坊さん。
57番札所24歳住職7転8起の日々。

第224回 
お彼岸の御参り。


こんにちは。
四国の坊さん、ミッセイです。

今日、
僕はお彼岸の御参りに、
檀家さんの家に行ってきました。

お彼岸、と言っても、
なぜお彼岸に墓参りに行ったり、
お坊さんに拝んでもらうのか、
知らない人も多いと思うのですが、
春分の日(お彼岸の中心になる日)は、
太陽が真西に沈むので、
昔からの
「西方浄土」
(西の彼方に阿弥陀如来の浄土があるという信仰)
の信仰の中では特別な日なんです。

たぶん、
昼と夜の時間が、
ちょうど同じ時間になることにも、
大切な意味があるんでしょうね。

僕は、
年に3回、
地元の人に月と太陽のお札を配るのですが、
この日は決まって、
月の形が、
ちょうどまっぷたつに割れている日なんです。
(上弦の月、下弦の月)

昔の人は、
ちょうど半分みたいな、
バランスの整った状況に、
特別な何かを感じとったんでしょうね。

今日、訪れた、
檀家さんの家は、
家族が亡くなったばかりなので、
住職に祭壇で拝んで欲しいということで、
僕が招かれました。

僕は24歳の時から、
お寺の住職をしていますが、
(今、29歳です。)

お経を読む機会には、
大概どんな時でも、
「お話し」とセットにしています。

それは、
若い住職で、
みんなが不安に思っているだろうなぁ、
と思う事と、

単純に、
お経を読むだけでなくて、
仏教の話をすることが、
とても功徳のあることだと考えられているからです。

5年間住職をしていると、

「今日は伝わったなぁ」

という日もありますし、

「全然、うまく話せなかったなぁ。」

という日もあります。

今日は、
びっくりするぐらい、
伝わった日でした。

お経の前に、
なぜ、お彼岸に御参りをするのか、
というお話しをした後、

お経が終わって、

「沈黙」

についての話をしました。

仏教を始められた、
お釈迦さんは「沈黙」ということを、
とても大切にしたと言われていること。

インドのガンジーさんも、
週に1回、
完全な沈黙日を設けられていたこと。

死者は沈黙したままだけれど、
沈黙しているから、
話すことが出来ることもあると感じること。

普段、
おしゃべりな僕が、
話すので苦笑いの人も何人かいましたが、

来られていた親戚のおばあさんが、

「私は、ここに法事に来ると、
 いつも仏教の話が聴けるので、
 すごい楽しみにしとるんよ。

 なんで彼岸をするのかも、はじめて知った。
 よかった。よかった。」

と褒めてくださり、
照れながらも、
すごく、うれしかったです。

着物を着替えて、
帰ろうとしていると、

ご主人を亡くされた、
奥さんがお茶を持ってきてくださり、

涙を浮かべながら、

「おっさんに、(坊さんのこと)
 心を見透かされていたみたい。

 沈黙のことは、
 胸に大事に大事にしまっておきますね。

 本当にありがとう。」

と声をかけてくださいました。

うまくいかないことも多いですし、
迷惑をかけてしまう日も少なくない、
なかなか情けない坊主の僕ですが、

今日みたいな日は、
心から坊さんになってよかったなぁ、
って思います。

四国は、だんだん暖かくなってきましたよ。
みなさんの住む街もそうでしょうか。


ミッセイ


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2007-04-01-SUN
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