じぶんで決める、じぶんの仕事。 『アルネ』の大橋歩さんに、糸井重里が聞きました。
 


第3回 ストリート出身のミュージシャンのように。

糸井 大橋さんは『平凡パンチ』の表紙に
23歳で起用されたのは、
何がよかったんだと思いますか?
つまり、「絵が上手だったのよ」っていう
答えじゃ、だめですよね?
大橋 全然だめでしょうね。
糸井 向こうが、この子に、
毎週やらせてみようって思わせる、
「何」を持ってたんでしょう。
大橋 うーん、まず、‥‥‥‥、
“若者が描いた”っていうことが
一つだと思うんですね。
糸井 ああ!
大橋 あとはその時代の“何か”。
私、そんなの意識してませんけれど、
空気みたいっていったら
おかしいですけれども、
絵が上手い、下手じゃないんですよ。
だからそういうものが、考えなく、
計算なく出ていたというか。
それを清水さんは
いいと思ってくださったんじゃないかなと
思うんですね。
糸井 僕は田舎の高校生として
よく覚えてるんですけど、
銀座みゆき通りっていうのがあって、
そこにはアイビーリーガースに憧れる、
お洒落に目覚めた若者たちが、
みんな、同じようなコットンパンツはいて、
行ったり来たり、こう、ときには
セメント袋とか持ってたんですよね。
大橋 (笑)はい。
糸井 ちょっとお年の方は
わかると思いますけど、
とにかく何ていうの、
独特の格好付け方っていうのが
どんどん出てきていたんです。
大橋さんは、その輪の中にいたから、
空気が一致したんじゃ、ないですよね?
お家で絵を描いてたわけですから、
みゆき通りを行ったり来たりしてた
わけじゃないですよね?
大橋 いえ、してました。
糸井 あ、両方してたんですか?!
大橋 私、学生の頃は、友達と一緒に
“VAN”や
“テイジンメンズショップ”に行ったりとか。
糸井 なるほど!
大橋 単に「ああ、かっこいいな」と、
男の子のファッションが
好きだったんです。
女性の既製服がまだまだよくなくて、
それなのに男の子の既製服は、
何でこんなにいいんだろうって。
「いいな、いいな」っていうところで、
ちょっと男の子を描いてみるとかね。
糸井 そうか、お客さんの側にいる
仲間の一人が
絵を描いてる状態だったんだ。
大橋 そうです、そうです。
糸井 そこはね、もう全然、絵からは
伝わってはくるんですけれど、
本人がまさかその渦の中にいるっていう、
匂いは、やっぱり、想像できなかったです。
大橋 あ、そうですか?
糸井 “絵描きさん”として見ちゃうんですね。
大橋 いや、そんなのは全然!
そういうふうな絵の描き方はしてなかったし、
そういうような自分でもなかったですね。
糸井 音楽でいえば、ホコ天出身ですね。じゃあ。
大橋 あ、そうですね(笑)!
糸井 散々練習し尽くして
プロとしてやっていけるよっていうまで
練習してやったバンドじゃないように、
絵も演奏しながらという感じで、
描いて描いてだんだん上手に
なっていくっていう。
大橋 そうですね。
糸井 それは、その清水さんていう方との、
二人三脚ですね!
大橋 そうですね、もう、
あの方が引っぱってくださったから。
で、表紙を描きながら
イラストの勉強してたっていうか。
糸井 うん‥‥えっ、“勉強”っていう
意識はあったんですか、まだ?
大橋 たとえば印刷の勉強みたいなのは、
「ああ、なんだ、印刷になると
 こういうことか!」とか、
それはもう毎回新鮮でしたね。
糸井 筆記具はクレパスでしたっけ?
大橋 クレパスっていうのは
実はさくらの商号なんですよ。
オイルパステルっていうんです。
糸井 オイルパステル。
大橋 で、私はぺんてるだったので、
それで描いてましたね。
糸井 ぺんてるのオイルパステル。
つまりみんながクレパスと
言ってしまいそうなものですね。
大橋 そうです、一般的にはクレパスといわれている。
糸井 味の素、みたいなことですね。
大橋 (笑)あ、はい。
糸井 それで描いてたわけですね。
その技法というのは習ったんですか?
大橋 いえいえ!
糸井 それが私に向いてるっていうのは、
どのように、決めたんですか?
大橋 イラストレーターになりたくて、
先生のところに絵を描いて
持って行っていたときには、
竹ペンとか、水彩とか、
そういうので描いていたんですね。
糸井 はい。
 
 
   
学生時代の習作。
「75点 手が小さい。非生産的な手」など、
きびしくもあたたかい言葉は、
恩師・河原淳さんによる添削。
大橋 私、山口はるみさんに憧れてましたので、
山口はるみさんの新聞広告を見て、
私もファッションイラストレーターに
なりたいって思ったものですから、
結局似せたような絵を描いちゃうんですよ。
  【註】
山口はるみ:イラストレーター。
西武百貨店宣伝部デザインルーム出身。
「PARCO」のポスターでの、
エアブラシを使ったイラストは、一世を風靡した。
糸井 はるみさんと、
大橋さんが(笑)!
大橋 全然今考えると違うんですけど(笑)。
その頃は、あ、もうこうやって
はるみさんみたいに描いていけば、
いつかはイラストレーターになれるなあと
思ってたんですけど。でも先生は、
「これではイラストレーターにはなれないよ」
って。
「あなただけしか描けないようなものを
 発見していかないとだめだよ」
っていうふうに言われて、
たまたま、あれは、うん、
何か夏休みだったか春休みだったか
忘れちゃったんですけども、
うちにあった、昔使ってた、ぼろぼろの、
色の数が揃ってないクレパスで、
絵を描いて友達に手紙を出したんですよ。
糸井 はい、
大橋 それで、あれ?これって、
もしかしたら、いいかもしれないなって。
糸井 向いてるって思ったんですね。
大橋 そうなんです。
それで、オイルパステルで描いて、
先生に持って行ったら、
前よりずっといいっていうことで、
それからはもうずっと。
糸井 今の若い子だったら
オイルパステルで描くって決めたら、
ちょっと勉強してみようって、
インターネットで調べて
オイルパステルで描く技法だとか、
世界の一番いいオイルパステルだとか、
オイルパステルを使った作家だとかを
あっという間に調べちゃいますよね。
で、こう描くのかって、
勉強しちゃうでしょうね。
で、そこでおしまいになっちゃいますよね。
大橋さんの時代には
そんなことを調べる手だてが‥‥。
大橋 ないですからね。
糸井 方法がないから、今日描いて、
明日描いて、明後日描いて、って。
大橋 それが、
何て言うんだろう、
“私らしいものができていった”
ということなんじゃないかなと思います。
糸井 つまりコンセプトを発見するとか
何とかっていうことを全然考えなくても
手がどんどん覚えてって、
技量が増していったり、
個性が身に付いていったり。
個性ってどっかから
身に付いてくるものですよね、きっと。
中から出てきたり、ついたり、
足したり引いたりするんだと思うんですけど、
やっていくことでしか、それは、
身に付いていかないんですよね。
大橋 はい。
 
(つづきます!)
2007-02-04-SUN
協力=クリエイションギャラリーG8/ガーディアン・ガーデン
 
 


(C) HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN