この本の編集者から 『ぼくの好きなコロッケ。』について。 ほぼ日刊イトイ新聞 永田泰大

糸井重里の1年分の原稿とツイートから
ことばを選び、絞り、1冊の本に編む。
この本で8度目の出版となりました。

本の編集は、糸井重里の1年分の原稿を
読み返すことからはじまります。
その年が終わり、
1年分の原稿とツイートが溜まってから、
ぼくは糸井重里の1年を振り返りはじめます。
わざわざ1年分を溜めずに
そのときどきでことばを選んでおけば、
編集の効率がよくなるとは思うのですが、
どうもそれができなくて、
作業はいつも新年早々にはじまります。

そうして、本の編集にまつわる
さまざまな工程が少しずつ進んでいき、
ついに印刷所から刷られたばかりの本が届いて、
やっと本づくりが終わるかというと、
実質的にはそうですが
気持ちのうえではそうではなく、
いま、こうして書いている、
本の販売ページに掲載する
「担当編集者より」という原稿を書き終えて、
それでようやく本の制作が終わる気がするのです。

つまり、いままさに、
『ぼくの好きなコロッケ。』という本の
ぜんぶの工程が終わりつつあるというわけです。
今年はずいぶん長くかかってしまいました。
お待たせしてしまい、申し訳ありません。

同じ本のシリーズを8度も経験すると、
くり返しの不思議さをしみじみ感じます。

1年のあいだ、まったく休まずに書かれた原稿を、
きっちり1年に1冊ずつ本にする。
そもそも、毎日1日も休まず書き続ける糸井重里が
ずいぶん例のないことをしていると思いますし、
それを毎年こうして本にしているというのも、
なかなかユニークなことだなあと思います。

そのくり返しがもう8度も続いています。
ずらりと並んだ本を眺めると、我ながら、
おもしろいことをしているなぁと感じます。

そして、暴言と知りつついえば、
読んでいただくこともまた同様に感じるのです。
つまり、なんというか、みなさんに、
買って開いて読んでいただくことも、
失礼ながら、このおかしなサイクルの
一要素であるのだろうなと。

ですから、8年前からとはいわずとも、
ここ数年、1年の巡りをおもしろがるように、
本を買って開いて読んでくださるという方には、
大きな感謝の気持ちを送るとともに、
「お互い、おもしろいことをやってますよねぇ」と
同級生の肩を叩くみたいな気持ちで
つい話しかけてみたくなります。
あらためまして、どうもありがとうございます。

ああ、悪い癖で枕が長くなりました。

本を締めくくる、この最後の挨拶において、
恒例のご報告をさせていただきます。
ほかならぬ、
「この本がどういう本に仕上がったか」
ということについてです。

以前もちらりと述べたことがありますが、
この本は、著者糸井重里の定期検診に似ます。
1年間のことばをまるごと読み返して
抜き出してまとめてみると、
糸井重里の1年間が浮かび上がってきます。
シリーズの8作目となる
『ぼくの好きなコロッケ。』は
2013年の原稿とツイートを素にしていますから、
ここには糸井の2013年の傾向が表れています。

少しさかのぼるなら、
2011年を表した『夜は、待っている。』は、
東日本大震災を色濃く反映した本でした。
ことばは慎重で、どちらかといえば重く、
「光の射す方向へ」つづられた、
精一杯の希望が、こころに響く1冊でした。

翌2012年のことばが込められた
『ぽてんしゃる。』は、
震災からの1年という距離を
いろんな角度から確かめるように、
ことばがあちこちへのびのびと散らばった本でした。
また、2012年というのは
糸井重里に大きな影響を及ぼした
吉本隆明さんが亡くなった年でもありましたから、
本のなかには、吉本さんについてのことや、
「死」についてのことも
多く書かれることとなりました。

(脇道へそれるようですが、
 「死」に対する糸井重里の姿勢が
 その年に接した「死」によって
 毎年微妙に重心を移していくというのは、
 このシリーズを追うときの
 大きな味わいどころのひとつです)

さて、この『ぼくの好きなコロッケ。』は、
どういう本になったのでしょうか?
つまり、2013年というのは、
糸井重里にとって、
いったいどういう年だったのでしょうか?

本を編集し終えて、ぼくは思います。
2013年は、糸井重里にとって、
「現場の重要さ」を痛感する1年でした。
いまごろ注釈しますが、
以上も以下も、ぼくの勝手な推測です。
本人はあっさりと
「そりゃ違うよ永田くん」などと
言うような気が大いにしますが、
そんなことは知ったこっちゃないと
逆側に考えを振り切ることができるのが、
この年に一度のご挨拶のよいところです。
って、それもまたぼくの勝手な言い分ですが。

話を戻すと、東日本大震災のあと、
糸井の移動距離はずいぶん増えました。
東北方面を中心に、
糸井はしょっちゅう移動することになりました。
震災後の2年間、それはどちらかというと
特別な行為であったように思います。
未曾有の大震災に際して、
自分にできることをするために
糸井は何度も東北新幹線に乗りました。

そして震災から3年が経って、
くり返すうちに、移動することは、
糸井にとって特別なことではなくなっていきました。

思えば、震災を「忘れないように」、
被災地での取り組みを「仕事にするために」、
という動機からはじめた
「気仙沼のほぼ日」を、
当初、糸井は2年間という期限付で立ち上げました。
そして、はじめの2年が過ぎると、
あっさりその期限を更新しました。
つまり、特別な取り組みとしてスタートさせた
「気仙沼のほぼ日」は、
日常的な仕事へと溶けてしまったのです。

