大丈夫な理科系の対談。

第5回 インターネットの文化侵略

糸井 僕って記憶力ってないんですよ。
内田 まさか。
糸井 まさか、ないんです。
俺は記憶がないおかげで
今の仕事がやれるんだと思ってるんです。
記憶がなくって思い違いをするっていうのが、
クリエイティブの源泉だと思ってるから。
聞き違いと思い違いで
ほとんど成り立ってるんです。
内田 普通は逆で、怒られるじゃない。
お前は物覚えが悪いとかね。
糸井 怒られますよね。
で、大人になると怒られることがなくなるんで、
やっと言えるようになるんですよ。
内田 だって受験のときなんてね。
糸井 暗記が勝負ですもんね。
公式ごと覚えれば数学だって暗記ものですよ。
内田 そのことが原因で、
日本がダメになってるんですけどね。
糸井 ホントにそうです。
内田さんが仰ったこと全く同じこと
僕も思ってるんです。
人手は一人でも必要だっていうのが
基本的に農業の仕組みですよね。
内田 そうですね。
糸井 で、一人でも必要だって、
逆に証明することはできるんだけど、
その人口爆発しそうな国に避妊を教える、
でも、あるいは、子供を産まなかったら
手当てを出すとかっていう風にしても
無理なんですって。なんでかっていうと、
一人産むごとに稼ぎ手が一人増える。
内田 まあ、そうですよね。
糸井 これがあるうちは、
避妊を教えようが何しようが、
貧しければ貧しいほど子供産むわけですね。
そういう時代が絶対にあったわけで、
その時の何人扶持っていう
考え方と同じなんだけども、
あらゆる人は大事だ、
それは稼ぎ手であるからだっていうのがあって、
それはずーっと続いてて、形を変えて、
今でも残ってるっていうのが、
事実だと思うんですよ。
さっきのフルーツの分配っていうのもそうだし、
で、これが先鋭的に見えるようなジャンルにも
行き渡ってるなと思うんです。
やっぱりインターネットを使おうっていう時に、
じゃあ何に使いましょうかっていったら、
今の人間の数にしかならない使い方なんですね。
テレゴングと同じじゃねえかっていう使い方。
つまり、こう思ってる人は何人いました、
こう考えてる人は何人いました、
上から順番に言うとこうなってます。
これは相変わらず同じなんですよ。
こんなにいるから考えが
いっぱいあるっていう風になるのが
インターネットだと僕は思ってるんですけど、
事実上、今インターネットビジネスを考えてる人も
eコマース(e-commerce)って言ってる人も、
全員が数なんですよ。
母数、母数って言う。
そん中でどれだけ顧客を獲得できるか。
コンペティションって言っても
何人抱えた人が偉いかっていう
コンペティションなんであって、
まだ人間が数量の点のひとつでしか考えられてない。
内田 なるほどね。
糸井 考える点なんだ。
パスカルじゃないけど、
人間は、選挙の時の一票にしか過ぎないけれども、
でも、考える一票なんだっていうことが
本当のインターネットの面白さだっていうふうに
思ってるんです。
で、考えるって何かっていうと、
本当はそうやって分析しきって
いくんでしょうけれど、まず大事になるのが、
点を打つ可能性を得られるか得られないか
っていうところ。
これは信頼なんだと思ってるんですよ。
安全とはまた違う信頼が
ボタンを一回押すだけにしてもあるだろうと。
押させるだけの信頼を作り出すだけの
クリエイティブは必要だろうと。
これが多分、今みたいな草創期の、
僕はまだ草創期だと思ってるんですけれども、
インターネットのキーワードなんじゃないかなと
思ってるんですよ。
多分内田さんが仰ることずっと聞いてると、
そんなことに近いんじゃないかなと
思うんですけどね。
内田 日本は、中国文化にしろ西洋文明にしろ、
衝突させるところまでは衝突させるけれども、
フィルターかけてですね、
これは便利だなっていうものはとったけれども、
そうではないものは受け入れないできた。
そこで最も根源的なところでの
例えば祖先を崇拝するという考え方の中に
仏教をいれたって、ね。
糸井 仏教じゃないです。
内田 仏教じゃないでしょ、そういう意味じゃ。
あの昔から言う言霊思想で、
例えば何かおまじないの言葉で
