TV
テレビという神の老後。
電波少年T部長と青臭く話した。

第6回 設計図のない商品づくり


糸井 「ノーカットにせざるをえないぐらいに
 話題が切れていたり、余分な間があるところを
 ノーカットじゃないかたちで作る」
ということが、最近、本を作る時に、
できはじめているんです。
土屋 へぇー。
糸井 間があきっぱなしの100章のものを、
まとめすぎちゃうわけでもなく、
ノーカットにするわけでもなく、
ブチぎりの会話を89章ぐらいでつなげると、
ちょうど「いい具合」になるんですよ。
実は、そっちのほうがおもしろい、ってわかった。

ぼくは「ほぼ日」を、
コンセプチュアルアートのようにはじめたんです。
休みましょう、タバコもつけましょう、と。

ぜんぶを入れたほうが、今までになかったものが
できるんじゃないかなぁと思ってはじめました。
でも、完成させるために少しコストをかけたら
もっとおもしろいというのが見えてきた。

もちろん、その先には
「今までどおりのものになってしまう」
という罠が待っているかもしれないんだけど、
今、ぼくは敢えてそこに行こうと思っているんです。
きっと、中間があるんですよ。
今は、本を作る時に、言いっぱなしをやめて、
つなげるとか切るとかいうことをやりはじめました。

そうしたら、作りはじめる時には
そこにはなかったはずの、ある「完成型」が
浮き出てくる
というか……ちょうどもうすぐ出版の
『海馬』『調理場という戦場』というふたつの本は、
もともとブツ切りの会話だったものに、
流れを作ってできあがったんですよ。

刷りあがったら土屋さんにもお渡ししますけど、
ほんとはブツ切りだったものが、
こんな風になるんだったらいいなぁ、
と思える本ができたんです。

ウォーホールの時代から30年の中で
さんざん実験があった。
だけど、それに足をとられないで、
でもウォーホールの方法論を知っていながら
消化していくやりかたが、ネットと出版で、
もしかしたらできるんじゃないかなぁと思うんです。
テレビも、もしかしたらそういう方向も、
あるんじゃないでしょうか。
土屋 そこは、卓越した編集能力みたいなものが
ないといけないわけで。

ぼくの以前の対談を、
編集者がまとめてくださった時に、
ゲラチェックがあるんですよね。

それはもともと縮めてあるんですけれども、
あれを読むと「悲しいなぁ」というか、
「こういうチェックみたいなことを、
 オレはほんとはやっちゃいけないな」
とは思うけれども、申し訳ないけれども
一応ゲラチェックをさせてください、
というかたちにしてあるんです。

それで、原稿が届くと……
ものすごく直すんですよ。
糸井 それは、あるよね。
たくさんの分量があったものが、
ものすごく薄くなっているから、
会話の中にあった「汁っ気」が飛ぶ
んだよね。
土屋 ええ。
なおかつ、
「あの時は気分でいろいろ話したけど、
 これはちょっとなぁ」
というセリフがいくつかあるわけで。

でもそれを訂正してしまうと、
ぼくの発言を受けて相手は喋っているはずの
その後の会話がつながらなかったりするんです。
そうなってくると、ゲラが行ったり来たりする中で
限度がないじゃないですか。
どこかで、ポーンと決めなきゃいけないわけで。

その過程を見ていて、
「これは、いかんなぁ」と思った。
だったら、もう、
「じゃあ、ゲラチェックいいですから、
 あなたという編集者を信じますから、
 あなたの好きなように切り刻んでください」
と言わないと、たぶんいかんのだろうなぁ、と。
本人がゲラチェックすると、キリがないですよ。
糸井 そんなに任せられる編集者が
いるかっていうと、なかなかいない。

その問題って、
フォルムの問題だけのような気がするんです。
二時間ぐらいの対談でしたか?
土屋 そうですね。
糸井 最終的な原稿は何枚でしたか?
土屋 えーっと、このぐらいの本で、8ページぐらい。
糸井 2時間と8ページっていう
分量の問題のように思えるんですよ。
ちょうどいい分量は、2時間の対談なら、
100ページにまとめられたら、
要らないところは要らないってできるし、
要るところはすべて盛り込める。
でも、100ページの本ってないですよね。

商品として、雑誌に100ページは無理だし、
単行本で100ページは薄すぎるんですよ。
結局のところ、メディアという容れものの
商品としての分量配分に負けちゃっているのが、
いままでの時代の取材なり対談ですよね。

ぼくは、そこのところを、
自分たちの好きな量まで、本人どうしが
徹底的にゲラチェックしたらこうなるよ、
というものだったら、オッケーだと思うんですよ。
それを、「ほぼ日」のチームの事業体として
できる仕組みができたとしたら、
「ほぼ日」から出る本は
明らかに毎回おもしろくなるはずでしょう。

100ページが、商品として足りないというのであれば、
俺と対談相手の土屋さんが、もう一回会って、
ぜんぜん違う話をもう100ページぶんやろうよ、
ってなったら、更に情報が加わって、
商品としては200ページぶんのものができる。
3時間とか6時間ずつ、時間を重ねながらやれば
それはできることなんです。
そういう方法で作っていけば、
「いちばん手がかかるけれども、
 設計図のない商品づくり」

を、敢えて引き受けることができる。

そして、たくさんは作れないけれども、
必ず読みたい人のところに届く方法を、
今度はぼくがビジネスマンとして考える。
そうやっていくと、なんか、
満足のいく仕事の連続になるんじゃないかなぁ、
と期待しているんですね。
土屋 なるほど。

(つづきます)

2002-06-17-MON

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