TV
テレビという神の老後。
電波少年T部長と青臭く話した。

第8回 自分も大事にしないと、仲間を作れない


糸井 いま、土屋さんがおっしゃった、
「よりおおぜいの人に
 『よかったよ』と言われたい」
「より深く『ほんとによかった!』と言われたい」
というふたつのどちらに行きたいか、
っていうのは、ほんと、大きいものだと思います。
土屋 なんか、テレビは、50年の歴史の
最初のほうは、「よかったぁ!」って
言われるところにいたと思う。
糸井 確かに、テレビは
そういう位置に、いたよねぇ〜。
土屋 たぶんテレビは、
よりおおぜいのほうに行ったと思うんです。
最初はひとりに「よかった!」と言われた。
次の日はふたり、その次の日5人、
それがうれしくて次は1000人だ、100万人だ、
というように、やっちゃった……。
糸井 そのことは、ぼくもそんなに
大きい市場を持っているわけじゃないくせに
昔から考えていたことなんです。
つまり、そこでまたポルノの比喩ですが、
「もう一回やって」と言われた時に、ぼくは
「俺はもう、立たねぇんだよ」
と言いたいタイプなんです。

そこで一回休憩にするのか、
もしくはチンコを使わないでやるか、
その都度、自分を退屈させない、
動機のある仕事をやりたいんです。
見つかるまで待つ。
見つかるまで待つ、ぐらいに言うと、
見つかるんですよ……。

俺、電波少年的放送局への出演って、
事業として考えたらやる意味がないですよ(笑)。
土屋 (笑)ないです。
糸井 でも、土屋さんのオファーは、
なんか俺のチンコに訴えかけるポルノだったんです。
あの監督の前でなら、やってみたい、というか(笑)。
「不様だったなぁ」と言って帰ってくる場面は
もう目にみえているんですけど。
でも、やりたい時は、それでありだと思うんです。
土屋 いま話しているようなことを、
ぼくも今も昼間に、今100万人なら
次は120万人だ、なんてことを言いながら、
「テレビとは何だろう」
って考えていると、ふと、
「テレビって何かと言ったら、
 やっぱり、見ている人を
 豊かにするもの、なんだよなぁ」

と思ったんです。見てくれた人の
その後の人生が豊かになるというか。

そういう考えの分岐点が、今は
だいたい5日ごとに来るんですけど。

いまみたいに思ったとしたら、
「じゃあ、豊かになるって何だろう?」
とまた5日ぐらい考えているというか……。
糸井 電波少年的放送局で
土屋さんが他の出演者と喋っているのも
お見かけして、思うことがあるんです。
「あ、この人とぼくは少しだけ違うな」
と感じた部分なんです。

それはたぶん年齢の違いだと思うのですが、
ぼくも土屋さんのように暮らしていた時代が
長かったんですよ。
それがぼくの人気だったんです。
つまり、かつてのぼくの考えは、
「俺の欲望はどうでもいいし、
 俺はどうなったっていいから、
 祭りを絶えず作っていく」

というのであって、
人間性としては、アナーキーなおもしろいやつ、
っていうところだったんです。

釣りをしている時までが、
いちばんそういう人だった。
でも、釣りをしていると、
自分の欲望がふつふつと沸いてくるんです。
自分以外に頼るもののない世界にいる中で、
「あ、自分の欲望って、あったじゃない」
と思ったんです。
自分のしたいことが何なのかっていうことが、
目の前の一匹を釣りたいというのとは別に
沸いてきたんですよ。

それまでは、自分のことは
幸せにしなくていいから、
おもしろいことをしたい、という、
言わば自分の命を大事にしない人間として
ある小さな世界のスターだったと思うんです。

でも、「それは無理だ」と思った。
それは、やりつづけられない。
なぜかと言うと、命を大事にしないスタンスでは、
「俺のやっていることを、手伝ってくれ」
とお願いできないからなんです。

土屋さんの皮ジャンの後ろ姿が
テレビカメラに映っている時って、
土屋さんの欲望を喋っているんじゃなくて
みんなの欲望の代弁者なんですね。
だけど、ほんとうに人を口説く時って、
それは土屋さん個人の欲望と重なっていないと、
相手は説得されないんですよ。
つまり、
「テレビがあるから結婚してください」
とは言えないんです。
でも、目の前にいる人に
本気で手伝ってほしい時には、もう、
「みんなのためにも俺のためにも
 結婚してください」
に近いことになる、というか。

お前がどうなるか、という、
持てない責任を持ったふりまでしながら
口説かなければいけなくなる……。
その時には、自分の欲しいものとは何かとか、
自分の幸せとは何かっていうようなことは、
言葉で言えないかもしれないけれども、
それを持っていないと、ほんとうに
命がけの仲間を作れない
んですね。
で、ぼくは、自分の欲望を言う人に
なっていったと思うんです。

こないだ土屋さんとお話をした時に、
まるでからかうように言ったのは悪かったんだけど、
「給料以上のリスクは取れない」
という言い方がありましたよね。
あれは、キャッチーなひとことだったから、
忘れられない言葉になっちゃっただろうけど、
そこで語られていたことの正体って、
「給料以上のリスクをとれるか」
ということでもあり、
「給料以上の欲望はあるか」
ということでもあり、さらに、
「自分のしあわせは何か」
という話なんだと思うんですよ。

たとえば、奥さんとふたりで話している時に、
「あんた、そんなにして、何になるの?
 わたしのためのあなたなんだから」
とリアルに言われた時に、
自分の欲望はどうでもいいと考えながら
働いている人は、困ると思うんですね。

でも、ぼくは、
自分の欲望にも忠実になるようにして、ようやく、
「いや、いまやっていることは、
 自分のためでもあるし、
 おまえのためでもあるんだぜ」
と言えるようになった、というか……。
土屋 あぁ、なるほど。
糸井 動機のある仕事をやりたくなったんです。
それをいちばんできやすい道具が
インターネットだったから、
インターネットを使うことにしたんですけど。
そうしてはじめた「ほぼ日」は、
「本気でやってくれる?」というところで
スタッフに話してきて作られてます。

ただ、よく誤解されるのが、
ぼくは社員にちゃんといい給料を払って
スタッフは満足に生活をしているはずなのに、
「イトイさんのところは、
 スタッフがボランティアで働いているんだ」
と言われるところなんです。
「ほぼ日」の紙面から、そう見えるということは、
それは自分の表現が、
「それだけ動機のある人と仕事をしたい」
というようになっているからだと思います。

「来年給料に半分になるけど、やる?」
ともし今言ったとしたら、
半分の社員は、ついてくると思うんです。
それを言えるというのは、
みんなのため、というよりは、
「イトイも本気でやるに決まっている」
というのが理解されているというか、
自分というものの賭けかたなんじゃないでしょうか。

自分の欲望を大事にしないで
おもしろいことだけをやりたいか、
それとも、自分の欲望も大事にするか、
という差が、土屋さんの年齢と
いまの俺の年齢との間にあった、大事件だったんです。
土屋 やっぱり、そう言われると、
今のぼくは、テレビに対する滅私奉公ですよね。
ぜんぶ、なんでもいいから……。
糸井 現場をとにかく作りたい、っていう感じですよね。
それはわかるんです。

(つづきます)

2002-06-19-WED

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