自転車思想。
チャリンコは、未来そのものの顔をしている。

第40回 自転車をつくる女の子

こんにちは。

自転車でも何でも、深く入り込んで行く時は、
誰かの影響を受けて、というのが多いものです。
テレビでカッコ良く自転車に乗っていた俳優さんだったり、
自分のお兄さんであったり、サークルの先輩だったり、
付き合っている彼氏だったりしますよね。
僕にも、やはりそういう人がいます。

藤田さんという人は、もう7年くらい前に、
僕が通っていた美容室の担当美容師さんでした。
今じゃぁ、すっかり坊主頭一辺倒の僕ですが、
その当時は、音楽をやっていたこともあって、
赤やら、緑やら、ド派手な髪をしてたんですね。
その頃から自転車には乗ってましたが、
まぁ、とくにハマルということもなく、
何気な〜くチャリチャリッと自転車をこいでたんです。

ある時、髪をブリーチしてもらいながら、
藤田さんは聞き捨てならないことを言いました。

「私、自転車とか三輪車を作りたいんですよぉ。」

はぁ?
僕は、激しく興味をそそられました。

何でも、フレームというか、
自転車の車体の部分から全部作りたいそうなんです。
それも、単なる鉄パイプの溶接ではなくって、
FRPやカーボンといった素材を必要としそうな、
非常にデコラクティブなものです。
とりあえず、もとになる形を作ろうと思って、
自転車のフレームにパテで肉付けをしたんだけど、
いつのまにか重さが30〜40キロにもなってしまい、
ベランダの片隅にオブジェと化している、
そんな話をしてくれました。

そっかぁ、自転車って買うもんだとばっかり思ってたけど、
全部最初から作ることもできるのかぁ…。
さすがに今となっては、
そういうのも決して珍しくないんだ、
ということも知ってますが、
当時の僕には、全く想像もつかない、
それは自由な自転車(三輪車)世界でした。
そんな風に、三輪車を作りたい女の子なんて、
ちょっと面白いでしょう?

さて、藤田さんが作りたい三輪車が、
どのような形をしているか、というのを説明するのは、
かなり難しいことです。
まるでおとぎの国で、失敗ばっかりしている魔女が、
何ごとかブツブツ文句をいいながら乗ってる三輪車、
僕は、そんなイメージを受けました。
ただ可愛いだけではなくって、
独特の遊びとクセを持ったデザインなのです。

例えば、ある三輪車にはサドルがありません。
サドルがあるべき位置には、
らせん上のパイプが下に向かって渦を巻いています。
藤田さんによれば、その渦巻きが作る空間に、
子供がお気に入りのボール(ドッジボール大)を、
セットして、それをサドルにするそうです。
子供は、好きなボールに座って三輪車で遊びに行きます。
遊び場についたら、ボールを取り出してそれで遊ぶ。
帰る時は、またもやそのボールにまたがって、
家に帰るというコンセプトなのです。

もうひとつは、自転車のフレーム全体が、
細かくねじで分解できるようになっていて、
お父さんがねじを使って、
子供のためにフレームやハンドルの形を
自由に変えることができる、といったものでした。

「果たして、そんなデザインの三輪車はまともに走るのか?」

当然、そんな疑問も沸いてきます。
走らない、単なるオブジェであれば、
かえって作るのは簡単そうですよね。
しかし藤田さん曰く、

「走らなくっちゃ意味がない。」

ま、そりゃそうですね。
その造形的なデザインと、
(一応は)走行可能という2つの課題を両立させるのは、
僕がハタから見てても難しそうでした。
実際、彼女は10代の頃から自転車屋さんの門を叩いたり、
さまざまな模型を作っている友人の力を借りながらも、
なかなかスケッチの状態から進むことができません。
そういうものを制作する空間を手に入れることだって、
この東京では非常に難しいことです。

そんな風にして、
藤田さんが初めて三輪車を作りたい!と思い立ってから、
かれこれ10年近い歳月が過ぎて行ったのです。
いつのまにか、美容師を辞めてしまい、
真冬の北海道の牧場で働いたり、
自転車屋さんで働いたりもしてました。
今は、レストランでバイトしながら、
金属加工をやっている彼氏のお父さんから、
鉄の溶接を習っているんだそうです。

藤田さんの面白いところは、他にもあります。
駅前や、駐輪場に無残に捨てられている自転車の中から、
まだ乗れそうなものを見つけると、
修理して、キレイに磨いた上で再利用しているんです。
もちろん、
持ち主がわかってる場合は了解を取った上で、です。

そういう自転車を友人にプレゼントすることもあります。
そんな時は、その自転車がどれだけ無残な姿だったのか、
どういう風に手をかけて修理したのかを、
プレゼントする相手に説明した上で、渡しています。
そんなこと言われたら、もらった方だって
思わず大事にしちゃいますよねぇ。

さて、そういう藤田さんの夢の三輪車を、
何とかして実現させてあげたいなぁ、
と、僕は老婆心ならぬ老爺心を起こしました。
協力してくれる人を募集して、
制作する過程を「ほぼ日」にアップできないものか?
そんなことを胸に秘めつつ、
先週のある日、藤田さんを鼠穴に連れて行ったのです。
僕の担当である、シェフ武井さんと3人で、
彼女のスケッチを見ながら、小1時間くらい話をしました。

ま、僕の老爺心はやはり勇み足だったようです。
しばらく話をした後、彼女は静かに、でもキッパリと、

「どれだけ時間がかかってもいいから、
 私ひとりで作ります。
 もし完成したら、その時はお見せしますね。」

と言いました。
それを聞いて、シェフ武井さんもニッコリと一言。

「是非見たいです。持って来て下さい!」

う〜む、そうか…。
話の途中から、何となくそういう空気になってましたが、
それはそれで当然だ、と僕は思いました。
スケッチは、あくまでスケッチ。
その三輪車の”絵”は、
あくまで藤田さんの頭の中にあるんです。
それを、スケッチにするよりも、
もちろん、言葉で表現するよりも、
彼女自身が、納得の行くまで時間をかけて、
実物を作り上げること。
それが、藤田さんにとっての近道なのでしょう。

どっちかというと、言葉の人である僕は、
うらやましいような、
ちょっと悔しいような気分で、
藤田さんの言葉を聞きました。

2001-07-19-THU

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