大丈夫な理科系の対談。

第4回 サイエンスにはコンセプトが大事なんです。

糸井 いやー、最先端って
聞きしに勝る恐ろしい世界ですね。
内田 でもね、それはコンピューターサイエンスに
限らなくて、まあ、経済学なんかだって、
もっとブロード(広範囲)だけど……
糸井 や、本当はそうですよ。
内田 ブロードだけどちゃんと
時々で流れの変化がある。
糸井 ただ、それがデジタルに
断続しないってことですよね。
内田 ああ、まあね。それは言える。
うちの公認会計士が言うんですけどね、
「内田さんの世界大変ですね、
 3年経つと技術が陳腐化するなんて」と。
「内田さん自身はどうやって
 生き抜いているんですか」ってって言うから、
いや、コンピューターっていうのも
表層的にはいろいろ変わるけれども、
その計算の原理とか、
深いとこまで潜っちゃうと、
そんなにコロコロとは変わらないんですよ
っていうんです。海なんかでも、その底を流れる
深海流はゆっくり流れてて
なかなか変わんないわけだけども、
表面では、しょっちゅう変わってるでしょ、って。
糸井 うん、うん。
風が吹けば動くし。
内田 ビジネスに近いとこで働いている
ブルーカラー的な技術屋さんは
表面の技術をしょっちゅう追いかけて、
バタバタやってないと生き抜けないわけで
だから、底で見てると、
その技術に振り回されるわけですけども、
研究者はその深海流のレベルまで
到達して、そこで生きてられる研究者は
結構長生きできるわけですよ。
公認会計士は言ってましたね、
「税務規則なんてね、十年一日のごとくで
 変わんないんだから楽ですよ」
って。
糸井 微調整で済むわけですね、永遠に。
内田

でもそれはね、日本だけの話かもしれないわけで
アメリカの制度なんか見ると、
会計原則なんか、
どんどん変わっていくわけなんですよ。
アメリカと日本のITの研究開発競争なんてのを
比べると仕組みのレベルで
アメリカの研究者が圧倒的有利になっちゃう。
日本の研究者が知恵出す前に、負けちゃう。
日本は形式的にね、立派なルールを作るんですよ。
絶対守らなくてもね。
マージャン時は図書券を賭けますとかね。
ああいう倫理法とかね、
こんな法律どおりにやってたら、
やるべき仕事の能率ガタ落ちじゃないか
というような、非現実的なルールを
平気で作ったりする。

糸井 倫理に関わらせることで
一人ずつの個人に委ねちゃって、
はみ出したらいけないぞっていう形で
法律を作ってるの多いですよね。
内田 だからそれが世の中に
どれだけの効果を生むかという評価、
その結果として国全体とか、
世界の中で日本がどうなるのか
ということよりも、当面のお題目大事でしょ。
やっぱり言霊の国のせいもあるでしょうね。
糸井 何だろ、無意識に流れてる
儒教のようなものだとかを
当てにしてますよね。
内田 そうですよね。
だから、アメリカだと
最近の会計検査なんかだと、
業績結果法とかいう法律を作っちゃうわけ。
国の予算も娯楽と食事とアルコールはダメだけど、
あとは研究目的をうまく達成するためなら
人を雇っても、モノを買っても、旅行してもよいという
自由度を与えちゃう。一方で、日本は、
相見積もりをきちんと取ってるかとか、
外注した仕様書と納入された物件が
ピッタリ一致してるのかとか、
形式的チェックばかりクソまじめにやる。
当初の目的を達したかよりも、
ちゃんと相見積もりをとってるとかね。
飲み食いばっかりに
使っちゃってないだろうね、とかね。
それから例えば、
天下りの餌になってないだろうかとか、
そんなことばっかり見てるわけで、
当初の目的に合ってるの?
