大丈夫な理科系の対談。

第11回 賢い人って、何したいんだろうね。

(註:この対談は2000年7月に収録)

内田 日本の田舎に育って、家が代々庄屋の家系で、
親が村(ムラ)を作って、その中で
周りの人をまとめて、家業や村を
発展させていくのをみて、育ってしまった。

そういうこともあってか、
第五世代プロジェクトではうちのボスは、
おまえは研究よりマネージメントやれと
暗黙のうちにマネージャにされてしまったという
ことのようです。

第五世代コンピュータというボスの発想は
コンピュータに知識を持たせ、
三段論法のような推論をやらせて
人間に近い機能を実現させようという
時代の常識を超えたものだったわけです。

その理論の枠組みはしっかり出来てたけど
その発想をその時代のテクノロジーを使って
どう実現するかは、
まさにゼロからの出発だったんです。

でも、その発想の斬新さに惹かれて
ヨーロッパやアメリカから、そして日本国内からも
何十人という人がいろいろなアイディアを持って
集まってきてくれた。

だからこういう人をうまくまとめて
1つのコンピュータを作るための村を
作る必要があって、それをやらされたんだということが
後になってから分かりました。

でも、1つのテーマに没頭する研究は楽しいけど
マネージメントなんて個性と個性のぶつかり合いの
調整みたいな事の繰り返しです。
忍耐の連続で、やってる時は楽しくなかったですね。
糸井 それはもうすでに才能があったんですね、きっと。
内田 そういう人との数多い出会いの中に
7つくらい年下の東大でドクターを取ったばかりの人
ここではドラえもんくんと呼んでおきますけど
(福嶋註:似てるんです!
 四次元ポケットも彼の脳にあるらしい…)
ずば抜けてできるヤツがいた。
外国から来た天才的な若者も含めて
ICOTに集まってきた若者たちの平均年齢は
29歳くらいで、私は35歳だったから、
私は何かを教えたり指図したりしたんだけど
このドラえもんくんにだけは
こういうこをした記憶がないんですよ。
ドラえもんくんも、マネージメントの才能もあった。
彼の家業はホテルで、確か従業員も150人位
いたと思う。早くにお父さんを亡くしたことも
あって、自然とマネージメントのセンスが
ついちゃったんだと思う。
糸井 それは、幸福感というものを喪失せねばならなかった
という不幸を背負ってたわけですね(笑)。
内田 ううう、まあ、ううう。
糸井 敢えて言えばね。
内田 そりゃ、人から言わせれば、持たないものの苦労と
持つ苦労で、おまえのやってるのは
いい方なんだから少しくらい苦労したって、
って言ったってやっぱり大変なんですよね。
糸井 そりゃ言われ方違いますよね。
内田 私の作ったICOTの中のムラは、
私の担当がハードウエアだったから、日本的。
ドラえもんくんは、ソフトウエア担当だったから
もっと近代的というか、
合理性のある村だったと感じました。
ほかの人の協力もあったけど
私とドラえもんくんが村作りをやったと思います。
世界中から人を集めての村作りですね。

でも、今、ドラえもんくんは大変みたいで。
彼のホテルの近くにべつのホテルができたとかで
彼のところが影響受けちゃって
さらに最近、日本景気悪いから大変、
と言ってました。
たたまなきゃいけないとか
苦労してるようでしたけどね。
糸井 たたまないやり方ってないのかなって、
僕らはおもしろがりますけどね。
内田 彼の才能をもってすればやりようは
あるでしょう。
ドラえもんは、便利な道具をいれてる
秘密のポケットを持ってますから。
それにまあ、他人事ですからね。
糸井 他人事だからねー。
内田 第5世代プロジェクトのときも
技術的問題で、よい解決策が無くて
ピンチの時は何度もあって
彼は、それを切り抜けてきたんだから。
例のポケットのアイディア出して。