「ビビデバビデブー」以上に
機能してないですよね。
糸井 はい。
内田 小乗仏教の東南アジアの世界では、
お経の文句は全部意味を分かった上で、
信者は唱えていて
それが生活の規範になり道徳になるといいますよね。
それであなたは泥棒しちゃいけないよとかね、
その類じゃないけれども、
そう分かってるのかと言われたら、日本じゃぁ
分かってないわけでしょ。
糸井 ただの音に聞こえてるわけですよね。
内田 だからそんな風な形に
変形させて入れちゃった。
で、あと権力者が便利なところだけ利用するとか。
ただまあ、日本型のさっき言った、
フルーツの分配っていったって、
ある特定の仲間とか、
グループの中での分配原則なんですけど
そして、だんだんマクロにとらえていって、
日本の、海岸線で囲まれた中に住んでる人は
「一家で皆兄弟」っていうことで、
そういうような形で行動するから、
国際的視野で物を見られなくなる。
例えば中国の人っていうと、
海の向こうの人ですから、
結果をシェアするという対象には
ならないですよね。
糸井 だから、日本を大きな村と考えると
他者がどんなにいいもの持ってきても、
貰ったときだけはニコニコするし、
役に立つものは頂くけれども、
山奥で撲殺しても構わないっていう
ところがあるわけですね。
で、国際国際って言ってるけれども、
どっかのところで外の海を
渡ってきたものっていうのは
殺しても構わない相手として、
今でもいると思うんです。
今は、形を変えてるけど。
内田 そうですね。
糸井 だから、本当に国際っていうことを言うとしたら、
やっぱり現実に大事にするべき人間として
外国からきた人を捉える。
あるいは外国からの文化を尊敬できるっていう
面がなかったら、今までと同じになりますよね。
インターネットというのが、
その窓口抜きで入ってくるものだった、
っていうのが、凄いなあと。
内田 そう、そう。
凄いですよね。
糸井 彼が撲殺しようと思ったらするでしょうが、
どっかで管理している誰かさんがこれは入れる、
これは入れないだとか、
上手くごまかして版権を払わないで
どうしようとかっていうことを考えるのは
全部個々人に任せられた。
これが一番大きいんじゃないかなと
思ったんですよね。
実際は日本語で僕らやってるんで、
こんなこと言い難いんですけどね。
内田 別に言語に乗ること以外でも
情報は伝達されてくるわけですから
いいんですけれども。
朝鮮半島に住んでいる人は
ほとんど日本人とDNAが一緒なんだろうから、
本来ならばかなり思考パターンが
似ていてもいいはずなんですけれども。
陸続きでいろいろな民族と接触したから、
アイデンティティを押し出していかないと
国が生存できなかった。
だから、いろんな形で戦略とかビジョンっていうのを、
しっかり言うわけですよね。
糸井 言いますね。
内田 で、そのような戦略などをもって
例えば他の国と付き合う、と。
だから自分はこういうビジョンと戦略で、
この国を運営するのでおたくと同盟するとか。
それを上手にやれなかったら、
政治的に葬り去られて終わりになる。
韓国の中だって新しく中国に政権が建つと
そこにくっつきたいって奴と
前の政権とくっついてて
逆に敵側になっちゃったって奴とか、
しょっちゅう出ちゃうわけですよね。
糸井 リスクが裏腹に出るわけですよね
内田 そうです。
だから韓国に行くと、
日本で言うところの万葉集とか
古代の書物っていうのは、
それがあると前政権に親しいものと
判定される証拠になって、惨殺されるので、
全部焼くっていうことになってたから、
日記とかそういう類が全く残ってない。
そんな話とか聞くと、なるほどやっぱり、
シビアなんだなと思うわけですよね。
そういう形を通らずに日本は来たから、
相変わらずの村社会が非常に徹底して
仲良く暮し、内側を安定させれば平和に暮せた。
集団の「和」が大事にされて
それが製造した物の品質を向上させるのに役立って、
それがたまたまその時代の要請に合ったがゆえに、
GNP何位だ、というところにいると。
で、近代社会になっても親会社、子会社という
ファミリー構造は保証されて
グループ内取引ばかりで、
一匹狼的独立会社なんてなかったわけでしょ。

