坊さん。
57番札所24歳住職7転8起の日々。

第129回 短大にて

ほぼにちは。

ミッセイです。

地元の短大の方から、
電話がかかってきて、
「地域文化論」
の、公開講座で、

「1時間半、話してくれませんか?」

と、言われました。

この短大は、「歩き遍路」を、
単位制にしているという、
変わった短大で、
(仏教系の大学ではないと思いますが。)

その“講義編”として、
教室で講義してほしい、という依頼でした。

さすがに1時間半は、難しいし、
(しかも、地元のケーブルテレビで放送される。)
“札所の住職”というだけでの、
依頼であるならば、
もっと適任のお坊さんが、おられると思う。

と、最初は、お断りしたんですが、

直接の担当教授の方とお話しすると、

「新聞で、
 ほぼ日のミッセイさんを、知ったんです。

 学生と近い年齢のお坊さんに、
 仏教に話を限定せずに、
 なんでもいいから、
 話してあげて欲しいって思ったんです。」

とのことだったので、
自信はほとんどなかったんですが、
僕なりに考えて、
話しに行くことにしました。

わりに、のせられやすいんです。

しっかし、やっぱり、
1時間半という時間を思い浮かべると、
講義までの日々は、
かなりナーバスになりました。

1つの大きなテーマとして、

「どうやって、時間をうめるのか。」

というのがありました。もちろん。

これには、

「質問タイムを30分にする。」

という作戦をたてました。

1時間が経過したところで、
休憩をとって、
質問シートを配布して、
ほとんど強制的に、
“質問”を、発生させます。

残りの20分は、
回収した質問に対する、
「答えの時間」にすると。

そして、1時間の講義部分は、
ひとつ、ひとつの内容を1文で書いた、
レジメを作って、
生徒さんに配布して、
僕も、それだけを見ながら、
頭で考えて話す。

という方法をとりました。

結果的には、
なんとか、うまくいった(と思う)
んですが、

予想に反して、
時間が、足らなかったです。
(この時点で、うまくいってないとも、言えますね。)

まぁ、逆よりいいんですが。
逆だと、恐いなぁ。

「ほぼ日」で、話したことも、
たくさん話したんですが、
それ以外の部分もあったので、
ほんの少し、
思い出しながら、話してみます。

再び、レジメを見ながら、
頭で話すので、
完全な再録では、ぜんぜん、ないです。



ピースサインではなくて、“ふたつ”と言っています。

(弘法大師の著作からの言葉を紹介する流れで。)
「えーっと、
 最後に紹介する弘法大師(空海)の言葉は、
『性霊集』(しょうりょうしゅう)という、
 空海が残した、詩文や碑文なんかを、
 集めて編集した書物があるんですが、
 そこから紹介します。

 “弟子空海、性熏(しょうくん)我を勧めて、
  源に還るを思いと為す。
  径路(けいろ)未だ、知らず。
  岐(ちまた)に臨んで、幾たびか泣く“

  (『性霊集』巻第七
  「四恩のおん為に二部の大曼荼羅を造る願文」より)

 という、言葉です。
 わけわかんない、ですか?

 とても有名な部分で、
 たびたび引用される部分なんです。

 簡単に言うと、

 “私は、なんとか自分を励まして、
  仏の境地に達したいと、願ってるんだ。

  でも、その道は、まだ、わからないし、
  分かれ道に出会った時は、
  どうしたらいいかわからなくて、
  何度も、泣いたんだ。“

 という感じの意味になります。
 みなさんは、こういう事ってないですか?

 ありますよね、たぶん。

 いろんなことが、わからないです。
 わかんないことは、
 あんまり、つらいとは思いませんが、
 つらいことは、なぜだか、よく、あります。

 そんな時、時々、僕は、
 この言葉を思い出すことが、あるんです。

 あんなに、すんごい、境地まで達していたであろう、
 お大師さんだって、泣いておられたんだなー。
 
 自分が、涙を流してしまうぐらい、
 つらいことがあるのは、
 当たり前すぎるぐらい、あたりまえだなぁ、って。

 とても、勇気が溢れた言葉だと思います。

 ある研究者が、

 “たぶん、比喩的な意味ではなくて、
  空海は、実際に涙を流して、
  泣いていたのではないでしょうか?“
 
 という意味のことを言われていましたが、
 それを、聞いて、僕も、

 そうかもなぁ。

 と、思いました。

 “岐(ちまた)に臨んで、幾たびか泣く”

 なんか、好きな言葉です。」


「この話を頂いた時に、担当の先生に、

 “生徒さんは、どんな話が聞きたいですかねぇ?”

 と御相談しました。
 そこで、

 “お寺参りすること自体が、
  初めての人が多いので、
  お寺でのマナーのような、
  話をしてくだされば、ありがたいです。“

 というテーマを頂いたんですが、
 (この質問は、時々、ほぼ日読者からも、寄せられます。)

 基本的には、“お寺だから”といって、
 構えることはないと思います。
 
 普通の社会のルールと、
 あまり変わらないと思うんです。

 あいさつをしたりとか、
 迷惑をかけないように、とか、ですね。

 自由にお参りしていただきたい。
 と、考えています。

 ただ、
 ただ、なんですが、
 四国遍路という場所は、
 本当に繊細な、祈りや思いを持って、
 お参り、巡礼されている方が、
 すごく多い場所です。

 不治の病を抱えてる人。

 愛する人を亡くした方。

 お孫さんを亡くした、
 おばあちゃんが、
 その菩提のために、
 そのお骨を持って、お参りされている、
 お遍路さんに、
 僕は、会ったことがあります。

 そういう方達と、
 みなさんは、
 同じ場所に立つんです。

 同じ場所に、いるんだ。

 という意識だけは、
 どうか、
 持って欲しいと思います。

 また、そういう場所を、
 預かっていることに対して、
 僕も家族もプライドを持っています。

 自由だから、なんでもしていい。

 ではなくて、
 いろんな想像をして欲しいと思います。

 それが、住職として、
 僕からのお願いの、ほとんど全部です。」

 
 この後の、質問タイムでは、
 
「肉は、食べますか?」
(食べます、個人的には魚の方が好きですが。)

とか、

「お墓は、いりますか?」

「断食しますか?」

「阿弥陀如来の効力は?」

「坊さんになって、いちばん、
 うれしかったことは?」

等、たくさんの質問が出されて、
楽しかったです。

全体的に、時々、笑い声の聞こえる、
ほがらかな雰囲気だったのが、
うれしかったです。

授業の後で、おばさまの生徒さんに、

「旦那と同じ、お墓に入りたくないんですが。」

と、唐突に聞かれましたが、
そこまでは、ちょっと、僕にも、
えーっと、わかんないです。

わからないですよねぇ。

ミッセイ



告知させてください。
 9月14日(日)まで、松山の隣の重信町は、
 「牛渕ミュージアム」で行われている、
 グループ展、「力展(りきてん)3rd」で、
 僕は写真展をしています。
 (10時〜18時開館)

 興味がある方は、ぜひ観に来てくださいね。

 入り口にいるであろう、(たぶん)
 猫がいい味だしてます。



 


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2003-09-14-SUN

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