どうも話聞くと、まだ余裕はある感じ。
福嶋 すごい方っていうのは、よく頭の中、
わかんないんですけど、
そのドラえもんさんって方は、
一緒にあまりお仕事したことないんですけどね。
とにかくメールで質問しますよね。
それがどんなことであれ、
メールを送った5秒後ぐらいに、
すばらしい答えが、だーーっと届くんです。
だから、考えてることと、
話すことと手の動きが同時に起こってて、
それが寸分の狂いもない、
完全な回答となってるような、
そこら辺で私は、賢いと思ってしまうんですけど。
内田 すぐ答が出てくるときはそうなんです。
でも、さらさらと答がでてくるところは
どう出しているのかなあ、なんて思いながら
見てるとおもしろい。

でも出ない時や、都合の悪いときは
音沙汰無し、これもおもしろい。
年は若いけど、対等かそれ以上の
パートナーとしてみてるから、
冷ややかに見物できるわけで
そういう関係があるのもおもしろいですね。
糸井 賢い人って、何したいんだろうね。
そのドラえもんさんなり。
福嶋 ねぇーー?
内田 何したいんだろうね、あいつね。
糸井 誉められるより愛されたいって
いうんじゃないのかね。
福嶋 プレゼンテーションが異常に上手な方です。
糸井 しかも? はぁーー。
福嶋 ほんとにどこから見ても
非の打ち所の無い才能って感じかな。
内田 いや、彼のプレゼンテーションというか、説明は
考えようによっては、労力をミニマムにしようと
してるとも思えるわけで、ちょっとずるい感じ(笑)。
私が余計な説明をくどくどやり過ぎると言われる
逆の形かもしれないけど。
福嶋 最小限の力で最大限の効果を出す方法を
天分として持っている。
内田 私がOHP10枚作るところを、
彼は5枚しか作らない。
私が20行書くときに……
福嶋 3行ぐらいで終わってますよね。
言葉をポンポンポンと並べ、
適格な図を示し。
内田 ちょっと悪い言い方をすると
ここまでの説明で分からない人は、
分からなくてよいと見切ってる感じがするんですね。
それは、彼の住む世界がソフトウエアの世界だから
かもしれないですね。
ソフトの世界は、やはり概念の世界だから
分からない人にはいくら説明しても
分からないということが多いですよね。

私なんかは、ハードの世界だと、
その人の能力レベルに合った仕事って必ずあって、
だから、なるべく多くの人を
惹きつけた方がいいから、
できる限りのサービスをしちゃう…。
糸井 そこに色気がない?
内田 いや、色気を出して、できない人を集めても
邪魔になるだけだという考え方でしょう。
ソフトの世界ってそういうところだから。
糸井 趣味じゃないんじゃない?
そのドラえもんさんって人に一人でも多くの人に
分かるようにしろって言ったら、
ストレスなわけでしょ?
福嶋 表面的にはすべての人がわかるような言葉を
しゃべっているんですけれども、
聞いててその中味を理解している人が
何パーセントいるんだろうというぐらいの
高度な話をやさしい言葉で話してくれるんですよ。
ところが話のレベルが高すぎてわからない。
内田 その辺は、ドラえもんくんとは
時々話すことありますけど、
彼としては、私がいうような人を見切ってる
つもりは無くて、最大限親切な説明をしてる
というんですね。考えてみると、
私のボスにもそういうところがある。

