BOXING
私をリングサイドに連れてって。

マイク・タイソン復帰戦
「マイク・タイソン対オーリン・ノリス」


10月24日(日)AM11:00〜
WOWOW独占衛星生中継
米国ネバダ州ラスベガス、MGMグランド・ガーデン




マイク・タイソン(その1)

現在、世界で一番有名なボクサーでしょう。
というよりも「有名」という意味では、
スポーツの域をとっくに飛び越えていますが・・・。

なぜ彼がそんなに有名なのか?
なぜ知っているんだっけ・・・?
そういえばみんな知ってるわ!
なんで? を振り返ってみましょう。
ちょっと長いかもしれませんがお付き合い下さい。

1966年6月30日、NY、ブルックリン生まれ、33歳。

やんちゃというかワルの少年時代に
地域に奉仕していたボビー・スチュワートに
その才能の高さを認められ、後の師となる
カス・ダマトに紹介され、
彼のもとでトレーニングを積みました。

ダマトは彼の全ての面倒を見ました。
トレーナーとしてはもちろん、
養父にもなり、恵まれたといいえる境遇ではなかった
タイソンの人間としての成長も大切にしました。
後のタイソンの成功はダマトなしでは考えられません。
それほど公私ともに厳しく、
二人三脚でしっかりとあゆんでいたのです。

タイソンはダマトのもと、
アマチュアで24勝3敗の好成績を挙げ、
1984年のロス五輪代表を目指すまでになりました。
しかし、同五輪ヘビー級で金メダルを獲得した
ヘンリー・ティルマンに予選で
論議を呼んだ程微妙な判定で敗れました。
タイソン初の挫折といっても良いでしょう。

これを機に1985年にプロデビュー。
アマで達成できなかった頂点の座を目指します。
デビューから27連勝(なんと25KOです)、
1986年、タイソン20歳にして
WBC世界ヘビー級タイトルに挑戦します。
チャンピオンはトレバー・バービック。
この試合も嵐のラッシュで2Rで決着をつけ
史上最年少世界ヘビー級チャンピオンになりました。

この時点でタイソンの目的は一つ。
ヘビー級王座統一です。
1987年3月、WBA・WBC世界ヘビー級王座統一戦で、
ジェームス“バスター”ダグラスを破り、
8月には三団体統一を賭けてトニー・タッカーと対戦。
見事統一世界ヘビー級チャンピオンになりました。

絶好調のタイソンは、
ホームズ、スピンクス、ブルーノという
当時のトップ選手たちの挑戦を続々と退け、
タイソン時代はいつまでも続くと考えられました。
しかし、カス・ダマトからドンキングにプロモートを
かえたあたりから、彼は徐々に自分を見失いはじめました。
それは強すぎるが故の孤独、慢心、というのでしょうか。
私生活でもトラブルが目立ち始めました。
敵は自分自身にあったのです。

(つづく)

WOWOWスポーツ部
小田真幹

1999-10-19-TUE

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