同様に、糸井が移動することは、
ごく当たり前のことになっていきました。
実際に集計したわけではありませんが、
震災以前の糸井重里の1年間の移動距離と
震災後のそれを比較したなら、
後者がはるかに長くなっているはずです。

この「小さいことば」シリーズにおいて、
しばしば糸井は、自分を、本来は、
「出不精」で「なまけもの」で
「ほっといたら部屋から出ない」と書いています。
けれども、震災を契機に、糸井重里は
好むと好まざるとに関わらず、
あちこちへ移動する人となっていきました。
「小さいことば」シリーズのなかにも、
旅にまつわることばや、違った場所の写真が
掲載されたページがしだいに増えていきました。

いったん動くことがふつうになると
そういった行為は加速するもので、
移動範囲は東北にかぎらず、
ときには外国へもしばしば旅するようになりました。
つまり、いつの間にか糸井重里は、
フットワークの軽い人になっていったのです。

(そういえば、糸井は震災後、しばしば、
 「俺はこういう人じゃなかったんだけどなぁ」と
 しみじみつぶやいてましたっけ‥‥)

さて、「移動する」というのは、
「誰かに会う」ことです。
そして、「現場に立ち会う」ことです。
当たり前に「移動する」というのは、
当たり前に「誰かに会い」、
当たり前に「現場に立ち会う」ということです。

自分の部屋でひとりで考えるだけではなく、
その考えを持って、現場に行き、
当事者と会って、直に話す。
実際にはどういうことなのか、
なにが求められているのか、
なにが障害なのかを、その現場で実感する。
そしてその「現場での実感」が、
またひとりの時間に戻ったときの考えに
フィードバックされる。

そういった循環が、
ここ数年の糸井重里の考えと行動の
基盤になっているとぼくは思います。

あれこれ言うだけではなく、
実際に行われていることを重んじる。
よい考えをよい考えのまま終わらせるのではなく、
なんとか実行につながるようにと
必死でじたばたする。
そういった傾向は以前からのものではあるのですが、
近年、とりわけそれが強まったように思います。
逆説的にいえば、いまの世の中に、
ただ考えられただけのもの、
ことばだけが並べられたもの、
実感や現場感覚を伴わないものが多すぎる
ということでもあるのでしょう。

多くの人がイメージするように、
糸井重里というのは、「ことばの人」です。
それは、間違いのないことだと思います。
しかし、同時に糸井は、誰よりも
「ことばを疑う人」でもあります。

疑いの契機となったのは、
あるいは、疑いを
より強めることになった大きな原因のひとつは、
吉本隆明さんが晩年に表明した
「ことばの幹は沈黙である」
という考えではなかったかと推測します。

糸井は、赤んぼうや犬や猫のなかに、
きらきらと輝く沈黙を確認し、
枝葉のことばをさらに剪定するようになりました。
そして、幹なる沈黙をこころに抱え、
黙々と行動している人たちの姿に
強い尊敬の念を抱くようになりました。
この1年の間に、その思いは
どんどん強くなったとぼくは感じています。

考えだけではなく、
ことばだけではなく、
なにを自分がすることができるか。
そしてその「できること」を、
あらためて「ことばにできるか」。
この『ぼくの好きなコロッケ。』という本の
根っこの部分には、そういった、
ゆるやかで大きな変化があるように
ぼくは思っています。

年に一度の機会ということで、
またしても真面目な側面を
暑苦しく語ってしまいましたが、
ユーモアや、冗談や、雑談や、駄洒落的なものも
この本のなかにはたっぷり詰められています。
ブイヨンの写真もたくさん載せましたし、
例によって、多彩なゲストのみなさんが
あちこちに顔を出してくださっています。

そして、この横尾忠則さんのカバーデザイン!
見た瞬間、あれこれ思案していたいろんなことが、
なんというか、痛快に吹っ飛んでしまいました。
実際に本を手にとると、よりインパクトがあります。
こう、目が覚めるような感覚があると思いますよ。

最後に、また、自信たっぷりに言ってしまいますが、
この本は、あるいはこの本のシリーズは、
時の流れに風化されず、長く残るものだと思います。
自画を自賛するようで恐縮ですが、
この本は未来にも読まれるだろうとぼくは信じます。
そしてそれを踏まえたうえであえて言いますが、
いま出るこの本のもっとも理想的な読まれ方は、
本に詰め込まれた2013年という1年間を、
最近、自分の体験として刻んだ
いまの人たちによって読まれることです。

『ぼくの好きなコロッケ。』という実際の本が、
現実のあなたの、現場にある本棚の、
リアリティのある1冊として、
実感をもって読まれることを願っています。

本の制作チームはいつもの4人です。
プリグラフィックスの清水肇さんがデザインし、
凸版印刷の藤井崇宏さんが仕上げ、
ほぼ日の茂木が進行を管理しました。
あ、プリグラフィックスの吉田健人さんも
いろいろとフォローしてくださいました。
どうもありがとうございます。

このシリーズの本が出るときは、
いつもつぎの本のことを考えています。
それは、ずいぶん幸せなことだなあと思います。


2014年9月

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