彼の人生の周囲にいた人が
やっぱりみんなインテリジェントな人で
自然と意識しないうちにそういうやり方が
身についちゃったという感じ。
糸井 そういう人ばかりに囲まれたんでしょうね。
福嶋 嫌う人もいないんじゃないですか?
内田 ボスの例でいうと、
その講演を聞いている人の半分は大感激。
残りの半分は、全く意味不明だったということが
よくあるわけで、意味不明の方に入っちゃった人は、
親しくなろうにも近づけなくなっちゃう。
特にボスだったりすれば嫌われちゃうし…。
糸井 学生とは接してるんですか?
内田 ボスもドラちゃんも、今は
大学の先生です。
糸井 授業は持ってるんですね。
内田 授業の評判もよくて、卒論の学生や大学院生を
十数人抱えてる。
その学生達は、大感激グループだから
見るからに出来る。
もちろん、落ちこぼれグループは、
ボスの研究室なんか来ないでしょうけどね。
糸井 そういうさ、できる人が絶えず、
あるパーセンテージいるってこと自体が
おもしろいですね。どんなに教育水準が下がっても、
いるんですよね。
内田 ICOTは、大手コンピュータメーカから
若い研究者を集めたんですけど
当然そういうことが起ったわけですよね。
私なんかは、さっきの村作りでいうと
落ちこぼれ担当でしたね。
でも、落ちこぼれと言っても
原理や概念の抽象的な話は分からなくても
話が具体化してハードのレベルになったら
設計や実装は得意という人も多いわけで
そういう専門職的な人なわけです。
そういう人の担当というわけですけど。
糸井 ほう、担当なんですか。
内田 プロジェクトの中間位の時点になると
毎年、人の交代があって、新人が来るわけです。
新人達をどの研究グループに配属するかは
本人の意向とか、研究グループの他の人との
相性とかが大事ですから
いくつか候補になるチームを選んで、
見させるわけです。
最初はみんな戦力として取りたいから、
毎日新人達のとこに行って、
こういう研究おもしろいよ、と親切に説明してね。
だからまあ、にこにこしてるわけです。
糸井 うん。
内田 3ヶ月くらい…、ま、1ヶ月か、にこにこしてる。
そのうち新人の中に、
どうもみんな話をいろいろしてくれるんだけど、
わかる話がないんですよ。と言い出すヤツが
出てくるわけですよ。
糸井 ふんふん。
内田 こりゃやばいなーと思ってくるわけです。
糸井 新入生の勧誘みたいですね。
内田 そうそう、それでそのうちね、最近室長含めて、
話し掛けに来る人がいなくなって
きたんですよね、っていう話になるわけ。
福嶋 内田さんに相談に来るわけですね。
内田 その頃、私の家族は筑波の研究学園都市に
住んでて、ICOTへは、単身赴任だったんですね。
ICOTは、2LDKを借りてくれて、一緒に筑波の
電総研から来た人と住んでたわけ。
そのうち他の人は奥さん達も東京へ引っ越してきて
2LDKから出て行って、住人は私一人になっちゃった。
ウチの奥さん、冷たいから…。
糸井 (爆笑)
内田 そうすると、2LDKがガラガラになった。
糸井 (笑いながら)自分だけのものになっちゃった?
内田 そのうちICOTの若い連中がそこへ
転がりこんできた。
彼らの親会社って、川崎とか結構遠くて
彼らの宿舎ってもっと遠い。
独身だから、無理に帰るより、ICOTから歩いて
5分の2LDKへ定住する方がずっと便利
ということになっちゃった。

2LDKですから、一部屋、私いただければ
他はみんな、ゴロ寝で。

夜になると飲みながら
いろいろ話をはじめて、
まあ普通は、みんな若いから、
車の話とか女の子の話とかするんですが、
新人が悩みを打ち明けるということが起るわけです。
糸井 ほう。新入生がね。
内田 昼飯くらい誘ってもらってんだろ、っていうと、
最初はそうだったんだけど、
そのうちね、だんだんひどくなって、
昼飯にも誘われなくなったとかね。
いろんな会議なんかでも
最初は「来い、来い」といわれて出たんですが
どの会議に出ても、よくわかんないんですよね、
っていうわけ。
新入生のほとんどは、どこかの研究グループへ
行っちゃんだけど、そうじゃないのがやはり
少しは出てきちゃう。

そのうち、会議があるっていうのも
教えてもらえなくなっちゃうわけ。
いるだけ邪魔だから。
誰もここんところ、口利いてくれる人が
いなくなりましたって。
どうしたらいいでしょうって。

