坊さん。
57番札所24歳住職7転8起の日々。

第217回 高野山出張と長浜講習


ほぼにちは。
ミッセイです。

毎年、
この時期になると、
小学生の子供達と坊さん達が一緒に、
寺で遊びながら寝泊まりする、

「わんぱく道場」

が行われるのですが、

去年から、
僕が住む四国57番札所の栄福寺が
集合場所になっています。



ここから、
宿泊場所の四国58番仙遊寺さんまで、
歩き遍路体験しながら、
歩いて向かうのです。

ホントにおチビさんの1年生も、
がんばってテクテク歩いてくれました。



僕が司会を務めた、

「お坊さんと話そう」

では、

「なんで坊主にしてるの?」
「ホトケってなに?」
「合掌ってなんでするの?」
「ユーレイ見たことある?」

という普段、
意外と聞かれることのないような質問に、
みんなで四苦八苦しながら答えました。


先日、
久しぶりに高野山に行って来ました。
ずーっと雨でしたが、
学生時代の4年間を過ごした場所ですので、
やっぱりちょっと懐かしいですね。



お坊さん達の、
研修会があったんですが、
そのテーマが結構、
今の「お寺」が抱えている問題を、
うまく表しているような気がしました。

おもに「お葬式」についてです。

一人目の講師の先生は、
「SOGI」(葬儀!)という
お葬式の雑誌の
編集長の方が、
今、お葬式がどんな形になってきているのか?
それを、どう感じている人が多いのか?

坊さんの、
僕達の耳が痛くなるような話も含めて、

「これから、
 どんな葬儀をすれば納得してもらえるのか?
 お寺や坊さんにどんなことができるのか?」

そんなことを考える講習でした。
考えてみたら、
栄福寺のような巡礼のお寺は割合から考えると、
ごく例外的で、
多くのお寺さんが、
葬儀や法事のお布施を中心にして運営をしています。

自由な、自分らしい
「生き方」「死に方」が、
昔よりは選択可能になりつつある、
時代の中で、
高野山でこういう講習が行われるのは、
おもしろいなぁ、と思いました。

もう1人の講師の方は、
自分自身が自死
(“自殺”の事をこう呼ぶ動きがあるようです。)
家族を持ち、
葬儀場で働いている方で、

自死のお葬式の時に、
こういう事は言わないで欲しい、
こんな言葉に注意して欲しい、
私ならこういうお葬式をして欲しい、
という話がありました。



僕自身は自死の方の葬儀経験がありませんが、
「自殺」をする人の数は、
今、とても多い数になっています。

そういった場面は、
お坊さんにとっても、
すごく大変で、
どうしたらいいか、
わからない場所にもなるので、

家族の方の話を聞き、
どんなサポートグループがあるのか?
どんな言葉がよくない意味で、
心に刺さってしまうのか?

そういった話を聞きました。
これも現代の高野山ならではという印象ですね。

今回の泊まりは、
大きなお堂で雑魚寝です。
昔は結構苦手だったんですが、
最近はなんとも思わなくなってきました。



この高野山での講習の後、
高野山真言宗「心の相談員」
の講習が続いてあったので、
その足で、
琵琶湖近くの長浜市に「合宿研修」に行ってきました。
こんなに長い出張は初めてです。

臨床心理士の指導の元、
実際にカウンセリングを実習してみたり、
心理テストをいくつか受けたり、
グループで雑誌や写真の切り抜きを張り合う、
「コラージュ療法」を実習しました。



坊さんが「コラージュ」を一心不乱でする姿は、
坊さんの僕が見ても、クスッとしてしまいます。

しかし反省会では、

「はまりに、
 はまっているミッセイさんが最初は怖かったです。
 正直、ひいていました。」 

という声が聞こえてきました・・・。

この合宿では、
カウンセリング実習の後、
あえて言葉を用いずに、
カウンセラー役とクライアント役(依頼側)が、
無言で見つめ合って、
カウンセリングを何分も試みるという
実習があったのですが、

いかに、
僕達が普段、
言葉をたよりにして、
コミュニケーションを図っているか
を考えさせられて、おもしろかったです。

みなさんも、
興味があったら家族、パートナーや、
彼氏、彼女と無言で何分間か、
あえて見つめ合ってみてください。
不思議な気分になりましたよ。
(いつもやっている方、失礼致しました!)

帰りに、
臨床心理士の先生から、

「あなたは、なんか、
 今回にかけていたような
 雰囲気があったね。」

と声をかけられました。
それは、どうだか自分では分かりませんが、
最後にお坊さんの講師の方が、

「本当は、
 現代のお坊さんの修行の中でも、
 今回のような、
 相手の心に耳を澄ませる訓練をするべきだと思う。」

という言葉には、
なるほどなぁ、
と考えさせられました。

この長浜の近くには、
多くの芸術家や文人が昔から愛して止まない、
渡岸寺の十一面観音像(国宝)
がいらっしゃいますので、

朝6時の朝食前に、
6人ほどの有志で脱走して、
車を走らせ、拝みに行きました。



すごく端正な顔立ちでしたので、

「僕は、
 室生寺の観音さんのような、
 原始的な雰囲気が好きかなぁ、今は。」

「やっぱ女の人もそう?」

「女の人は端正でも好きですよ!」

「なんでだろう?」

「自分が原始的な顔だから、自己弁護的な・・・、
 違うか!!」

「ハハハハ、なるほど。」

とかっていうアホっぽい話も交えながら、
なかなか楽しい長浜合宿でした。


たまたま今は、
けっこうユニークな講習に参加していますが、
僕は心の底でいつも、

「仏教がシンプルに仏教であるだけで、
 役に立てばいいなぁ。」

となんとなく感じています。


ミッセイ


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2006-08-05-SUN
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