坊さん。
57番札所24歳住職7転8起の日々。

第195回 日経新聞とPコートのお遍路さん

ほぼにちは。

ミッセイです。

ずっと前の話なのですが、
(1年以上も前。)

散髪屋さんの順番待ちの時に、
「日経新聞」を読んでいたら、

古い大きなお寺(京都の東寺だったかな?)
の平安時代の頃を記録した文書が発見されて、

それによると、
そのお寺の“おさいせん収入”は、
結構なサイズの荘園丸ごと一個ぶんぐらいの、
収入であったらしい。

という記事が載っていました。

平安時代のお寺や仏教は、
どちらかというと貴族や為政者のもので、
庶民の生活とはほとんど無関係だった、
というイメージが覆されるかもしれない、

とその記事はたしか結んでいたのですが、
僕は、その事よりも、

「うーん、さすが日経っぽい記事!」

と感心してしまいました。

でも、
その記事の事は、
僕の頭になんとなく残っています。

「祈りとか手を合わせることって、
 たくさんの人が持つ、
 共通の感情なんだよなぁ。」

という感じでね。

でも、
神様や仏様に、
お金を投げること自体、
考えてみると不思議というか、
かなり興味深い話ですよね。

「それで、
 食ってるおまえが言うなよ!」

って、
言われそうですが。

あっ、
もしかして坊さんにくれてるのかな?

「頼むぜー。これで、拝んであげてよー。」

ってね。
いかん、涙が出てきた。(ウソです。)


昨日お遍路さんに聞いたのですが、
四国のどこかのお寺では、
三途の川を渡るための、
“渡し賃”らしい、
三文銭が売ってるらしいのですが、
(おみやげで)

“お金”

って、
僕達にとって、
どんな存在なんだろうね。

結構、
オリジナルな場所にいそうな気がします。

昨日観ていたサッカー、
イラン対日本では、(INテヘラン)
日本人の応援していた人が、

「投げ込まれた硬貨によって負傷」

というニュースも見たけれど、
なんなんだろうねぇ。

おひねり?
ホント、お金って不思議だ。


僕達の世代って、
本気でお金の苦労をしたことのない人が、
すごく多いと思いますし、
(明日の米が買えないとか。)
そのことをとても悪く言う人が多いですが、

逆に言えば、

「お金で買えない物がある。」

ってことを、
身をもって切実に知っている、
世代であるような気もします。

それは、
たぶん、“いいこと”でもあるよね。

僕達のおばあさん達が、
切実に染みこまれた記憶によって、
戦争の哀しみや“いやさ”について、
語ることができるように、

もしかしたら、
僕達が将来、
語ることになるフォークロア(民間伝承)は、

「金がある時にも、
 買えないものがあった。」 

ということかもしれないですね。


そういえば、

「日経新聞」
で思い出しましたが、

僕が、
高野山での100日間の、
集中的な修行期間で、
お経とか次第(しだい、修行のやり方を書いたもの)
以外で唯一、
読んでいたのが日経新聞でした。

たまたま、
僕のいた6畳ぐらいの3人部屋の、
(二段ベットがふたつ置いてある。
 寝るだけなので、
 狭いのはそんなに気にならない。)

押入の底に10年ぐらい前の、
日経新聞が敷いてあったんです。

しかも、
トマトとかみかんの、
値段が高騰したとか、
下落したとか、
そういう記事だったんですが、

人間って不思議なもので、
読む物がないと、
ずーっと、
それを読んでるんですね。

そういうこともあって、
今でも、

「日経」

と聞くと、
胸が少しときめきます。
(大嘘)


春が来て、
栄福寺のある四国にも、
お遍路さんの季節が到来です。

お遍路さんも、
だいぶ花粉症に弱っている方が多く、

カップルのお遍路さんが、
(けっこう多いんですよ、老いも若いも。)
巨大な花粉用サングラスと、
ジャンボサイズのマスクをして、
納経所に入ってきた時は、
寺院強盗かと思いました。


お参りは本当にびっくりするぐらい、
全国からやって来ます。

また、
この前はフランス人の建築を学んでいる人達が、
ワイヤーで作った
形を変形させることの出来るテントを
持ち歩いてお遍路をしていました。

そのテントを各お寺の本堂の形に変形させて、
その中に入る、

という行為というか表現というか、
よくわかりませんが、
とにかくそんなことをしていました。

この人達は、
どうやって遍路のことを知るんでしょうね。


納経所に座っているだけで、
世の中にはいろんな人いるものだなぁ、
と思ってしまうのですが、

一見、普通の人でも、

20歳ぐらいの、
すごく普通の可愛らしい女の子が、
Pコートにジーパンみたいな軽装で、

「東京から来ました。
 ここ何日か歩いてるんですよ。」

みたいなことを言っていたり
することも最近は多いです。

そういう人達と話したり、
拝んでいる姿を眺めていると、

自分がお坊さんとして、
どんなコミュニケーションをしたいのか、

小さなヒントをもらえそうな気がすることがあります。

そして、
なんとなくイメージとして、

平安時代に、
お賽銭を放り込む、
たくさんの人達の姿と重なって見えたりするんです。


ミッセイ

お知らせ。
四国88カ所のお寺が88枚の切手になります。
原画の撮影は「坊さん」の文章の中でも、
何度か登場した三好和義さんです。

栄福寺は11月5日発売の第一集、
20ヶ寺の中に収録されます。
(紅葉が綺麗な秋の風景)

全国の郵便局でも、
通信販売の申し込みが出来るようですよ。

詳しくは、こちらまで。


このページへの激励や感想などは、
メールの表題に「ミッセイさんへ」と書いて、
postman@1101.comに送ってください。

2005-04-10-SUN
BACK
戻る