とか、そういうことはどうでもよくて。
糸井 そのチャートの優先順位が
スタートラインに行かないようにできてる。
内田 そうなっちゃう。
糸井 細部についてはみんなが評論もするし、
お目付け役をやりますよね、
だけど元々の目的は、
何だっけということについては
一度も話し合ったことがない。
まして、その目的が最早意味があるか
なんていう大きな議論は避ける。
内田 何でもそうなんですけど、
ビジョンなんていうとわかりにくいけど
要は、そもそも何をやりたいのかとか、
それはこういうような環境で、
こうやると日本の国民が
より精神的且つ物理的に
豊かな生活が送れるからだとか、
言い方っていろいろあるでしょう。
それがビジョンなんですよね。
だからそれをまず立てた上でですね、
それをブレイクダウンして、
個々の政策とかが出てくるはずなんです。
法律もそれによって作られるし、
アメリカの法律は
その背景説明もきちんと書いてあるんですよね。
でね、たとえばインターネットの
「インパク(インターネット博覧会)」だけれど……
糸井 その理念とか憲章って言うのは無いですよ、
全く、インパクは。
内田 それはインパクに限らずないんですよ。
糸井 ええ、無いんですよ。
村祭りっていうのが一番のもので、
森の鎮守の村祭りって言ったら
理念はないわけですね。
集まった時に起こる事柄について、
ある程度予測がついて、
どういうイベントをするかとか、
どういう規則がその日だけあるかとか、
そういう形で集めることに近いと思うんですね。
で、これはこれでいけないことばっかりじゃなくて、
仮に科学と宗教というのに
人間の生きるということを二つに分けたとすると、
宗教成分みたいなものっていうのは、
これは理念なしでも接触してたら
起こってしまったことの連続みたいなもので
出来上がることもたくさんある。
僕は自分がやってる仕事は
そっちのジャンルだと思ってるんですよ。
つまり、事業計画があって、
着地地点が決まっていて、
逆算していって今何をやるべきかって考えても、
図りようがないんですね。
特にインターネットの世界って
そういうところがあって、
事業計画を出せ、
売上目標がどうだって言っても、
何かでコロッと事故のように
変わることが絶えずある場合には、
これはもう、そのやり方はとれない。
だから、村の鎮守のお祭りが
どう魅力的なのかっていうのを
準備しながら作っていくっていうやり方なんです。
今僕が考えてるイメージっていうのは、
それでいいと思ってるんですね。
ただ、今回みたいな、何でもそうでしょうけども、
インターネット博覧会みたいなものの場合には、
やっぱりその動機を生み出す力を言葉で持たないと、
難しいだろうなと。
内田 そう思います。
糸井 特に半強制的な要素もあるわけですから、
そこのところについて、
この間、堺屋さんもお話の中で
コンセプトが大事であるって
仰ってるわけだけども、
そのコンセプトが表面に出てこない。
伝えてもいない。
これからやるんですよっていうやり方を
鷹揚に構えてやっている。
もしかすると予定してるかもしれないんで、
そこはまあ、今の段階で突っついたりするつもりは、
全然ないんですけれども。
ちょっと、なぜっていうのが、見えない。
見えるのは明らかなんですけど、
偉い人たちの名前はザーッと入ってるんで、
これだけ集まれば
何かあるっていう動機はあるんです。
つまり、ビジネスやりたい人とか、
あるいは舞台設営をしているメンバーを見たら、
ああ、舞台はでかいぞと。
じゃあ、何だか知らないけど踊ってみようかっていう、
