今回は、デザイナーとして
世界的に活躍されている深澤直人さんに
ご登場いただきました。
きっかけは、デザイン誌『AXIS』の書評コーナーで
深澤さんが『三位一体モデル』を取り上げてくださったこと。
デザイン専門誌の書評欄で、なぜこの本?
そんな話題を手がかりとしながら、深澤さんのお話は
ご自身の「デザイン観」にまで広がっていきました。
今日から全5回の連載として、お届けいたします。



── 深澤さんのデザインって、
「ありそうでなかった」と
形容されることが多いと思うんですが‥‥。
深澤 ええ、よくそう言われますし、
僕自身、その表現は気に入っていますね。
── で、言葉の使いかたが適切かどうかは
分からないんですけれども、
それを僕たち消費者が表現するとなると、
「シンプル」と言うと思うんです。
深澤 はい、そうかも知れません。
── 深澤さんにとって
「シンプルなデザイン」って
どういうことなんでしょうか?
「デザインをしない」
ということとは、違いますよね?
深澤 「合理的で、必然的」、
ということでしょうね。
── それは言葉にすると、
一体どんなデザインなんでしょう?
深澤 違和感のないデザイン、ですね。
── どんな場所に置いても違和感がない、
ということでしょうか?
深澤 いま私たちが共有している
状況とか環境ということで、
どこでもということではありません。
でも、そういうデザインになっていなければ、
僕のやってきたことは、失敗でしょうね。

ありそうでない、という言いかたも
もともと、そのモノが存在する前から
その場所には、そのモノのイメージがあった、
つまり
みんなが「良いもの」として共有していた
イメージを表現したんだ、
というふうに、捉えています。

だから、そういうふうに言われると
嬉しいんですよね。
── デザインとは気づくことだ、
というようなことも
おっしゃっていますね。
深澤 やっぱり、たいがいの場合には、
どういうデザインのモノが欲しいのか
分からないことが多いんじゃないかと。

で、僕が何かをデザインして、
それが、いいデザインだ、
とても魅力的だと、言ってもらえたとします。

あ、これが欲しかったんだよ、って
言ってもらえたとしますね。
── はい。
深澤 そういうときって、みんな
「欲しいデザイン」は知っていた。
でも、気づいていなかったんです。

つまり、
「自分のなかに
 しみ込んでいたんだけれども
 具体化されていなかったイメージ」が、
僕という人間を通じて
具現化された、ということ。

だからその場合には、
その人の気づいていなかった思いを
具現化したわけで、
「僕のデザインではない」んですよ。
── 深澤さんのデザインではない?
深澤 僕はただ、プロとして、
みんなが欲しかったものを
具体物として表現して、
「気づく」ことをサポートしただけ。

そういうスタンスで、
いつも、デザインをしています。
── では、深澤さんにとっての「シンプル」、
つまり「合理的で必然的」というのは
モノの表面的なデザインだけを
指しているわけでは、ないんですね。
深澤 欲しかったけれど
気づいていなかったイメージを
具体化したとき
そこに違和感はないでしょう。

そいういう意味で、
合理的であり、必然的なんです。
── 過不足がない、ということ?
深澤 そういうことです。

だから、僕のデザインは、
表面だけ見たら、
むしろインパクトが少ないと思う。

でもそれが、
僕の考えるデザインなんです。
── でもそれは、一般的な
デザインにたいする理解とは‥‥。
深澤 違うこともあるでしょうね。

デザイナーも、一般の人も
「デザイン」というのは、
刺激的なものだ、というふうに
思い込んでいるかもしれません。

でも、「デザイン」という意識を
取り去ってモノを見たら、
つまり、
いま、自分に必要な道具って
どんなものなんだろう、
という意識でモノを見たら、
必ずしもそうだとは言いきれない。

むしろ僕は、人とモノとが
「いい関係」を結んでいるものを、
「いいデザイン」だと思っています。
── なるほど。
深澤 だから、逆に言うと、
その「いい関係」をだめにしてるのは、
刺激的でなければならない、という
現代のデザイン観そのものかもしれない、
と思うんですよ。
── 人とモノとの関係性、ですか。
深澤 でも、ファッションをはじめ、
刺激を与えることが重要視される分野で
「デザイン」という言葉が使われ、
理解されてきたから、
それはある意味で、
無理のないことだとも思います。

ただ、僕がやっているデザインは
おもに「人間の道具」ですし、
さりげなく謙虚に
そこに佇んでいてほしいようなモノ、
そういうモノを
つくっていきたいなと思っているんです。

<続きます>

2007-04-13-FRI