坊さん。
57番札所24歳住職7転8起の日々。

第8回 
どうして、僕は“坊さん”になりたかったんだろう?


ほぼにちは。

僕は小学生の頃ぐらいから
漠然と

「坊さんに、なりたいかも。」

と思っていました。

小学4年生から
住職の(亡くなった)じいちゃんと
一緒にお寺に住んでたから
その頃からだと思います。

でもじいちゃんは、僕には
「人生とは!」
「僧侶とは!」
なんてことは
ほとんど言わなかったと記憶してます。
たぶん。

「あーくん(僕のこと)、
 昨日、ミスター ビーンっていうテレビを
 晩にしとってなぁ。
 それが、ホント、おっかしいの!」
(ここでミスター ビーンのものまね)

どちらかというと
そういうタイプのじいちゃんでした。

じゃあ、どうして
「坊さん」って職業に興味を持ったのか。

僕は最近のことは
すぐ忘れちゃうんだけど
その頃の事は
残像記憶として
変に鮮明に憶えています。

一言でいうと
「これは、チャンスだ」
と思ってたんですね。
小学生のガキが。

それはどんな、“チャンス”なのか?

僕は子供の頃(時々、今でも)

自分が感情を持つこと。
自分が意志を持つこと。
自分という存在があること。
死んで僕の意志が消えること。

今、目の前にあるテレビの中の
アナウンサーや
お母さんや
友達は
もしかしたら自分の考えた
自分だけの世界かもしれない
こと。

そんなことを、考え始めてしまうと
なんだか軽いパニックになって
脳が「くらっ」としてしまう(ほんの少しだけ)
ことがたまに、ありました。

みんなはなかった?

たぶん、あるんじゃないかと想像します。

もちろんずっと
そんなことを、考えてたわけじゃないよ。

でも
「なんなんだ、この、圧倒的な
 “不思議感”は!」

と強烈に思ったのを憶えています。

でも学校では
「おもしろくて、元気なのが数少ない、とりえ」
のアユム君として有名でしたし

「アユム君、絶対、悩みないでしょ!!」
と言われ続けました。
(あっ、その“人生の命題”で僕が
 “悩んでた”訳ではないよ。)

でもなんか、
「不思議やなぁー、生きてるって」
と思ってました。


自分の家はお寺だぞと。
密成少年はひらめいた訳です。

自分の学校の成績と照らし合わせると
どうやら自分は
このままでは
しがないサラリーマンだぞと。
(子供って結構、リアリストですよね)

とてもじゃないけど
「はかせ」や「てつがくしゃ」
には、なれっこない。

坊さんになれば
ちょっとは
そんなことも
考えられるかも。

「これってチャンスなんか?もしかして!?」

と、思った訳です。

かくしてここに
若き坊主
ミッセイさんは、誕生するわけなんです。

だから
今、思ったけど
坊さんを“やらしてもらってる”。
っていうケンキョな気持ちは
忘れてはいかんなぁー。
と思います。
(誤解を恐れずに言うと。変に誤解しないでね。)

だから僕が思いついたことは
みんなと、ちょっとでもシェアしなきゃ。

僕のようなパターンが
どの程度一般的かは
全然わかりません。

でも
これが100パーセント
正直に書いた
僕の

「弟子 密成 誕生秘話」
です。

正直に書いたら
とても気持ちよかったよ。

ありがとう。

ミッセイ

2001-12-20-THU

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