そこに今インターネットが入ってきた。
いけいけどんどんで取り入れちゃってるんだけども、
その後どうなるか誰も考えないでやってる。
だからやっぱり今は、糸井さんが言われるように
エレクトリック・コマースで、
銀行さんもインターネット上で
外国人の顧客を獲得できるだろうけど、
アメリカ的発想もそこにあるわけで
日本の顧客もアメリカの銀行を
選ぶこともできることになる。
自動車部品の調達なんかみていると
日本の企業は今変わってますよね、積極的に。
今までの親会社以外でも
売れるところへはどんどん売るという形になり
親子関係は解消という方向で、
組織の解消に向かっていってます。

だんだんそれが徹底していって、
そのうち家庭も、おじいちゃんとか、
親子三代で住んでるなんてこと、
今はないわけだから
バラバラになっていきますよね。
それがさらにバラバラになって、
インターネット上での相手を見つけて、
あるコンセプトだとか思想だとか、
趣味が一致するとかで
地域的に関係ないグループが
どんどんできちゃう。
糸井 血のつながらないおばあさんがいる、
なんてことがありえますよね、これからは。
内田 ネットワークの中で気に入ったので、
じゃあ一緒に住みましょうかと。
おばあちゃんの方は
ガラガラのでっかい家があって、
若い子は住むとこがない。
そういう人が出会ったら、
利害が一致するから一緒に住んでしまうと。
糸井 それで同じ趣味があったりしたら
言う事ないですよね。
内田 政府も機会の均等を重視して、
結果の公平は見ないよとか
アメリカ流を丸呑みして言ってるわけだから、
平気でその聖徳太子以前からの
システムをぶっ壊してるわけです。
ビジョンなしの、ぶっ壊しでしょ。
これはやっぱりね、これまでの歴史上の
外国文化の導入とは違ってると思うわけですよ。
日本海の広さが役に立たなかったわけでしょ、
今回ばかりは。
糸井 逆ですよね。
内田 インターネットのおかげで
お互いに家庭の中まで
手を突っ込めるようになったわけでしょ。
アメリカに占領されたときだって、
日本は、政府は生きていたわけですから、
表層しか手を突っ込ませなかったのが、
今度は根こそぎでしょ。
糸井 そこから来てますよね。
内田 そうするとやっぱりインターネットの上で、
イトイ新聞もそうですけれど、
みんなホームページ作って
何か自分の主張を展開するということを
やらないと、お友達もできないという。
日本人は器用だからまあ
何とかそういう流れに乗ってっちゃうとしてもですね
さてどうなるのかなぁと。
糸井 僕は最近よく言ってるんだけど、
1年みっしり勉強したらなれるようなもので
専門家ぶってるものっていうのが、
民主化すると思うんですね。
素人でもここまでできるよっていうのが
みんなに分かってしまう。
そうすると内田さんが仰ってるような、
昔で言うと賢人みたいなものですよね、
研究者なんていうのは、
みんなにはついて行けない世界でいる人たちが
特別な人たちとして大事にされる。
で、あとは、平均な知識のやり取りだけで、
流通だけで何とかなっちゃうっていう
二層の構造になっていくと思うんです。
で、あとは、政治家が考えるべきなんだけど、
コンペティションが絶えず行われてて、
最低限ここまでしか落ちないよっていうのが
大体日本は分かったと思うんです、
生活レベルにしても。
そうしたら、負けたときに
次の希望が持てるような仕組みっていうのを
どういう風に持てるかなっていうのが
鍵になると思うんです。
負けたら首切られるよっていうけど、
首切りっていうのは言い方からして
大げさであって、生きてるわけですよ、実際。
ホントに首切られてる人はいないわけで。
したら、次のチャンスが何度もあるよっていう
時間軸をちゃんと割り振ることが
できるようになる。
甲子園球児が泣く様子っていうのは、
あれはトーナメント戦だからで、
何度も何度も試合やってて
勝ったり負けたりするのが当たり前だっていう
発想ができるようになったら、
次に勝つためにこの負けをどう使うかとか、
その負けをコストに入れられるような
人生観になると思うんですよね。
そうすると幸福感と人生観が上手に
社会システムができたら編成されなおすと思うんです。
自棄にならなくてすむ。
内田 だからね、それがどちらかっていうと
アメリカンスタンダードに近いんですよ。
糸井 はい。
内田 そういう意味でのレポートを
今書いてましてね、第二の文明開化ね。
第一がどこにあったかわかんないんだけども。
明治維新のときには電話が入ってきたし、
第二次世界大戦の時も占領はされたんだけれども、
あんまりそういう意味じゃ
メンタリティの元になってるところは、
踏み込まれなかったんですが、
インターネットなんかに乗っかって、
ボーダーレスになってったときに、
精神的文化のレベルまでの
文化的侵略っていうのが
起こってきちゃいますね。
糸井 起こるんですよ。絶対に。
で、起こってきたっていう歴史が
無視されてきただけだと思うんですよ。
つまり僕ら中国文化っていうので
ほとんど日本の歴史であったというのを
僕らは忘れてますよね。
内田 ええ。
糸井 実は、独自なものっていうのを
中国文化との混合で都合のいいものとり入れて、
何にも変わらなかったものっていうのも
きっとあるんだと思うんですね。
先ほどから言ってるような悪い面もそうだし、
いい面もあると思う。
変わってくっていうことについて、
何代分も個人が責任を持とうとすること自体が、
ちょっと概念としておかしいんじゃないかと
思ってるんですよ。
つまり、孫子の代までっていうけれども、
そこまで責任を持とうという傲慢、
僕はそう思ってるんです。
だから、捨て鉢にアナ−キーに
言ってるわけではなくって、
先まで考えて言って守るべきっていったら、
過去の三代前まで、
きっちり整理できてないといけないんだけど、
そこはなし崩しだった。
で、今から、近代人として先を考えましょう。
日本文化どう守るのか、と。
今フィックスした日本文化なんて、
分かりゃしないですよね。
内田 ええ、ホントに。
糸井 なのに、そう言ってるっていうのは、
これは単なる知的ゲームに過ぎないんじゃないかな。
どこまで侵食されても、何がいけないの。
女の人って嫁入りするじゃないですか。
苗字は変わる、暮らす場所は変わる、
家風っていようなものまで変わって、
夫の味付けの味噌汁になる。
でどんどん変えられても、
彼女は彼女だっていう強さがあるから、
女性たちっていうのは異文化と交流して
そっちの方に大きく流れてっても
何にも不幸せじゃなかったと思うんです。
だから、女になっちゃうんだと思うんですよ。
内田 日本人がね。

2000-07-30-SUN
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