これもまた宗教的なんだけど。
あることはあるんで、
箱組みやっぱり先に作ってるなっていう印象は、
また感じますね。
で、きっと万博のときもそうやってて、
成功事例があったんでしょうね。
内田 そうでしょうね。
あの、ちょっと内田流解釈なんですが、
コンピューターっていうか、科学者っていうか、
科学技術の世界で
何か頑張ろうって思うとね、
さっき言ったモチベーションの強弱は、
コンセプトの良し悪しが勝負なんですよ。
最初に結果ないんだから。
我が国にはそういう意味じゃ
二種類の科学者がいるなと思ったんです。
技術者も同じでしょうけど。
日本はキャッチアップ型で生きてきた国ですから、
東大とか、電総研のような国立研究所などの
最も大きな役割は、
欧米で新しく開発された技術の
輸入窓口だったんですね。
糸井 あ、そうですね。
内田 ええ。だから、その人たちは、
山本七平さんの「隣百姓」の原理と同じで
隣が種蒔きゃ私も蒔いてということだから、
ビジョンもコンセプトもいらないんですよね。
っていうことで生きてきたでしょ。
(※ご近所のOL註: 山本七平=イザヤ・ベンダサン著の
 ご存知『日本人とユダヤ人』の第3章
 「クローノスの牙と首」にこの話があります。
 ぜひお読みくださいませ。
糸井 おそらく文科系の動きもそうですよね。
思想の輸入があって、
さあ、この刺激をどうとらえようっていう。
役に立たないって放っておいて、
実用にしていきますよね。
これはある意味で知恵だっていう事は
確かだと思うんですが。
内田 新しい技術ができたりしたときに、
それを的確に真似できることは
それはそれで立派なことだと
あの本には書いてあるんだけれども、
世界の中で人を惹きつけようと思ったら・・・。
糸井 チャームはないですね。
内田 コンセプトがないもの。
糸井 演説できないですもんね。
内田 その通りですよね。
糸井 政治で言ったら演説できない国になってますよね。
で、そのことは分かってる方は
いろんな言い方で言っていらっしゃるけれども、
堺屋さんの中で僕が一番面白いなあと思ったのは、
観光地としての魅力が
日本には全くなくなったというのを
嘆いているわけですよ。
どこに連れていくんだっていうときに、
秋葉原と京都。
まず秋葉原は終わった場所ですよね。
内田 そうですね。
糸井 京都は、やっと守っているのかどうかみたいな。
だとしたら、チベットに連れてくより
日本は観光地としての魅力はないって言える。
人にとっての魅力っていうのを
考えられなくなってるところで、
そこの地にずっといる人は
どうすりゃいいんだっていう。
そのビジョンのなさっていうのは、
今、内田さんの仰ったのと同じことで。
演説されないで票は入らないですよね。
内田 ええ、そうですね。
糸井 「みんなと同じに仲良くやっていきたいと思います」
っていう演説が絶えずあるわけですよ。
危ないことしないようにします、とか。
これは、もう違うんだっていう事は
みんな分かってるって思いたいんですけど。
分かってはいないですよね。
内田 日本海がドーバー海峡並に狭かったら、
日本はずい分変わった国になっていただろうと。
イギリスはすごく面白い構造になってるんですね。
しょっちゅう異民族が行き来してて、
次々に大陸から新しい勢力がインベイドしてくる。
北のほうからもインベイドしてくる。
すると以前にあのイギリスの小さい島の中の
住みやすいとこにいた民族が征服されたり、
島の端の方に追い込まれるので、
時代とともに民族の分布が地層みたいに
縞模様になっちゃうんですね、

それでね、私の友達が
