坊さん。
57番札所24歳住職7転8起の日々。

第131回 今でもよく思い出す智慧と慈悲の話。

ほぼにちは。

ミッセイです。

季節はずれの夏休みで、
兄が帰省してきたので、
空港まで迎えに行ってきました。

帰り道、
夕方の海岸線を通って帰ったのですが、
自分が住んでいる所の、
美しさに、ちょっと、びっくりしました。



普段は、忘れがちなんですけど、
ホント、きれいだったよ。

頭のよさそうな、
綺麗な目をした雑種のネコに、
体を、さわらせてもらいながら、
瀬戸内海を眺めると、
人生って、なかなか悪くないです。



次の日、家から15分ぐらいの、
鈍川(にぶかわ)温泉の上流の、
鈍川渓谷にも、すずみに行ったんですが、
ここも、よかったなぁ。



地元にも発掘の余地が、まだありそうです。


僕が、まだ、高野山の大学に入学して、
1年もたってないころ、
高野山にチベットの高僧が来られて、
大学で講義されたことがありました。

なんか、しらんけど、
すごい、坊さんらしい。

と、聞きつけた、
僕は、1年生ながら、
その授業に参加してみることにしました。

大学では一番、大きな教室の、
201(だったと思う)教室が、
立ち見が出るぐらいの、
盛況ぶりだったのを、おぼえています。

通訳を通しての長い授業のほとんどを、
僕は、理解することができませんでした。

最後の質疑応答で、
英語が堪能であるらしい教授が、
バシッと妙に長い質問を英語でして、

「プリーズ ジャパニ〜ズ」

と、言われて、
みんなで爆笑しました。

今から、思えば、
母国語でない同士の英語は、
わかりにくいだけの、話なんでしょうが、
あの頃は、何か妙に、笑っていた気がします。

「あー、全然わからんかったけど、
 最後が、おもろかった。
 
 めし、食おう。メシ!」

と、思っていた時、
その高僧は、
静かに口を開きました。

「今日、みなさんと、世間話ができて、
 とても、楽しかったです。

 でも、もしかしたら、
 理解できにくい部分が、
 あったかもしれません。」

あ、この方は、
自分が(僕達にとって)
難しい話をしているのを、
知っていたんだ。

と、思いました。
意外だと思いました。

「しかし、
 わたくしは、
 みなさんと同じ仏教徒として、
 このふたつを、
 とても大事にしています。

 それだけは、今日、知ってほしいと思います。

 それは、智慧(ちえ)と慈悲(じひ)です。

 このふたつは、
 はかりしれなく、大切です。

 簡単に考えましょう。

 智慧
 とは、簡単に考えると、

 “今より、もっと、
  よい生き方があるのでは、ないだろうか?“

 “もっと、いい方法が、あるんじゃないだろうか?”

 という事を、考えることです。

 慈悲
 とは、

 “人を、愛するということ”

 “世界を、愛するということ”

 ということだと、考えます。

 これは、仏教徒にとって、
 本当に、大切なことなんです。」

急に、飛び出した、
やさしく理解できる言葉に、
僕は、「ふ〜ん」と、思うことができました。

でも、
この言葉は、
「ふ〜ん」では、終わらなくて、
僕が坊さんになった今でも、
本当によく、思い出す言葉なんです。

法事なんかに行くと、
おじいさんや、おばあさんに、

「おっさん。
 私らは、仏さんを、
 大事にする心はあるし、
 大切に思ってるけれど、
 人から聞かれたら、
 なんて、言っていいか、わからないよ。

 仏教のこと。」

と、たまに、言われます。

僕にメールをくれる、
ほぼ日の読者の一部の人達も、
仏教というものが、
自分の体の中にあるのを、
何となく感じながらも、
人に説明するのは、
とても難しい、
と感じられているようです。

宗教というものは、
基本的に、とても、個人的なものなので、
人に説明する必要は、ないともいえますし、
とても、ひとことで、
あらわすことは、できないと考えるのが、
まっとうな考え方だと思います。

でも、
僕は、そう聞かれた時、

「大学時代の思い出」

と、断って、
さっきの話をしたりする時があります。

僕は、
仏教徒として、
“智慧”を求めて、
 もっと、いい方法を探そうと思います。

そして、自分の中の、
“慈悲”を探して、
いろんなものを、
愛することができるかもしれない。
(受け入れるとか、讃美するとか、
 変わろうとする心を含めて、
 ここでは愛と呼びたいと思います。)
 
と、考えています。

うまくいってないことは、
本当に多いし、
落ち込んだりすることもあるけれど、

仏教徒としての、
僕の基本的スタンスは、
いまだに、これなんです。

そして、
この智慧と慈悲の話を、
人に伝えるたびに、
(年齢層をこえて、
 わりに、すっと入ってくる話のようです。)

仏教という考え方に、
つよい、予感とか、
誇りに似た感情を持つことができます。

そして、“職業”を越えて、
大切なものが、
そこにあるという、
確信みたいなものを、
時々、感じることがあるんですよ。


ミッセイ


このページへの激励や感想などは、
メールの表題に「ミッセイさんへ」と書いて、
postman@1101.comに送ってください。

2003-09-26-FRI

BACK
戻る