自転車思想。
チャリンコは、未来そのものの顔をしている。

第43回 バイクサマーって何だ!? その2

旅先で人と出会う、というのは、
旅の目的そのもの、と言ってもいいかもしれません。
僕がバイクサマーで見たかったものも、
やはり、人でした。

向こうの自転車乗りってのはどういう人たちなんだろう?
特にクリティカルマスやバイクサマーに参加してる人たち。
情報は、ネットでも手に入れられるけど、
こういうのは実際に見ないとわからないですもんね。

前回の最後に、
バイクサマーは僕が想像したより小さなものだった、
と書きました。
単にイベントを大きくしたければ、
スポンサーをたくさんつけて、
宣伝をバンバンすれば、
とりあえず人は集まるのでしょう。
なんたって、アメリカ人はお祭り好きですからね。

でも、サンフランシスコの自転車乗りたちは、
そういう選択をしませんでした。
あくまでGrass roots、
つまり草の根的なイベントだったんです。
それには、彼らの思想というか、
指向性が大きく関係しています。

3枚の写真を見てください。




上の2枚はサンフランシスコにある壁画で、
一方通行を意味する、
"ONE WAY"という交通標識のパロディーです。
最後の1枚はシアトルで発見したポスターです。
自動車専用レーンの書かれた、自転車専用道路。
もちろん、こんなもの実際にはなくって、
これもパロディーというか、
シニカルな批評といった感じです。

こういった、
”ポップなアナーキズム”とでも呼ぶべき表現が、
アメリカの自転車シーン、
特に生活の足として自転車を利用する人たちの中から、
次々と生まれてきています。
以前ご紹介した、クリティカルマスも、
そういったものを生み出す土壌の1つと言えますね。

彼らの多くは、マクドナルドは当然のように、
さらに、スターバックスコーヒーさえも否定します。
反グローバリズムという言葉では、説明しきれません。
地域性を越える企業活動そのものを批判するのです。
つまり、僕たちがよく考えがちなアメリカ人の生活、
デッカイクルマに乗って、
郊外のショッピングセンターで、
生活用品や食料をまとめ買いする、
そういうライフスタイルそのものを否定しているわけです。

だから、移動は自転車で、買い物は地域の小さな店で。
去年のシカゴバイクサマーでは、こんなことがありました。
ハイランドパークという、シカゴ郊外の町では、
毎年野外音楽祭が開かれます。
それを聞きに行く、という目的のツアーがありました。
激安の料金で、世界的にもトップクラスの
シカゴ交響楽団の演奏が聴けるのです。
当然、僕は参加しました。

演奏を聴きながら、ワインを飲もうという話になって、
お酒とチーズを求めて、
ハイランドパークの中心へ向かいました。
典型的な郊外の小さな町です。
時間も夕方だったので、多くの店が閉まっていました。
駅前にデリカテッセンのチェーン店があるくらい。
僕だったら、「まぁいっか」という感じで、
そのデリに行っちゃうんですが、
彼らはそういう妥協をしないんですね。

道行く人を捕まえては、

「この辺りに小さなデリカテッセンの店はありませんか?」

そんなことを聞いて回っています。
聞かれたオバサンは、

「そこにデリがあるじゃない。」

と、いぶかしそうな顔をしながら、
件のデリカテッセンを指差しました。

「ん〜、そうじゃなくって、
 この地域でやっている小さい店がいいんです。」

そういうやりとりが何度かあって、
僕たちは、ようやく小さなスーパーを見つけました。
こういうことを日々実践しているらしいんですね。

正直言うと、頭では理解できても、
僕の感情は、彼らの行動に違和感を抱きました。
彼らの言い分は、やはり正しい。
でも、マクドナルドも、スターバックスも行くし、
吉野家が280円になると聞くと喜んじゃう、
そんな自分もここにいます。
確かに、それが大きな意味で、地域経済を破壊して、
おそらく環境破壊に荷担しているのでしょう。
でも、そういうものをただ否定すればいいのか?
本当に否定しきれるのか?
これは、日本、特に東京の生活者である自分にとって、
単純に割り切れない問題があります。

それに、彼らの持っている”潔癖さ”に、
少々恐れを抱いたのも確かです。
極度の潔癖さは、危険なものですからね。
それを裏付けるかのように、
1999年の9月、
僕がシアトル経由でアメリカを発った直後、
まさにそのシアトルで、WTOの暴動が発生しました。
そして、今年のジェノバサミット。
僕がアメリカで付き合っていた人たちが、
直接暴動に荷担していないのは確かとしても、
そういう”彼ら”がある一定数以上存在するからこそ、
抗議行動が発生し、暴動にまで至るのでしょう。

そして今後も、このような暴動は頻発するはずです。
1960年代末の反戦運動がそうであったように、
これらの動きは、欧米に限って言うのなら、
おそらく僕たちと同世代の共通体験になってきます。
というか、そういう事情を抜きにして、
現在進行形のサブ/カウンターカルチャーは語れない、
とさえ思うんです。
例えば、レイジアゲインストザマシーンという、
もう解散しちゃったロックバンドの歌詞の内容や、
ニューヨークのウォール街を白昼堂々占拠して、
ライブを行ったというエピソードも、
そういう”彼ら”の存在抜きには語れないのです。

僕が、アメリカまで行って見たかったことは、
果たしてこれだったんだろうか?
う〜ん、やっぱりこれが見たかったんだよなぁ。

全部とは言わないけど、バイクサマーは、
こういう人たちの中から生まれてきた。
これは事実です。
彼らの主張は、日本でよく見かける、

”環境に優しい自転車に乗りましょう”

というスローガンよりも、
具体的で、赤裸々で、
その分、かえって風通しの良い感じがしました。
しかし、この一連の動きが日本に飛び火することは、
どうもなさそうな気がしますね。
それがいいことなのか、悪いことなのかは、
今後20年くらいの間に判断されると思います。
でも、こういう思想やライフスタイルがあるということは、
やはり、キチッと紹介されるべきです。

Ride safe!

2001-08-14-TUE

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