坊さん。
57番札所24歳住職7転8起の日々。

第151回 個人で立ち上がるコミュニケーション。

ほぼにちは。

ミッセイです。

前にも少し触れたんですが、
新しい数珠をおろしました。

僕は、しばらく、
「海唐松」(うみからまつ)
の数珠を使っていたんですが、
「第36回 サンゴの念珠」



個人的にとても「木」が好きで、
その中でも白檀(びゃくだん)
の香りが好きなので、
母親が業者に発注していた、
白檀と緑色の翡翠(ひすい)
の念珠をひとつ、
僕用におろさせてもらったんです。



緑色も最近、とても好きな色です。

通している紐は茶色です。

でも、使っていると、
石の部分は透明の水晶にして、
紐は白ぐらいの方が、
好みだったかなぁ、
と思ったりもしています。

まぁ、とにかく、
木の念珠っていうのも、
やっぱりいいものです。
気持ちがいい。

これからは、
その日の気分で使い分けようと思っています。


最近、
これから坊さんをする上で、
とても力強い視座を持てた。

と感じていて、
みんなとも、
共有できる部分が、
もしかしたら、かなりあるんじゃない?

と思っています。
毎度のことで、
お騒がせしますが、
よろしく、おつきあいください。

とっても、単純な事なんです。

「個人とコミュニケーション」

なんです。

説明っぽく、
すこし長ったらしく書くと、

「個人がしっかりと、
 立ち上がることでしか、
 本当にうれしい、
 コミュニケーションは、
 成立しづらい。
 と思う。

 そして、
 コミュニケーションを
 目標みたいな場所に置くことで、
 個人は排他的な、
 個人主義に走りにくくなる。」

ということです。

発見!

みたいな言い方してごめん。
かなり、一般論だよねぇ。 
  
僕が、「坊さん」という仕事に限らず、

「あー、なんとなく、うまくいったな。」

という場合を思い起こしてみると、
「自分」というものが、
いつもよりも、はっきりと、
自立して立ち上がっていた気がするんです。

そこには結果として、
他人にもうれしい、
強力なコミュニケーションが発生しました。

これまた
僕の個人的な話ですが、

「怒り過ぎないこと。
 怒っても、
 直接的な怒りの感情を、
 出し過ぎないこと。」  

という目標を最近、
立てました。

たぶん、
たくさんの「宗教」も、
「怒り」を表面化して
直接的な行動に移すことを、
よし、とはしていません。
(少なくても仏教はそうです。)

それは、たぶん、
興奮し過ぎた怒りというものは、
「個人による感情の自立」が、
最も崩壊した現場であるから。

という気が、
「個人とコミニュケーション」
について、
じっくり考えていると、するんです。

「ああ、ホント、
 怒るの止めたほうがいいな。」

と思いました。

ただ、「個人」というものは、
本当に不思議な存在だと、
実感としていて、

「個人」が、
「こだわり」みたいなものを離れて、
「うれしい」や「おもしろい」や
「一生懸命」を求めて、感じて、
集中できた時、

置いてきたはずの
「個人」が、
跳ね返りのような状態で、
さらに力強く、
立ち上がってくる事があるんです。

その時、僕は、
石刻家の和泉さんが、
僕に伝えてくれた、

「自分を捨て去る瞬間の大切さ」

を思ったり、
僕にとっては不自由にしか思えなかった、
宮大工さんの師弟制度みたいなものを、
考えたりしました。

あるいは、
糸井さんが京都の広告塾で話された、

「クリエイティブを、
 鍛えることができる、
 場面って、多分あるんです。

 それって、たぶん、
 他人のクリエイティブを、
 思う存分、

“いいよなぁー!”

って味わってる時なんです。」
(ミッセイの記憶です。
 糸井さん、記憶違いだったら、
 すいません!) 

という言葉を思い出しました。
  
とにかく、
いろんな方法で、

「個人を立ち上げる」

という事には、
本当に大切ななにかが、
あるに違いない。

と思っています。

「宗教とコミュニケーション」

と言われると、
宗教の内向的な部分を想像して、
ピンと来ないかもしれませんが、

考えてみると、
内向的というのは、
とてもコミニュケーションに
関する話だと思います。

つまり、自分とのコミニュケーションです。

自分と、どんなコミュニケーションをとるか?

それは、たぶん、
宗教が持っている
大きなテーマであり、

僕達が持っている、
大きなテーマだと思います。

そこから、
他人とのコミュニケーションの話や、
世界や、そのいろんな事象と、
どんなコミュニケーションをとるのか?

という話が、始まるんだと思います。


とにかく、

「個人というものが立ち上がること」

「そこにコミュニケーション発生すること。」

そのことに、
すごいワクワクしました。

実はと言うと、
僕は、今まで、
「ONLY IS NOT LONELY」
っていう言葉が、
うまく想像できませんでした。

結構、安易に

「ひとりぼっちでも、大丈夫。」

みたいな言葉かな?
と思っていました。

でも、今回、
個人とコミュニケーションに対する、
僕なりの“気づき”みたいなものを経験して、

「あ、好きだな、この言葉。
 かっこいいなー。」

と深く、
僕なりにコミュニケーションできたと、
感じています。

それと、
宗教や仏教の勉強や思考、
坊さんとしての僕の動き、

とかいうフィールドは、
僕には少し、広大すぎて、
どこから手を着けていいか?

と多少、途方に暮れていたんですが、
例えば、これから、
「弘法大師全集」を手にする時も、
「高僧列伝」を本屋で立ち読みする時も、
「坊さんの会議」に出席する時にも、

「この人は、この人として、
 “個人”と“コミュニケーション”について、
 どういうスタイルを提示しているだろう。」

という視点を常に頭に持つことを、
注意してチャレンジてみたいと思っています。

それから、
全員とうまくコミュニケーションが、
とれるわけはないんですが、

少なくとも、
最初の段階では諦めず、

「僕なら、この人と、
 こういうコミュニケーションが、とれるよ。」

ということが、
僕という坊さんの
大きなクリエイティブのひとつであり、
個人としての僕の、
大きな喜びではないかと思うんです。

これは、僕だけの話じゃ、
たぶん、ないよね?


ミッセイ


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2004-01-11-SUN

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