不思議な映画でした。
うまく言葉に言いあらわせないのですが
不思議な感覚です。
観ているときよりも、終ったあとから
涙が出てきます。
悲しいのか、つらいのか、嬉しいのか
感想を具体的な言葉にすることができません。
わからなかったわけでは、決してなく
よい映画でした。
きれいごとだけでなく、つらいだけでなく。

いろんな気持ちに触れすぎる
映画だったのかもしれません。
いっしょに生きるとか、親とか、結婚とか。
いつか年を重ねて、また見たなら
別の何かを感じるのかもしれないです。
(えん)


「トリック」や「ケイゾク」の監督が、
こういう題材の映画を撮ると、
こんな出来の良い映画に仕上がるんだなあ、と、
なんかシミジミ納得してしまいました。
余分な場面も、余分な説明もない、
作りたいという思いの凝縮した本当に良い作品でした。
(e)


「日常」を生きる自分をふと見直させてしまう、
そんな映画でした。
きっといろんな立場の、いろんな年代の人が、
それぞれにそう思ったことでしょう。

前半の仕事絶好調のときの、
謙さんの軽やかさが何故か心に残ります。
最後のシーンの切なさを上回るほど、
仕事をしている者にとって、
退職の日の後輩たちの感謝のお餞別は、
胸にひびきました。

まだ20代の友人が、母の日のプレゼントにと、
『明日の記憶』をお母さんと一緒に見に行ったそうです。
そんな見方もされてるんですよね。
(☆★☆ぞりちゃん☆★☆)


今日、夫とふたり、みて来ました。
休むまもなしに激しく働いている夫と。

ほんとうに いい映画でした。

そして私は見ました。
わたしの夫は、
謙さんの、結婚式の挨拶が終わったとき
拍手しそうになったのです!
後で、やっぱりそうだったのだと聞きました。

終わった後、席を立てませんでした。
しばらく、座っていたかった。
こんなことは初めてです。
(みぽち)


記憶って何だろう?
と見終わったあと、
長いこと友達と話しこんでいました。
記憶、記憶とぶつぶつ繰り返していたら、
いつしか「希望」という言葉が
くっついて出てきていました。

何でだかわからないけど、
記憶という言葉の対には
希望という言葉があるような気がしたのです。
でも、このふたつの言葉は
どこかすごく似ている気がしてならなくなった。

記憶が過去のものならば
希望は未来(=明日)のものです。

だから「明日の記憶」というタイトルは、
そのふたつの相対する言葉を並列上にもってくる
すごいタイトルだなぁと気づいたのです。

確かに作る側と見る側が向かいあってるのではなく、
まさしく「ベンチ」のように
隣に並ぶ不思議な映画だったような気がします。
それがこの映画の目的だったのかもしれないなぁ、と。

隣に座らせてくれてありがとう。とても暖かかったです。

映画をつくった人たちだけでなく、
私の今や過去、そしてこれからかかわってゆく人たち
みんなにこの言葉を伝えたいなぁと。

これが私の明日の記憶です。
(学)


映画『明日の記憶』をごらんになった感想を、
どうぞ「ほぼ日」までお送りください。



2006-06-02-FRI
とじる

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