坊さん。
57番札所24歳住職7転8起の日々。

第152回 花を信じる

ほぼにちは。

ミッセイです。

僕の住んでいる、
栄福寺の山には、
元々そういう場所なのか、
じいちゃんが、
花が好きだったから植えたのか、
ちょっと、
僕には、わからないんですが、
結構、いろんな所に花や実が咲いています。

そしてそれを、
母親が摘んできて、
納経所の前の壺に投げ入れたりします。

野の花は、僕はとても好きで、
買ってくる花より、好きなことが多いです。



「これ、美男かずらって言うのよ。
 美男だけに、あんたには、関係ないねー。」

きーーーーっ!
踏んづけてやる!!


きのう僕は、お葬式に行って来ました。

僕が今まで行ったお葬式の中では、
一番、若い方だったかもしれません。

まだ50代中頃の女性でした。

長寿の方のお葬式に感じるような、

「僕達が生命を持って生きている事への、
 すばらしき、なにか。」

は、やっぱり、このお葬式にも、
しっかりと、存在していて、
僕はそれを感じることができました。

とてもシンプルすぎる
言い方かもしれませんが、

死の悲しみは、
生きていることを、
本当に鮮明に浮かび上がらせます。

そして、

「みんな、なにかが、うれしかったから、かなしいんだな。」

と思いました。

悲しい場面に続いて身を置いていると、
家に帰ってから、
ちょっと体が重くなったりすることも
正直たまにあるんですが、

「かなしみを、かなしみで包むと、
 優しさみたいなものが、
 あることが、あるんじゃないかな?」

と、すっと実感したりもします。

かなしみを、
笑い飛ばすでもなく、
忘れようとするのでもなく、
もう一度、悲しみで覆うことで、
得ることのできる、
しっかりとしたなにかを、
僕は感じることがあるんです。

みなさんには、そういうことって、ないですか?


今日は、法事に行ってきました。

あるおじいさんの17回忌。

僕は会ったことがないんですが、
栄福寺に昔いた犬は、
そのおじいさんから、
もらってきたそうです。

お墓に行った後、
みんなで食事をしました。

その時、
ある南国に住む
外国人の女の人を好きになった
人の話になりました。

その人は、
女の人に、
自分の国を教えてあげようと思って、
桜の写真を日本から持って行ったそうです。

「桜って咲かないんですか?
 その国。」

「うん。桜はさむいのを、
 一回、経験しないと、咲かないのよ。」

「ふーん。お坊さんの話に出てきそうな話ですね。
 今度、使わせてもらいます。」

「はははは。(一同笑い)」

と冗談にしてしまったけれど、

桜の花は、寒さをこえて花を咲かす。

ということに、
実はホントにすこし、ジンとしました。

うん。なんか、そういうものなのかもなぁ。

ただ笑いながら咲く南国の花も、いてほしいけどね。


花は咲かないって、
笑ったり
気取ったりするのは、
本当に簡単だけど、
咲く花を信じる人で僕は、ありたい。


ミッセイ


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2004-01-25-SUN

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