坊さん。
57番札所24歳住職7転8起の日々。

第103回 僕達のフィールド。

ほぼにちは。

ミッセイです。

さっき、
今日は自分の中で、
個人的な目標に対して、
ささやかながら、
“チャレンジ”をした日だったので、

「失敗してもいいんだろうな。
 負けてもいいんだろうな。
 本気ならな。」

と、しみじみ考えていました。

スポーツドラマみたいな話ですが。

でも、

「じゃあ、結局、どうしたいんだろう?オレ。」

と、思いました。

「“成功”したいの?」

「“勝ち”たいの?」

と、なんとなく自分に聞きました。

“失敗”

“負け”

という言葉だけで、
想像してみると、

この、言葉になった。

そして、

「僕が、本当に求めているものは、
 違うフィールドの話を、
 多分に含んでいるな。」

と思いました。

人間の性格が、
いくつかのバランスで、
保たれているとして、

僕は、たぶん、
バランスが、
均衡なタイプでは、ないと思う。

もちろん“保たれて”は、いるんだけど。

それは、

右手より左手が少し、
長い人だとか、

人より少し、
おっぱいが、
大きい。(小さい。)

とかと同じレベルの話なのですが、

本人としては、
少し気になってしまいます。

「動物」の(やや)不在も、

「人間」の(やや)過剰も。

えーっと、時々、入れ替わります。

まぁ、何事にも
アンバランスはつきもので、
仕方がないと思います。

そして、それでも、やっぱり、

「失敗したり、負けたり、」

することって、
それ自体が目的化してしまうと、
お話にならないんだと、
思うけど、

“いいこと”を含んだ話だと思う。

成功したい時も、
勝ちたい時も、
(また、それが必要だと思うことも)
やっぱりあるし、
その痛みから学べるものは、
本当に大きい。

一番問題なのは、
そういう場面で、

「確かに、僕は“負けた”けど、
 オレが、求めてるのは、
 そういう世界じゃないもんね。」

と、開き直ることだと思います。

でも、その確かにある
“違和感”でもって、
僕(達、こういう人って少なくないと思うから)
が、語れる話も少なくないと思う。

それは、自分以外の、
“他”の人に対して、

「もしかして、
 あなたが、ホントのところ、
 探しているのは、
 僕と似た、
 フィールドの話を含みませんか?」

という、問いかけをすることじゃないかな。

それが、
僕の“役割”めいたもの、の
ひとつかもしれない。

ん、“役割”?

“わけまえ”っていうか、
“ごほうび”っていうか、

その間にある、なにか。

と考えています。
というか、今、思いました。

僕も、1年と何ヶ月という
本当に少しだけど、
“企業”に属していたので、

「勝ち」「負け」

「成功」「失敗」

で生活している人が、
多いのを理解しているつもりです。

書店の雑誌部門を担当して、
“前年同月比”
がマイナス18パーセント
ぐらいの数字を出した時は、

「コラッ!」

と怒られました。
(悲しかった。)

逆に文学書で、
プラス20パーセントを、
叩き出したことがあって、
その時は、

「白川さん、最高っ!」

と、言われました。
(うれしかった。)

そういう世界は、
確かにありますし、
ほとんどかもしれない。

「坊さんだから、ミッセイさんは、
 “勝ち負けじゃない。”
 なんて、
 言えるんだよ。」

そうかもしれない。
(そうは言ってないけど、
 そう聞こえたかもしれない。)

でもね、“同じ人”の中で、
同時に、
“違うフィールド”を、
求めていることだってあるし、
実現できる可能性だって、
あると思うんです。

人生の物語のジャンルは、
一個じゃないって思います。

一応、誤解がないように、
繰り返し話しておきますが、
僕も、

「ぜったい、負けるわけには、いかない。
 この場面では、
 勝って、勝って、勝ちまくるしかない。」

と自分を奮い立たせる時だってあるし、
これからも、あると思います。
場面によっては、
そういう思いは人一倍、強い。
(“勝てる”かどうかは、別にして。)

でも、

「それだけじゃ、ないな。」

と、思うことが、

―時々、すこし、混乱してしまうぐらいー

多いですし、

そう、うすうす、
感じている人達が、
語り始めようとしている。

と感じています。

僕は“勝ち”“負け”で、
色々な話を語ることが、
「悪い」とは、言えません。

それは、
いくつかの場合、
とても
自然かつ、健康的です。

ただ、“僕”にとって、
それは、
有効な物語のエンディングではないし、
スタート地点や、途中経過ですらない。
そして、
そういう人も、少なからずいる。

でもね、
逆の立場を想像して、
それが有効な物語に成り得ることも、
理解して認識すべきだと思う。

獲物を追うライオンの人生を、
誰が否定できるだろう?

しかばね、さらす
シマウマの生き様を、
だれが笑えるだろう?

それは時に、僕であり、
あなたです、よね?

そんなのを、理解した上で、
彼らが、
ハッピーに見えないとしたら、
僕達には、語る言葉が、
あると思う。

そして、なぜだか、
“いろんな立場”が、
わりにクリアに見ることのできる、
(ような気がする)
“僕”になにか、
できることが、あるんじゃないかな?
僕なりに。

それは、
とても大きなハッピーであり、
ささやかな“不幸”を抱えた、
話ではあるけれども、
全般的には、うれしいよ。

と、ややこしく、
そんな風に思います。

あなたも、そんな人じゃないですか?

ただね、

“「野生(動物)」を自分なりの方法で、育てる”

事に対して、
謙虚で注意深い事も、
重要なんだろうな。

自分では、こういうことを、
考え、語ることは、

“坊さん”

に、ぴったりの事だと思います。

とても、不細工ですが、
この話は、

「僕なりの経典」

のような話でもあるんです。

だれにだって、
“経典”はあると思うけれども。

ミッセイ

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2003-04-10-THU

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