TV
テレビという神の老後。
電波少年T部長と青臭く話した。

第11回 あなたは、消費者を信用できますか?


土屋 「ほぼ日」でのイトイさんのタフさは、
もう……男のタフさ(笑)っていうか。
それは、北方謙三さんのような言葉で言えば
そうなるんですけど、そんなものを感じました。

電波少年的放送局の62時間の二日目に
「イトイさんのところに来るメールって、
 フィルターをかけていないんですか?
 直にすべてを読んでいるんですか?」
と聞いた時に、「そうだ」と言われて、
それは、ズドンと来ましたよ。

わたくしも、本日をもって
メールアドレスを公開することを
一応、やってみようと思いました。
糸井 おぉー。
土屋 しばらく、引き受けてみます。
ここに出ます(画面の下を指して)。
いま、出ました。
(※この会話は、6月8日の
  電波少年的放送局で放送されました)
糸井 テレビを抱えての発表だし、
これまでさまざまやってきた土屋さんですからね。
土屋 ま、とりあえず、引き受けてみようと。
怖くなったら
「おわります」と言やあいいさ。
糸井 そのとおりだと思う。
だらしない、という意見が
来ることも、目に見えていますからね。
どのぐらいひどい目にあるのかという
限度をうすうす知っていると、
何か、考えが出てきますよ。
土屋 いままで、直接の声に触れることは、
避けてましたからね。
自分でも避けていたし、
一応日本テレビの社員ですから、
避けられるんですよ。
でも、とりあえず
一回引き受けてみようかな、と思って。
その先には、何かあるのかなぁ?
糸井 特権というのは裏返すとハンデで、
守りたい特権というのが、
ぼく、けっこういくつか持っているんですよ。

みんなからすると、
「あいつチャラチャラしてて贅沢してるな」
と言われるような特権をいくつかキープしていて、
そこは無言で社員にもプレッシャーかけるんです。
グリーン車は必ず乗るし、
泊まる時も、俺が相部屋を望む以外は個室です。

このへんは、譲らないんですけど、
でもあとはだいたい、一見特権に見えるものが
特権じゃないということが明らかなんですよ。
だから、その権利はぜんぶ降りますね。

荷物持ちって、特権のように見えるけど
特権ではないですよね。
重いは重いけど、あれは人としての権利ですよね。
そういうことは、家族の中で
お父さんとして、さんざんやっているんですよ。
家族の中って、ノー特権じゃないですか。
いまのお父さんは特にそうですよね。

その特権じゃないものをキープすることで
わかることもたくさんある、というか、
メールを公開しないのも特権だけど、
メールを公開するのもそれはそれで特権で、
どちらの立場を取るにしても、
「こちらを引き受ける」と思えばいいことですよ。
土屋 やっぱり「エンドユーザー直」ということに
糸井さんは、こだわるところがあるんですか?
糸井 考えてもいなくて、
ぼくは当然そうするものだと思っていたんです。
ぼくが土屋さんとちょっと違うところが
あるとしたら、映されるがわに
多少はいた経験があるわけだし、
うしろ指さされる経験を、
ちょっと余計にしていたんです。

タレントさんとのつきあいも、
後ろ指さされる側どうしとして
しゃべれることも、たまにはありますよね。

「あれって、嫌だよね」
っていうのを、性根に持っているから、
スタッフからタレントさんを見る以上に、
その痛さをしっているんですよ。
だから、さらしてしまうということは
考えもしないで当然だったんです。

土屋さん、たぶん、
メールアドレス公開してよかったな、
って思うんじゃないでしょうか。
嫌なメールって、10日に1ぺんぐらいだよ?

メールを公開してそれを読んでいくと、
お客さんが何よりも、一緒に育ってくれる。
コンセプトのところで一緒に育つから、
とてもうれしいんです。

いま、ちょうど
横尾忠則さんから電話があったんですよ。
それも、うれしかったなぁ。
横尾さんは、いま、「ほぼ日」で販売している
ハラマキのデザインをしてくださっているんです。
そこに届いた読者の感想メールを転送すると、
ものすごくよろこんでくれたんです。

それを電話でかけてきてくださって、
「なんでメールをくれる人たちは、
 こんなにおもしろいことを
 わざわざ、教えてくれるの?」

そう言って、驚いていました。
「これはね、イトイくんがこの読者を作ったんだ。
 すごいことだよ。
 今までのアートの歴史には、
 こんなふうに、読者が一緒にアイデアを出したり
 新しい見方を教えてくれたことはなかった。

 こんな例は、ぼくは知らないよ!」
まるで怒っているかのような口調で、
そうおっしゃってくださったんです。

確かに、ふだんは
いろんなメールに毎日やまほど接しているから、
「あぁ、そんなものかな」と思うだけですけれど、
いまの「ほぼ日」ぐらいの規模の市場で、
毎日見てくれている人と作る側とが
一緒に育っているということは、実感がありますね。
土屋 実は、
ぼくら地上波のテレビをやっている人たちは、
視聴者を、信じていないんですよ。

見ている人のことを、かなり
ものがわからない人だと想定して、
その人たちにどう見せるかと工夫しているんです。

ものすごく悪い言い方をすると、もう、
「馬鹿にどう見せるか」と、みんな絶対に
クチには出さないけれども、どこかのところでは
みんながそう思っているようなフシがありますね。
糸井 あれだけの大きさのツールを持てば、
誰でもそうなりますよね。
土屋 確かに、何百万人、何千万人と見てくださる中には、
もちろん、そういう人たちも、いますよ。
その人たちも入れないと数にならないから、
「その人たちまで含めて全員をダマすためには……」
と、自分たちの持っている視聴者像を、
どんどん、ものすごく友達にしたくないところに
持っていってしまっている、
というか。
糸井 そうなっちゃいますよね。
土屋 そういう風になる仕組みだとは思うのですが、
そこが、とても怖いんです。
だから、視聴者に直に触れることが、怖い。
糸井 直に触れることはぼくも怖いんですけど、
怖いけど、球を打ち続けるんですよ。
そうしていたら、わかったことがあったんです。

わけのわからないことを言う人がいたとしても、
「何にもわからない人がいる」のではなくて、
「ある人間のそういう部分が出ていて、
 それと、たまたま接している」
ということが、わかったんですよ。
土屋 あぁ、ほんとは、そうなんでしょうねぇ。
糸井 うん、それはそうなんだと思う。

(つづきます)

2002-06-24-MON

BACK
戻る