坊さん。
57番札所24歳住職7転8起の日々。

第68回 ふたつの仏足跡


ほぼにちは!

ミッセイです。

栄福寺では何人かの大工さんが働いているんだけど、
この人達が言うことが、おもしろい。

でも、本当なのか、
若い坊さんをからかっているのか、
判断に迷う。

「おっさん!タコはねぇ、海辺に畑を作ると、 
 畑に上がってきて、イモとか食べるんだよ。」

「アユのいる川で乾燥わさびを、水に溶かすと
 アユが目を“しゅばしゅば”させながら浮いてくるんだよ。
 やや、ホント、ホント。」

「アメリカに行った時、
 飛行機が天候不順で不時着して、
 “たまたま”先住民がウロウロしてたんで、
 トルコ石の民芸品を8万円ぐらい買った。」

ホントかなぁー。どう思います?

ところで、
栄福寺に仏足跡(ぶっそくせき)というものを、
建立しました。



仏足跡っていうのは、
仏像が作られていなかった時代に、
礼拝対象として
釈尊(しゃくそん)の足跡を石に画いたものです。

話はそれますが、釈尊は“おシャカさん”の事です。
 
“おシャカさん”の呼び方も、
なかなか難しくて、

仏陀(ぶっだ)というのは、そもそも
「さとった人」を全般的に呼ぶ言葉です。

釈迦(しゃか)というのは、
釈迦族というインドの種族を指す呼称。

シッダールタは“おシャカさん”の俗名。
つまり出家する前の名前です。

「じゃあ、僧名は?」

となるんですが、“おシャカさん”を指す、
個人名は経の中には出てこないんですね。

想像だけど、色々なこだわりと一緒に
名前も捨てたのかもしれない。

そこで、
「釈迦族の尊者」ということで「釈尊」
とお呼びしています。

ただ僕は「釈尊」を採用していますが、

「“釈迦族”の尊者は他にもいるんじゃない?」

と言われると「仏陀」の方が正確な気もします。

でも「じゃあ空海も仏陀なの?」

と言われると、ややこしくなりますね。

「まぁ、どうでもいいじゃないですか。」

と言えないのが、
宗教の難しい側面であり、いいところでもあります。
むむむ。

というわけで、
仏足跡の話に戻りますが、
日本だと国宝の薬師寺仏足跡が有名です。

栄福寺の仏足跡はインド、ブッダガヤの
マハボーディ寺院という釈尊が悟りを開いた
「菩提樹」のある寺院でとった
拓本を元にしているということです。

で、この建立は、
僕が熟考して、

「こんなんあったら、いいな。素敵だな。」

というタイプの建立ではなく、

ある、子供も親戚もない男の人が、
亡くなった奥さんの供養のために寄進(きしん、寄付のこと)
してくださったものです。

「お墓を作って、荒れてしまうよりも、
 たくさんのお遍路さんにお参りして欲しい。」

家族の人は、
どちらかと言えば、

「寄進してくださる物は、全部、もらいなさい。」

というスタンスですが、
僕のスタンスは違います。

栄福寺の境内はとてもコンパクトだし、
こまごまとした物を、
たくさん建立しても、それが
しっかりとした空間になるかと言えば、
そうとは思いません。

しかし、仏教寺院である栄福寺に
仏足跡が建立されるのは、
もちろん、ありがたい。

そこで、僕に1つのアイデアが浮かびました。

「よし、本尊さんの“山門”を作ろう!」

栄福寺には山門がありません。
計画はありますが、山門となると資金も膨大です。

だから本堂の両脇に仏足跡を配置して、
それを、“門”と見立てることはできないだろうか?

釈尊の法の遊行を象徴した仏足跡に、
法を求めたお遍路さんが出会う。

というコンセプトです。

しかし、そうなると、問題があります。

そうです。
元々、とても高価な仏足跡が
ふたつ必要です。

でも、構想を石屋さんに話してみることにしました。

こういう時、坊さんの立場はとても弱いです。
仕事に就いている人というのは、
なにかしら自分の“専門”を持っています。

「資金繰りならまかせろ。」

「材料調達にいいルートを知っている。」

でも、僕が言っているのは、

「こうしたほうがいいので、もう一個、ください。
 ちなみに私は何もできません。
 拝むことしかできません。」

という立場になってしまいます。
理解を得るために夢を語るしかない。

そして今回は、
その石屋さんと友人のお遍路さんが、
寄進してくださることになりました。

“山門”というコンセプトの仏足跡の完成です。



これは本当に稀なパターンだと思うけど、
口を開いて、言ってみて、よかったです。

坊さんは、なにも物質的な物を
生産することが出来ないので、
すべてが、他人との係わり合いになります。

そんな中で、
人の言うことを聞くだけじゃなくて、
自分の主張をするだけでなくて、

いかに、空間や気持ちをみんなで、創っていけるか。

それは大変だけど、とても
やりがいのある仕事だと思います。

僕は

「口だけは、達者やなぁ。」

と言われ続けましたが、

今となっては、

「口だけでも、達者でよかったなぁ。」

と切実に思います。

それだけじゃあ、
ダメなんだけどね。

ミッセイ

2002-07-28-SUN

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