ポーツマスっていって、
イギリスの南端の左側に
角みたいな半島がありますね、
あそこに追い詰められた
かつてのケルト系の子孫なんです。
そのほかにも、メジャーな民族として
ゲルマンとかノルマンとかがいるんだけれど、
これがイギリスの階層社会を生んでるんです。
後から来て、メジャーなところに居座った奴が
一番偉い、と。
その次の層のところにいるのが次で、ってね。
糸井 人種的に古くなるわけですか。
内田 混じらないんですね。
古くなるんですよ。
糸井 人種的に古くなっちゃったらアウトですね。
逆転はないんですかね。
内田 ないみたいですね。
あ、逆転するのは……。
糸井 ビートルズだ。
内田 同じです。そうです。
お金を得るか大学の先生になるか。
大学で教育を得るっていうのは、階層を打ち破る、
ま、日本もそうですよね、いいとこに嫁に行くか、
一流大学を出るかっていう話だったですから。
それがもっとはっきりしてて面白いなあと、
イギリスについては思いましたね。
糸井 今ちょっと思いついたんですけれど、
その階層構造をポピュラリティというものが
打ち破ったっていうのも……。
内田 今はそれで、そうなんです。
糸井 つまり、ビートルズっていうのは
アメリカっていう市場がなかったら、
きっとイギリスのまんまじゃあ、
ああいう風にはならなかったと思うんですよ。
充分イギリスの中では爆発的人気と言われても、
それは、背後にアメリカ市場を抱えている
イギリスですよね。
内田 イギリスがアメリカを
インベイドしたわけなんですけども、
まあ、リベンジされちゃったわけですよね。
そして、アメリカはイギリスなんかとは
全然違う階級の無い社会を作った。
ともかく共同研究なんかやって、
アメリカの一流の研究者達のグループと
共同研究しようとすると
日本の仕組みではことごとく
上手くいかないんですわ。
糸井 ああー、きついなー。
内田 でね、イギリスとか旧大陸とは
上手くいくんですよ。
だから例えばですね、
アメリカでは政府とか役人に対する
国民の考え方が全然違うんですよ。
アメリカでは納税者っていうのが、
非常に強く意識されます。
国のお金、税金で作ったものは、
アメリカでは、全納税者に
公開することが原則なんですね。
日本では、税金で作った物や研究成果などは、
大蔵省とか特別の官僚やセクターが
ちゃんと管理してやるよとか言いながら
自分で抱えこんじゃう。
アメリカでは、政府に任せるのが国民のためになる
というのは全部欺瞞であって、
それは特定のセクターの
囲い込みにしかならないと思っている。
言ってみれば、旧大陸で社会の末端に追いやられた人が
みんなアメリカに逃げて国創ったわけですから、
政府なんて信用してない。
だから全部公開原則だし、
ある意味じゃ情報公開なんかも、
フェアネスを保つことであるって
いうことになってますから。
糸井 ああ、そうですね。
内田 だからね、何かの開発プロジェクトなんかで
99パーセント、メーカーがお金出してても、
税金が1パーセントでも入っていたら
それは公開しろって
法律に書いてあるんですよ。
第五世代プロジェクトをやってたとき
アメリカのアルゴンヌ国立研究所へ
共同研究の申し込みに行って、
一緒にやろうっていうでしょ、
研究者は合意しますよね。
だから、覚書を交換しましょうって
いうことになるじゃない、
契約社会だから、
やっぱり専門の弁護士さんが出てくるわけ、
ちゃんと。そうすると、
そこで引っかかっちゃうんですよ。
日本では、まず大蔵省が、私がまず取って
公開するかどうかの判断は私がやる!