以前からいる研究者も、みんな
難問を抱えて自分自身が生きていくのが精一杯
の状態だから、特にいじめをしてる訳じゃないん
だけど。
第五世代プロジェクトは、理論の組み立てや
ソフトウエアが先頭を切ってたわけで
その分野にそういう人が、また出やすいんですよね。
糸井 はい。極限ですよね。それはもう。
内田 特に面倒見のよい人に付けてやるとか
するんだけど、新人の方もICOTへ来るまでは、
優秀な誉高かったりするので、プライドも
傷つくし…。
最後は、親会社にもどってもらうとか
したんですよね。
糸井 そうか、そういう場所なんですね。
帰る場所はあるんだけれど…。
内田 会社へ戻れば、ノイマン型の普通のコンピュータ
の世界ですから、また、優秀研究者に戻ることも
可能なわけで…。
糸井 虎の穴なわけだ。
内田 やっぱり。
さっきのドラえもんさんみたいな人は
問題無いけど、そういう人は少なくて
紙一重的なのが多いから、
なんか得意技がないと
糸井 一重下っていうものがあったらもうおしまいなんだ。
一重上じゃないと。
内田 いや、紙一重というのは、ある分野に限って
気違的にできるという意味なんで、
そのレベルを紙一枚超えちゃうと、
ホンモノになっちゃうわけで…。
糸井 そっか。そっか。
内田 一枚下なんですよ。ぎりぎりなんですよ。
糸井 で、それよりちょっとまた下だと、
もうだめなんですね。
内田 ちょっとぐらいだったらいいんですけど、
今の話はかなり下ですよね。
糸井 やっぱりそうですか。
内田 当時、ICOTは私のボスを頂点とする
研究グループがあったわけですが
当然通常の会社のような事務局が
あって、総務や経理部門がありました。
そちらのトップが専務理事で、通産OBの
人なんですけど、その人は、研究のことは
わからないけど、研究者の出来、不出来と
出身校の関係などを分析していて、
ええと東大、要するに旧帝大と、東工大と
早稲田、慶應以外は
大学だと思ってなかったですからね。
私自身、電総研にいた時は、
ほとんど学歴主義はなかったんですけど
ICOTへ来て、そういう人のマネージャを
10年近くやって、すっかり学歴重視になって
しまった。
はみ出しても、やはり基礎的知識はないとね。
糸井 恐いなあー(笑)。
内田 ICOTの中に、日本文化の伝統に
乗っ取った村作りをやったということですけど
メンバーは外人も含んでますから、世界の中へ
日本の村を押し出した感じ。

学歴主義の話をしましたけど
これは一種の競争主義の反映とも言えるわけです。
やはり、有名大学へ入るためには、受験の良し悪し
は別として、努力と忍耐が必要なわけで、
第5世代コンピュータのような、回答の準備の
されていない状況で問題を解かなくちゃいけない
状況では、受験なんて軽々と通り抜けて来た人
の方が、やはり、マネージャとして使ってみると
効率がいいわけですね。

ICOTへは、結構、いろいろな大学の人が
来てました。正規の研究員以外でも
外注のソフトウエアハウスの人とかも来ました
から、多くの私立か地方大学の人とも仕事を
したわけです。

そういう数多くの大学出身者を見た結果、
学歴主義者になってしまったというわけですね。
糸井 そうですか。
内田 電総研では、ICOTより、もっと入るのが
難しかったですから、東大、あと旧帝大と
早稲田と慶應あたりがメインで
それ以外は少なくて、そういう所を出た人の
中でのバラつきをみていたわけです。

