坊さん。
57番札所24歳住職7転8起の日々。

第5回「高野山で僕が出会った外国人」

ほぼにちは。

今日は僕が高野山にいた時に
出会った何人かの
ガイジンさんについて
書こうと思います。
(ところでガイジンってゆう言葉って
外国人の人はどう思ってるんだろう?
僕としては、「ほぼ日」とか「スポニチ」
っていう日本人の感覚だと思うんだけど。
“そこがヘン”なのかな?)

なぜか、高野山というところは外国人の
多いところです。

しかも、僕には「外国人と友達になることマニア」
の友達がいて(いますよねぇ〜、そういう人)

間接的に知り合うことが多かったわけです。

彼の家に、ふらっと行った時
北朝鮮人の大学生がいて
「やっぱり、統一したい?」
って“つかみ”で聞いたら、(どんな、つかみだ!)

「してぇー、してぇー」と言ってました。
いやっ、ホント、ホント。

で、その(マニアの)友達と
七夕の願い事を一緒に書いたことがあって
彼は

「中国人になってるかも」

って、書いてました。

それって、願い事か?

彼は今
書道用品店
(実家は寺ではなかった、こういう家を
 “在家”ざいけ、といいます)
を辞めて中国に留学しています。

「中国人になってるかも!」

でも外国人と話すのってやっぱり
面白いですよね。なんか。

ほら、海外旅行にしかない“楽しさ”って
やっぱ、あるでしょ。そんな感じ。

僕が加行(けぎょう)という真言宗の修行をしていた
道場の指導員のお坊さんの一人にも外国人がいました。
「えいじょうさん」という人でした。
(字は忘れてしまった。)

ニューヨーク生まれの白人で俗名
(“ぞくみょう”僧になる前の名前)は
ドライトラインさんという、名前でした。

この人は、僕の着物の着方が
とても、とても、気になるらしく

「ユーは(ほんとにそう言ってた)
いつも、乱れてるねぇ。」と、よく言ってました。

この人は、とても立派な人で
個人的な宗教上の悩みとかをうち明けたこともありました。
着物の着方を教わったり。

シリアスな話をした後に
ちょっと気になって
「えいじょうさんって、やっぱり
オーマイ ゴットって言わずに
オーマイ クウカイ(空海) とか
オーマイ ブッダ って言うですか?」

って聞いてみたら、
苦笑を浮かべて、なにも言わずに、去っていきました。

知りたかったなぁー!

あと下宿のすぐ近くに
小学校で英語の先生として派遣されてきていた
ジェフリー
という人もいました。

彼はよく家に遊びに来て
レンタルビデオなんかをいっしょに観たりしました。

みなさんはコメディーを
外国人と二人で観たことありますか?

あれはつらいよぉー。

その時観てたのは「ジャック」という
映画
(「ガープの世界」の人が主演のヤツ、名前がでてこない)
だったんだけど

僕は当然
字幕を見て笑うでしょ。

そうすると僕はワンテンポ遅れて(場合によって早く)
笑うんですね。あたりまえですが。

最初のうちは気にならなかったけど
笑いのタイミングが違うと
だんだん、すんごく、精神的に負担が強くなってきました。

「あんたは、ここで笑ったけど、おれは笑わない。」
みたいな、“笑いのツボ合戦”的な感じもしたし。
(僕の考え過ぎなんですが)

あとガイジンマニアの友達君が入院したとき
6月なのにクリスマスカードを送ってきた
台湾人の留学生のおばちゃんとか
(仏教徒だから、ずらしたのかなぁ、違うと思うけど)

「ゼミ旅行はベルギーに、
 ベルギーワッフルを食べに行こうぜ。」
(ここで“どうよ!”という表情を浮かべる)
というのが、唯一のジャパーニーズ ジョークだった
ベルギー人とか
いろんな人がいました。

高野山って不思議な町だったなぁ。

高野山については、また書こうと思います。

では。

ミッセイ

2001-12-14-FRI

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