って言うでしょう。
アメリカでは、役所が出てくる前に、
まず公開せよとなるわけだから。
糸井 その1パーセントで。
内田 共同研究やると、我々研究者はね、
オープンにするのが
ハッピーなわけですよ。
我々は名誉とか評価の方が先に欲しいからね。
ところが、そこに国のお金を使うと、
我が国では大蔵省が国民のみなさんから
頂いた大変な税金を使うんだから、
私がしっかり管理すると。
糸井 「私」が。
内田 だから、「私」がOK出さないものを、
勝手に公開するようなものに、
通産省がOKしようが、
あなたがサインすることはできませんって、
こう言われちゃうわけですよ。
糸井 代理人が大きくなる形ですね。
内田 そうするとね、ソフトウェアなんて、
あなた、メンテしないで3年も置いたら
腐っちゃうんですよ、と。
国民の税金を腐らせちゃうことなんですよ、
と大蔵省に言ってもね、
ルールはルールでございます、と。
腐ろうが腐るまいが
私には感知しない事でござんすって言って、
そもそも論にいかないんですよ。
だって、そもそもは
税金を有効に使おうっていうんでしょ、
あなた、と。
であれば、あなたは自分の権限を放棄して
オープンにするんだから、
誰かがこうやる(懐に手を入れる)
わけじゃないんだからって。
そういうのには思い至らないわけですね。

そりゃやっぱりね、日本が、
日本海が広くてですね、
インベイドされなかったでしょ。
それで民族的にも落ち着いちゃったから、
ともかくあるセクターなり、
そういうところでもって山分けすると、
そういう談合公平体質ですね。
最近の言葉で言うと、
あれにも書きましたけれども、(「ご近所の…」記事)
チャンスの平等よりも果実の、
フルーツの分配の公平さっていうのを
大事にしてきたわけですよね。
日本は、全国民的に見ればずーっと貧しかったから
なにしろ分かち合って、
それでもってお粥をすすっても生きましょうと。
みんな仲良くやるんですよ、
「和をもって尊しと為す」と書いたんですけどね。
糸井 昔の縄文期っていうのは、
もっと海が狭かったじゃないですか。
内田 ええ。
糸井 あれが、その水路として、
川のように利用されてたっていうのが、
最近の研究で言われてるんですね。
ですから、津軽のねぷたっていうのが、
非常に東南アジア系の様式が
非常に多かったりとか。
あそこのスピードの方が
陸路のスピードよりも
ずっと簡単だったわけで。
その時代っていうのは、
きっと日本が今あるような形での
分け前の取り方じゃなくって、
外に開いてるっていう前提がきっとあって、
インベイドもされてたしっていう風に想像すると、
やっぱりその縄文時代に戻るくらいまで、
発想をもう一度転換しないと、
その「和をもって尊しとす」っていうのは、
その縄文自体からの流れを
一旦別のルールに変えたわけだから、
あれより、聖徳太子前に戻らないと、
きっとダメなんでしょうね。
内田 私は今の話はよく知らなかったんですが、
学校で習った受験用の歴史って
そういう意味じゃ面白かったけど、
井沢元彦さんの「逆説の日本史」を読んだおかげで、
もっと面白くなった。
見方を変えると随分違うと思ったんですね。
糸井 言霊論。
内田 だから聖徳太子さんが、
「和をもって尊しとす」って書いたのは、
あれは元々あの時代は中国から
いろんな思想や文化を輸入した時代、
「和をもって尊しと為す」は中国から
輸入されたものの中にはなかったはずだと、
あの方の論理は強引ですからね。
ま、だけど、なかなか興味はある。
聖徳太子の時代以前に
分かち合いの果実公平分配の精神の、
集団主義っていうのが、
完全に定着してたんでしょうね。
だから、コンペティションとか、
個人の主体性が全部消えててね、
だから個人主義的な話が出ない。
「隣百姓」で、周囲との「和」が第一だから
ユニークなビジョンも新しい思想も創造されにくい
環境になってる。

で、さっきの話でね、
インターネットはアメリカ発の思想や文化を
各家庭の中まで運んでくるわけで
実はそこまでをもを変えるテクノロジなんですよ!
ということを言いたくてね、
糸井さんはどう考えるだろうかと
いうわけなんですよ。
従来の技術の導入って言うのはね、
「和をもって貴しと為す」の談合優先で
「果実公平分配」原則の変更までは
強制しなかったでしょ。
電話にしろ電信にしろ、
そういうような一番ね、
日本人のメンタリティの元になってる、
どんなに果実が少なくても
この島に住む日本人全員で、年寄りも若者も
公平に分けましょうという精神文化、
ここへインターネットはアメリカ人の
「個人主義+競争社会」という文化を
土足で畳に上がってくるみたいに
持ち込んでくる。

2000-07-30-SUN
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