だから東大出ても、パッとしない人も多く
見たし…。というわけで、学歴主義では
なかったんですけどね。

でも電総研では、人の能力には色々な面がある
ということを、きつい現実を通して、
勉強させられました。
やはり、新しい発想を展開して、
忍耐強くそれを細かくつめてゆける人が
一番良いわけで、生き残っていくんですが
受身的になってアイデアの出なくなる人が
多いわけです。でも公務員だから、辞めさせられる
ことはない。研究費と人件費は別建てなんですね。
糸井 ふーん、あ、そうなんですか?
内田 今は、公務員は削減が進んで、必要な人まで
いなくなってますが、昔は、受身的な人とか
人をサポートするのがうまい人というのも
いたんですよ。
そういう人は自然と実験道具のセットアップ
とか、後片付けとかやる。
お客が来た時の接待とか。
福嶋 お茶沸かすとか?
内田 お茶沸かすのは、下手なやつが沸かすと、
かえって…。
糸井 困る(笑)。
内田 解答の準備がされていない研究の世界で生きる
わけですから、何かを作り出せないといけないわけで
それができないと、研究費を使わせてもらうとか
人を使うとかやらせてもらえない。
コンピュータ使うのと、本を読むのは
お金がかからないから、それをやる。
だから計算機を使って沢山本を読んで、
ほら、読書は好きだしもともと能力あるわけだから。
生き字引みたいな人間になるんだけども
なんにも作り出せない。
糸井 つまり教頭先生みたいな人が
どんどんできちゃうんですね。
内田 頭はいいんですよ。生き字引だから、
わかんないときに、
こういう問題があるんだけどっていうと
「それはこの本の何ページに書いてある」
ってすぐ出る。研究者として、
何か始めると、当然、解答の準備がされて
いない問題にぶち当たる。そこで
なんか新しいアイデアを出しなさいっていう
命題に対して、まったく無関心っていうのが
できちゃうんですよ。
福嶋 つまり、作れるか作れないかが線ですね。
内田 不思議なことにね。で、受験秀才で来たって、
すごく恐がるんですね。
りっぱな解答以外は作っちゃいけないと思ってる。
だから解答らしいものが出せても
正しいという確信ができるまで
出さなかったりする。
受験の問題なら解答集があるけど
研究ではそうはいかない。
糸井 一度、成功体験があったりすると、
また変わるんでしょうね。
内田 今はだんだんそうで無くなっているけど
研究の評価は、まず論文を書くことで
決まるんですけど。
論文なんてのは10年に1つ書きゃいいんだとか
主張するんですね。
まあ紙くずを増やすよりはいいという人も
いるけど、やはり、まずアウトプットしないと。
で、20年たっても1つも書いてない人とか
でてきちゃう。
大作を作ろうと思うから、
下書きばっかりいっぱいできちゃうのね。
糸井 それはよくほら、ドラマに出てくる
小説家になるはずのホステスのひも、ですよ。
内田 そうですか。
コンピュータ、特にソフトウエアや理論の世界は
抽象的だから、受身的になってしまうケースが
結構でますけど、また別のダイナミックな実験科学
の世界もあって。
そういう世界もまたおもしろいですよ。

電線を超低温にして磁石の中に入れると
電線の抵抗がゼロになるんです。
そこへ電流を抽入してやると
永久にグルグル回っていて、電池のように
電気を貯めておけるんですね。
でも電気の出し入れの時など、急に
この安定状態が崩れて、熱が大量発生する…。
糸井 急激に。
内田 電線のコイルは、デュアービンという
鋼鉄製のビンに入れておくんですけどね。
糸井 はい。
内田 危険なんですけど、爆発の可能性は
避けられないわけです。
それがまた、おもしろいんだよ。
一同 (笑)
内田 要は、垂直に、丸く深い穴を掘って
その底にデュアービンや装置を入れるんですね。
そうすると爆発しても、爆風は垂直に飛び出して
周囲への影響は無いわけです。
糸井 うんうんうん。
内田 回りに破片が散らないんです。
まともに天井、バーンってぶち抜くだけなんですね。
糸井 はー。すごい威力なんですか、やっぱり。
ぶち抜きますか。
内田 そういう実験やる部屋は平屋ですから。
天井もヤワにね。
どうせ爆発するだろうと作ってあるから。
すると穴いくつ開けたかとかね。
そういうことやってる人は楽しそうに見えますね。

研究もいろいろあって。
その人の性格と一致した研究をやってる人は
ハッピーですね。
糸井 ほんとに趣味になってたりして。
内田 もちろん爆発させて喜んでるわけではなく
安定状態をどうしたら、破壊しないか考えて
コイルにする電線を女の子のお下げ髪を
編むみたいに三つ編みにしたり、四つ編みに
したり、電線の材質を変えたり
物と一体になって作業してるんです。
毎日、毎日。
糸井 少しでも退屈じゃなくやるため?
内田 本人はまじめに、でも楽しそうなんだよね。
糸井 そういう人担当だったわけですか?
内田 それは元いた古巣の話で。
糸井 あー、そうか。
内田 第五世代のときはコンピュータだけですから。
それにハードの組立ては、メーカの工場に頼み
ましたから、ICOTでやっていたのは
理論作りとか、ソフトウエアとか、
ハードの設計とか、まあ、頭脳労働がほとんどで
その分、ストレスが貯まりやすい抽象的な
研究テーマが多かったということですね。

でも今、息子達が受験勉強してますが
我々の時代よりさらに型にはまった解答を
丸暗記すればよいような方向に
受験が進んでいるのは、気懸かりですね。
(福嶋註:第5世代の詳細に
ついてはhttp://www.icot.or.jp/をご覧下さいね)


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