プロローグ 対談 吉本隆明×糸井重里
現代に生きる親鸞
親鸞にまつわる、重要な問題
阿弥陀如来の光に包まれる状態
念仏は、たくさん称えたほうがいい?
浄土はどこにある?
親鸞は、「人間」をどう捉えているか
浄土は「死後の世界」ではない
「現実」を、どう見ていけばいいのか
親鸞は、医者兼患者だった
「慈悲」に対する親鸞の考え方
「悪」を、どう理解すればいいのか
誰にでも「悪」はあり得る
親鸞の「究極の言葉」
親鸞が偉大である所以
ぼくが敗戦後に考えたこと
親鸞が現代に「生きている」理由
コラム1 親鸞が生きた時代、それは“戦後”だった
親鸞の声について
「人間の声」と「自然の声」──東洋の思想の眼目
「自然の声」を聞くのをやめた親鸞
信仰と善悪は、どうつながっていくのか
どうしたら、心の底から信じるという状態になれる?
『歎異抄』に残された親鸞の声
善いことをしている時は、悪いことをしていると思ったほうがいい
浄土にいきたいと、ちっとも思えない
一回りした挙句に出てくる、平凡な答え
善悪は、一重底にはできていない
身辺に迫ってくる、善悪の息苦しさ
浄土の規模で善悪を考える
〈自然法爾〉ということの意味
親鸞が最後に発した、声にならない声
コラム2 仏教のはるかな旅
親鸞の転換
親鸞に訪れた3つの転機
修行はしなくていい、お経も大したことない
三願転入の意味
念仏とは何か──貞慶の批判
念仏は、口先だけで称えればいい
なぜ、第十八願はすぐれているのか──法然の差別論
法然・親鸞とほかのお坊さんは何が違うのか
人間は「煩悩具足の凡夫」である──親鸞の考え方
法然と親鸞の違い
第十八願の志向性
世界的大思想家・親鸞
なぜ、第十八願を信じられるのか
〈自然法爾〉のむずかしさ
親鸞は、ふつうの人のように生涯を送った
逆説的な言い方でしか伝えられないことが込められた『歎異抄』
浄土へゆくことが、どうして切実だったのか
どうしたら苦を断ち切れるのか──仏教の成立
コラム3 当時の関東の地形から読み解く、親鸞の風景
親鸞から見た未来
現在ということの特徴
慈悲には、ふたつの種類がある
〈緊急の課題〉と〈永遠の課題〉は、二者択一ではない
親鸞の浄土とは何か
親鸞の浄土についての考え方を、現在に応用する
〈緊急の課題〉を〈往相〉、〈永遠の課題〉を〈還相〉と考えてみる
中流社会にも〈永遠の課題〉がある
高齢化社会の〈緊急の課題〉は何?
死を超えるという〈永遠の課題〉
死に至るまでの家庭生活を、どう考えればいい?
精神的課題としての死を超えるということ
死のほうから現在を見る
最後に〈身体の偶然〉が残る
コラム4 親鸞は“聖”だった?
未来に生きる親鸞
親鸞の核心について
理念としての親鸞
思想としての親鸞
親鸞は、〈死〉をどう捉えたのか
生と死の「中間」、それが浄土
親鸞の最後の思想=〈自然法爾〉
構築と解体──浄土思想は、怖い思想
悪いことをしたって、少しもかまわない?
「悪人正機」に対する、見解の相違
〈因縁〉ではなく〈契機〉、そこに親鸞の思想は生きている
未来の親鸞
本質は〈往って〉〈還ってくる〉ことで見えてくる
〈死〉と〈あの世〉
宮沢賢治と〈死〉について
コラム5 和讃は、日本のブルース? |