから真骨頂を迎えます。

1993年11月、雪辱を期したボウとの再戦に見事判定勝ち。
2度目のヘビー級王者(WBA・IBF)に返り咲きます。
しかし楽勝と考えられた、マイケル・モーラー相手に
精彩を欠きまさかの判定負け。
その後心臓疾患が見つかり、一度は引退宣言もしました。
しかしその1年後「神」から訓示を受け、見事復帰。
心臓にも異常は認められませんでした。
名勝負となったリディック・ボウとの第三戦目に
TKOで敗れ、年齢的なこともあり、
これで終わりという噂もありました。

そして彼に最後のチャンスが巡ってきました。
それは因縁でもあり、一度は決定したものの
怪我やトラブルなどで、幻ともいわれ、
誰もが望んだマイク・タイソンとの一戦です。

復帰を果たしたタイソンは、
すでにブルーノを破りWBA王座を手中にし、
ヘビー級統一へ向かっていました。
予想では圧倒的不利だったホリフィールドは
タイソンの弱点を研究し、見事11RでTKO勝ちを収めます。
1996年11月でした。
3回目のヘビー級王座を獲得します(WBA)。

この勝利がホリフィールドの今の評価を定着させました。
翌年タイソンとの再戦では、
身長差を利用した作戦でタイソンをいらだだせ、
結果、失格勝ちで世間を驚かせました。
1997年11月には、一度は引導を渡されたモーラーを
圧倒的な強さで返り討ちにし、
WBA・IBF統一王者となりました。

ホリフィールドの魅力は精神力です。
節制されたフィジカル管理から、
相手を考え徹底的な戦術を立て、
そして逃げずに立ち向かう姿勢が
これまでの勝利で証明されています。

彼が得た勝利の数々は
アメリカが理想とする姿そのものです。
さまざまな困難、挫折を乗り越え、
トップの座を手中にしているその姿です。
1996年アトランタ五輪で
最終聖火ランナーを務めたことからも
そのことが想像できます。

そのホリフィールドも今年で37歳。
人間の限界がどこにあるか? 最高の舞台で
“Real Deal”をどういう形で見せてくれるのか?
統一王座をかけ再びタイソンと戦うのか?
楽しみにしたいと思います。


"Pride of Briten" レノックス・ルイス
1965年9月2日英国生まれ、34歳


彼は優れたキャリアを持ちながら、
これまでの評価は低いものでした。
ホリフィールドから遅れること4年。
1988年ソウル五輪S.ヘビー級で見事金メダルを獲得。
翌年プロデビューし、英国を中心に順調に勝ち続けました。

彼の評価も前出のリディック・ボウに
影響されたものでした。
3団体統一チャンピオンも、このボウの行動から
結局7年間生まれなかった、といってもいいでしょう。

1992年、ボウはホリフィールドを破り
統一世界王者になりました。
しかしWBCの指名試合を不服とするボウ陣営は
WBCベルトをゴミ箱へ捨て、
返上するという行動にでたのです。

WBCは即座に、実力は折り紙つきながら
世界戦に恵まれず、第一線でチャンスを待っていた
ルイスをチャンピオンと認定しました。
ここでついたあだ名が「ペーパーチャンピオン」です。
ボウがごみ箱に捨てたタイトルを
決定戦も行なわずに手にしたと
ライバル達から揶揄される状態が続きました。
そして1994年9月に
無名のオリバー・マッコールの挑戦を受け、
なんと2R、TKOで敗れるという
波乱の主役を演じてしまいました。

その後復帰し、マッコールに雪辱し
タイトルを再度手中にしました。
ルイスの魅力はなんといっても必殺の右パンチです。
それに頼るあまり左が出ず、
リズムが無い試合が多いのも事実です。
ただし、右はヘビー級随一でしょう。

ルイスにとっては
アメリカの象徴であるホリフィールドを破り
世界に打って出るビックチャンスであり、
3月の決着をつける時でもあります。

果たしてルイスの右が唸るのか、
ホリフィールドがRealを証明するのか、
これまた楽しみです。

WOWOWスポーツ部
小田真幹

1999-11-08-MON

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