「できないこと」を見つめた先に  重松 清(作家)

東日本大震災が発生した翌日――三月十二日、
『ほぼ日刊イトイ新聞』(以下『ほぼ日』)は、
いつもどおり午前十一時頃にコンテンツを更新し、
糸井重里さんの日替わりコラム『今日のダーリン』も、
震災以降で最初の原稿に切り替わった。

〈いつまでも忘れられないような一日が終わり、
 翌日がやってきています〉
と書き出された当日のコラムの真ん中あたりに、
こんな一節がある。

〈それぞれにできることが、
 必ず、やがて見えてくると思います〉

その言葉が慰めでも方便でもなかったことを、
僕たちはすでに知っている。
糸井さんは正しく予言をした。
『ほぼ日』が矢継ぎ早に展開していった
震災関連のコンテンツは、
すべてそれを裏付けるものだったと言っていい。

具体的な支援活動をいちはやく始めたクロネコヤマト、
町の復興と雇用創出を兼ね備えた
「重機免許取得支援プロジェクト」など
ユニークなアイデアが止まらない大学の先生、
週末にどこからともなく集まって、
津波で被災した家屋の掃除をつづける若者たち、
グラウンドの放射線量を測定しながら
甲子園を目指す福島県の高校球児‥‥。

ときには糸井さんが自ら、
ときには『ほぼ日』の若いスタッフが、現地に赴き、
長い対話をして、長いレポートをしたためてきた。
汗を流し、海水交じりの泥にまみれ、
絶句したり、泣きそうになったり、思わず笑ったりして、
「できることをやっているひと」の
物語を一つずつ積み重ねていった。
そして、震災から約九ヶ月をへて、
それらの物語は一冊の書物――
本書にまとめられたのである。

ああ、気持ちよかったなあ、
という読後感は不謹慎だろうか。
だが、それが僕にとっては最も正直な感想だった。

その気持ちよさは、どこから来るのだろう。
「論」は必要最小限しか訊かないし、書かない、
という徹底した具体性ゆえ? 
それもある、確かに。
僕は(あなたも?)いささか「論」に倦んでいる。
「論」に翻弄されどおしの日々に疲れてしまった。
だからこそ、自らも被災した社員たちが
自発的に支援活動に取り組んだ理由を
糸井さんに問われて、理屈もなにもなく
「うちの会社のDNAですよ」と
あっさりきっぱり言い切る
クロネコヤマトの社長の姿に痺れるのだ。

また、「できることをやっているひと」の持つ
ポジティブな姿勢が読み手にも伝わる、
ということもあるだろう。
実際、前述の「重機免許取得支援プロジェクト」などを
手がける早稲田大学大学院専任講師の西條剛央さんは、
糸井さんとの対話でこう語っている。

〈やっぱり「がんばり」だけでは、無理です。
 「これならいけるぞ」という
 勝算や希望がなければ……。
 (略)
 悲壮感とか切迫感だけでは、続けられないです〉

そうだよな、ホント、そうだよなあ、
と何度もうなずきつつ、さらにもう一つ――。

本書のタイトルは「できることをしよう」である。
「なんでもしよう」ではない。
「できること」の背景には「できないこと」がある。
それを認めるところからすべては始まるのではないか。
だが、ひとは浮き足立つと、それをつい忘れてしまう。
「できること」と「できないこと」とがゴッチャになって、
なんでもできるような錯覚に陥ったり、
逆になにもできないんだと落ち込んだり、
他人の「できないこと」を罵ったりしたすえに、
「(被災者のために)なんでもしなくちゃ」という、
西條さんのおっしゃる〈悲壮感とか切迫感〉の
隘路に入り込んでしまうのである。

だが、本書に登場するひとたちは皆
(巻末でロングインタビューに答える
 糸井さん自身も含めて)、
「できないこと」と謙虚に向き合っている。
「できること」の背後に広がる
「できないこと」のあまりの大きさを認め、
けれどひるむことなく、もちろんあきらめることもなく、
足元の「できること」を一歩ずつ広げようとしている。
本書は、震災後の「眺望」についての報告ではない。
どこまでも具体的な、現実に根差した「足跡」の報告――
そして、その足跡のつま先がどっちに向いているのかを
伝えるための一冊なのだと思う。

誰もに「できること」があり、
「できないこと」がある。全部はできない。
でも、できることなら、できる。
だから、できることをしよう。
三月十二日の予言は、
いま、小さな合言葉になったようだ。

(新潮社「波」2012年1月号より転載)



2011-12-27-TUE

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