第10回 危機を乗りこえる


青木さんのつくった
青森の美術館を見ていると、
「……彫刻ですねぇ」と
つい、言いたくなるんですよ。

いい詩でも、いい音楽でも、
心を動かされると、つい、
「彫刻」を連想してしまうんだけど、
こういうほめかたは、
もしかしたら、おかしいのかなぁ。
その場合の彫刻って、
どういうことを言っているんですか?
「彫りだす」
という意味なのかもしれないなぁ。
もうちょっと、その感覚を、
自分のなかで育ててみますけど。
ぼくの「彫刻」の印象は
「裏表がない」ということです。

絵画は、
裏から見たら成立しないけれども、
彫刻は、どこから見ても成立する……。
いま、青木さんは、
彫刻という言葉に、そういう
「ルール」を与えてくれたんですね。

彫刻もそうですけど、
あらゆる表現というのは、
もちろん、
「ああじゃない」「こうじゃない」
と細部にいたるまで
検討しなおせるわけです。

ただし、実際にのこされるものは、
あらゆるほかの可能性を排除した結果だし、
「あれは、やめた」
「これは、やめた」
の集積でもあるわけでして……。

ぼくが「彫刻」と言いたくなるのは、
「これでしかないもの」を
生むおもしろさ、なのかもしれないですね。
そういう意味では、
彫刻は、
「可能性を削っているもの」
とも言えるものですね。

じつは、
家をつくる過程でも
そういうことはあります。

どんなに
うまくいっている建築にも
かならず、
クライシスがあるんですよ。

クライアントのかたが、途中で、
イヤになってしまう時期なんですが、
そのいちばんの原因は、
「可能性が減った」ということです。
なるほどなぁ。
つくりはじめる前は
どんな建築でも、可能性は無限です。
まだ、なにも決めていないですから。

だからこそ、
ものすごく気にいった案でも、
自分の家の可能性が
ひとつにしぼられるという
「決断」があると……イヤになるんです。
あぁ、そういうときには、
クライアントには、
青木さんの嫌いな「儀式」が要りますね。
そうなんですよ!
糸井さん、よくわかりますねぇ……。
その「儀式」の中味は、
どういうものなんですか?
それは……
かなり、企業秘密に属します。
あぁ、なるほど。
そうなんでしょうねぇ……。
クライシスが
だいたい今日あたりだな、
というときは、わかります。

そのときは、抽象的にいえば、やはり
「元気づける」ということが必要ですね。
しびれるなぁ……!
「元気づける」かぁ。たしかに重要ですよ。
家の建築がむずかしいのは、
「なかに住む人の人生もかわっていく」
からだと思います。
人に影響しない建築は不可能ですし、
人に影響しすぎて、
その人をとじこめてしまうというのも、
イヤでしょう……そうなれば、
ミステリーみたいになってしまいます。
家が人を殺す、と言いますか。
そこで、どうすればいいのかを
建築家は、考えるわけですけど。
無味無臭では、下品ですもんね?
無味無臭だと、こまりますよね。
なんらかの強制条件というのは
出てきますけど、
その強制がイヤでないというか……。
結局のところは、
建築家のこれまで生きてきた
人生観みたいなものが開示されてしまう、
おそろしい仕事ですよね。

ミニマリズム(最小限度のかたちの連続)
に逃げてしまうというのは、
昔ならまだしも、今は認められませんし。

流行しているときには
それもいいとされていたけど、今なら
「それは、ずるいよ」
と、思われてしまいますもんね。
ええ。

いちばんの問題からは
逃避していると言いますか。
(次回に、つづきます)

2006-06-06-TUE


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