TV
テレビという神の老後。
電波少年T部長と青臭く話した。

第10回 正力松太郎って、バケモノだよ


土屋 「テレビはダメだったって言うけれども、
 でも、こんなこともテレビはしたんだよ。
 あんなこともしたんだよ。
 これだけカバーしているわけだから、
 あって、よかったでしょう?」
とでも言わないかぎりは、
自分のテレビ界での20何年が
否定されてしまうというような感じがするんです。
糸井 それはさぁ、土屋さん、
もうこれは、深夜のともだちどうしの
話みたいになって、青臭すぎるんだけど、
そっから抜けないと、ダメなんじゃないですか。

土屋さんにとって、
それからおおぜいの人にとって、
「テレビがダメだったかどうか」
ということ自体が、ほんとうはどうでもいい。
土屋 あぁ、それはそうですね。
どうでもいいことだとは、わかってるんですよ。
糸井 わかったとたんに、
テレビをすっきり見れると思うなぁ。
土屋 ぼくも自分の理屈を疑うんです。
「テレビがダメだったとは言いたくない」
って、なんでそんなことを言ってるんだろうと。
糸井 それってさ、演劇の人たちが、
「どっちが芝居を愛しているか」
ということで飲み屋で論争して、
殴りあいのケンカになるみたいなことに
似ていませんか?

他の世界でもそうだけど、
「おまえは映画を愛してない!」とか。
釣り雑誌を作っている人たちどうしは、
どっちが釣りを愛しているかについて、
やっぱり、殴りあいのケンカをする。
土屋さんのさっきの話は、
極端にすると、それですよね?

それを言うと、阪神タイガースファンで
頭に「虎」ってかたどった髪型にしている人には、
どうしたって、阪神愛に関しては、
掛布さんも、かなわないわけじゃないですか。
だけど、掛布は掛布にならなければいけないわけで。
土屋 自分では、さっきのようなことを言うと、
「20何年間、テレビで給料をもらってきて、
 親子4人、そこで暮らしてきたんだ」
というポイントで、今現在の自分の
バランスが取れているような気がするんです。

自分の野望なのか、夢なのか、
世界でひとりかもしれない「係」なのか
それはわからないけれども、それらと
今の生活のバランスがとれる気がするから、
「テレビがダメだって言われたくない」
というようなことを、言ってるんでしょうね。
糸井 そうでしょうねぇ。
土屋 そこは、わかるんです。
糸井 「仮の宿」ですよね。

それだったら、正力松太郎まで
さかのぼって考えればじゃないですか。
正力松太郎が、新聞作ったり
テレビを作ったりしましたよね。

あれは、見事に、
「大勢の人と自分との間に、
 ビジネスチャンスがどうあるのか?」
ということを突き詰めて考えた、
欲望のるつぼのような仕事
ですもん。

「欲望のるつぼこそが、
 自分と人を活性化する! 金も生む!」

というあの考えって、すごいですよね。
新聞とは、と言いながら
正力松太郎はテレビをやっていたわけだから。
土屋 正力松太郎が、
「これからテレビは儲かるぞ!」と言って、
何言ってるんだと思われながらも、
「行くぞー!」って言って、
みんなはしょうがねぇなぁと思いながらも
ついていったら、それで50年、
何十万人がウハウハ言ってるんですから、
これはすごいですよ。
糸井 ものすごいですよね。
土屋 ぼくはこれはほんとに
いろんなところで言っているんですけど、
ぼくたちは、基本的に、
正力松太郎の遺産で食ってるんですよね。
それをどこかで恥ずかしいと思わないと……。
糸井 その時に、正力の遺産として、
「この暖簾をまもります」と言うよりは、
正力が考えていたことっていうのは、その内実は
人間を見ていたということだけだと思うんです。

「人間には祭りが必要で、
 俺がやっていきたいものは、これだ!」
みたいな勘は、バケモノ
ですよね。

ぼく、土屋さんがこの番組で
喋っている姿を何度も見たんだけど、
「商社に勤めていたかもしれない」
って、おっしゃっていたじゃないですか。
そうだろうなぁ、と思ったんですよ。
あれは、ヒントになると思った。
商社になったとしても、
商社愛について土屋さんは語れただろうけど、
「商社愛については、どっちでもいい」
って言った時の土屋さんのほうが、
「土屋さんらしい」っていう気がするんですね。

もうふたりぐらい、テレビ仲間で
そういう人がいたら、土屋さんの悩みは
一気に解決するような気がするなぁ。
ぼくはやっぱり、テレビの外側の人間として
喋っているから、あんまり説得力ないんですけど。

ただ、ぼくにとっては、広告がそうで、
ぼくは広告にものすごく向いていたんですね。
だけど、そこからすこしずらしていって、
いまはコミュニケーションという言葉のほうに
自分のやりたいことをシフトで変えていく、というか。

広告でやりたいことも
実際に基本的にはコミュニケーションなんで。
人と人とがわかりあうことでうまれる
エネルギーとかよろこびとか金とか、
そういうものに関わっていることが、
俺にとって、得意なことで
使命にもなるものだったんです。
広告屋として広告を愛しているとは言えないもの。
土屋 いま話を聞いていると、
電波少年的放送局でやっていることの終着点は、
もしかしたら、テレビじゃないかもしれない。
「テレビ、ダメだったじゃん」
と言われるかどうかは捨てて、
そんなこと、どうだっていいじゃん、
という気持ちには、ちょっとなってきましたね。
糸井 「テレビがダメなのに、
 土屋さんは、もっといいものを見つけた」
というように、人はちゃんと理解すると思いますよ。

ぼくはインターネットに関わることで
時折インターネットの代弁者のように言われますが、
でも、ぼくはインターネットを
かばったことはないんです。
インターネットは、確かにすごい道具で、
ありがたいものだけれど、
もしインターネットがなくなっても、
ほんとうは、かまわないんですよ。
インターネットで得た恩恵が
なくなるのがいやだ、というぐらいです。

(つづきます)

2002-06-21-FRI

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