アムスでダンス。
J-POPはオランダの夜に流れる

第7回 スクワットという(不法でない)占拠


リオ吉がアムステルダムにやってきて、
まず仕事を見つけ、
次にやらなければいけなかったことは、
住む所を探すことでした。
着いてまず居着いていたのは、
レッドライト地区の真ん中にある
「ザ・シェルター」というホステル。
世界中にネットのあるユースホステル協会のホステルより
さらに一段安く、6年前には朝食込みで
一泊900円ほどで泊まれました。

宿泊者のほとんどが本物のバックパッカーなのですが、
一週間も住んでいると、明らかに旅行者でない
住人の顔が知れてきて仲良くなったものでした。
僕がいたころには、
難民住宅に入り切れなかったボスニア人や、
刑務所から刑期を終えて出てきたばかりの若者、
哲学的な旅する大道芸人なんかがいました。
リオ吉が働きだした和風居酒屋の
残った食べ物を持ち帰って分けると
みんなにほんとに喜んでもらえたのを思い出します。
そういえば理由はわからないのですが、
その場で警察に手錠を掛けられて
連れていかれた若者もいましたっけ。


僕にとって、懐かしのザ・シェルター
(ちょっとキレイになりました)


シェルターという名前の由来を聞くと、
第二次大戦後戻ってきたユダヤ系の人々や、
飾り窓で働く人々にシェルターを提供しだしたことから
このホステルが始まったからとのことでした。
アンネ・フランクの物語などで
ご存知の方も多いかと思いますが、
ナチス占領以前にアムスに住んでいて、
強制収容されたか、辛くも亡命できた
約8万人のユダヤ系の人々のうち、
戦後戻ってこれた人は2割ほどしかいなかったそうです。
もともとこのレッドライト地区の周辺も、
17世紀から綿々と続いた
ユダヤ人地区だったらしいのですが、
戦後空き家となった通りに、自然発生的に
飾り窓などが出来ていって今のような
雑多な街並みが作られたとのことでした。

なぜだか実は妙に気の合う奴らが多く、
話も深かったりして、なかなか面白い
シェルター生活だったのですが、特別な理由がない限り、
一ヶ月以上の滞在は許されていませんでしたので、
居酒屋での仕事に行く前や休みの日には、
新聞広告などに載った貸し部屋などを当たって、
とりあえずの住みかを探していました。

そんなつれづれのある日、
近くのコーヒーショップで一休みしていると、
スクワットの拠点を廻って
ダンス公演のツアーをしているという
チェコ人とロシア人のダンサー達に会いました。
リオ吉は実はその昔、激動のロシアに
住んでいたこともあって、話が弾んだものですから、
翌日の公演へ招待してくれることになりました。
港沿いの半廃墟となっていた大倉庫の建物を
「スクワット(座り込み占拠)」した人たちが、
カフェや小劇場などを運営しているところで行われた
彼らの公演は、パントマイムとコンテンポラリーダンスを
組み合わせたもので、リオ吉が今までに見た
ダンスパフォーマンスのなかでも
最も印象に残っているもののひとつです。

その時、ブコウスキーを穏やかにしたような感じの
初老のおじさんが、リオ吉の状況を聞いてくれました。

「僕も30年前に同じようにニューヨークへ
 いったものだった。ポケットに15ドルって感じでね。
 今この建物にはもう空いたスペースがないそうだが、
 町外れに僕らが住んでいるスクワットの村がある、
 もし本当にアムスで住むところが見つからなかったら、
 来てみるといい」

と言ってくれ、
それからスクワットという方法について
教えてくれました。

安楽死や売春、大麻に関する法律などとならんで、
オランダの法社会を特徴的に現すものとして、
スクワットに関するものがあります。

「一年以上空いており、
 使用されていない土地建物を占拠しても
 罪に問われない」

という規定があり、
これは土地や建物が投機目的で放置され、
住宅不足を引き起すことを防ぐ目的で通された
規定だそうです。
ただし実際に使用されているかどうかの判断は
常に変わり得るものですし、そういう建物を
居住可能な空間にすることには多大な努力を要しますので、
スクワットするにはそれなりの気合と覚悟と、
そして何よりも法的闘争になった場合の
自身の倫理の提示が必要とされます。

例えば前述したようなシアターや、映画館、
ベーガンカフェ(ベジタリアンより一段厳格で
牛乳や卵もNG)、ワークショップなどを協同組合形式で
運営していったりしながら、
市場原理や資本原理に対する対抗倫理を
提示しようとしている姿勢があることで、
そのような法律が生まれたり、
スクワットの活動が一般市民に受け入れられ、
ある程度支持されているのです。

ここにあるのは、一言で言うと「市民感覚」と
呼べるものかもしれません。
それは異なる文化背景を持った移民が多いという
土地柄からくるものでもあり、
オランダという国が形成されていく過程が、
ヨーロッパ各国に市民の概念が生まれ、
市民革命に繋がっていった時期と重なり合っていた、
という歴史的なことからくるものでもあるのでしょう。
17世紀に株や銀行のシステムを生み、
そのころにバブルも経て形成されていった
アムスの市民契約社会は、まずあらゆる人間に
普遍的なコモンセンスを認めたうえで、
人間の利害は完全には一致しない、
ゆえに貨幣や法律などによる契約によって
利害関係を結び調整する、そしてさらに
それらの市民契約を超えても一致しない利害関係が
生じるときは、生きる各個の人間としての
徹底した議論を認めようということにあるように思えます。


最近スクワットされたての建物。垂れ幕がでてます。

ところでリオ吉は、おかげさまで
スクワットをする必要に迫られる前に
間借り部屋が見つかりました。
アムスに来たころにはたくさんあった
スクワットの建物の多くは、景気の良かった90年代に、
元の所有者や新たな所有者によって、
きれいなオフィスやマンションに
建て替えられてしまいました。
それはそれでいいことでもあるのですが、
件のシアターのあった倉庫ビルも
すっかりおしゃれなオフィスビルに改築され、
もうあのような尖った雰囲気の場所でのシアターは
見られなくなってしまいました。
また90年代後半は、極端な住宅不足とインフレに陥り、
あまり高い家賃の払えない学生などの部屋不足は
深刻なものになっています。

といっていたら、2001年以降の
リセッション(景気後退)期に入ってほどほど経つ
最近は、空き家も再び目立ち始め、
家賃の払えない学生や
シェルターに住んでいるような人々によって、
新たにスクワットされる建物も出てきました。
そうやって時代は巡って行くんですね。

リオ吉

2003-11-13-THU


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