TV
テレビという神の老後。
電波少年T部長と青臭く話した。

第1回 フィクションとノンフィクションの境界


土屋 こないだ、夜中に2日連続して
糸井さんといろんな話をしたことは、
経験として、すごく大きかったですよ。
糸井 ぼくにとっても、大きかったです。
土屋 今日はインタビュアーなので先に言うと、
ああやって夜に話したことで、
ますます、ぼくはやっぱり、
「テレビって何なのかなぁ?」ということを
もういちど悩みはじめたというか。
……そこがいちばんおもしろいんですけど。
糸井 うん。
土屋 あのあとしばらくして、ずっと考えてみて、
4日5日経ってみて、
「あぁ、わかった、自分の仕事がわかった。
 自分の仕事は、
 『テレビとは何かということを考える係』だ」
って思ったんです。
糸井 あぁ、つまり、日テレの中に研究所があって、
土屋さんは、そこの「研究所員」なんだね?(笑)
土屋 (笑)うん。
たぶん、そこが好きだし、
「テレビとは何か?」を考えることは、
今までの経験からしても、割と得意っていうか。

世界や日本の中で、いろいろな係があるとすると、
今までは自分が何の係か、わからなかったんです。
でも、
「あ、そうだ、テレビは何なのかを考える係だ」
と思いついた時に、すごくフィットしたんです。
糸井 土屋さんみたいに
現場を知っててテレビを考える係をやる人って、
今まで、ひとりもいなかったかもしれないですね。
土屋 そうかもしれない。
糸井さんとの3日間がおわって4〜5日考えて
思ったこととしては、
それがいちばん大きかったです。
糸井 ぼくはすっかり日常に追われているわけだけど、
ふだんの仕事の中で会議をしていると、
みんなもわかっていないし
自分でもわかっていないことを
いろいろな角度から聞かれますよね。
ただ、ぼくの答えることは、
相手によってぜんぶ違ってくるんですよ。
電波少年的放送局の中でも、
それが終わったあとに
「どうでしたか?」と聞かれた時も、
ほんとにそうだったなぁと思いました。

目の前にいる相手の問題意識に合わせて
自分が語っていることを通して、喋りながら、
「あ、自分はこんなことを考えているんだ?」
と気づいていくみたいな……。
もともと、そういうタイプなんですけれども。

すでにしっかりした思考があって、
それを開陳しているわけじゃなくて、
反射した時に、
「おぉ、オレってこういう人間だったか」
ってわかるというか。
おそらく、土屋さんもそういうタイプですよね?
土屋 そうですね。
ぼくもどちらかというとそうです。
糸井 お互いに、無責任と言えば無責任で(笑)。
土屋 けっこう出たとこ勝負なんですよね。
今日なんかも、
「じゃあ、こうしてああして」
っていうことは、
まったく考えないほうがいいだろうと。

現在も何も考えない状態で来て、
よく言われるコラボレーションみたいなことに
近いのかもしれないけれども、
「糸井さんとこうして会って話す2時間で、
 何が自分の中に残るんだろうなぁ?」

ということにたぶん興味があるんです。

さっきのお話、
「どなたかに電波少年に出たことを喋る」
って、具体的に言うと、どういうことですか?
糸井 例えば、自分では
すごく小さな自前のメディアを持っていて、
それは出入り自由なんだけど、
ぼくをよく知っている人だとか、
知ることをそんなにイヤじゃないと
思ってくれている人が毎日来てくれている。

それをずっと相手にしているということは、
とてもカラダにいいんですよ。
「誰かにお神輿を担がれている」状態。
ただ、担がれている責任は、
ピリピリ感じているわけですけれども。

ただ、その状態をくりかえしていると、
自分が円の中心にいるというその円が、
うずまきがだんだん外側に向かって
緩やかに大きくなるというかたちでしか、
活気が、大きくなっていかないんですよね。
「それは、いけないんだ」
って、ふだんから思っているんです。

事故が起きてしまったけれど、
それに対応してどう飛び退いたかとか、
どうその事故を誤魔化したかとか、
そういうことも含めて、
自分のやれることというのは
増えていくと思うんです。

意外なところからの刺激とぶつかって
波にもまれちゃったことで
自分が変化していくというか、
いろいろなことができやすくなっていく。

今回の電波少年的放送局のような企画は、
テレビがなくてやるとしたら、
単に今までの延長線上で、
「やれることをやる」というように
なっただろうなぁ、と思います。
「これは無理だ」とは言うものの、
やれる範囲のことをやってしまったでしょう。
土屋 うん。
糸井 でも今回の企画は、
「できないかもしれない」
と思ってはじめたんです。
実際、誰かに「やれ」って言ったら、
いやなことだったと思うんです。

テレビだからこそ
やれないことをやりたいと思ったし、
できなかったらできなかったで、
その時に自分がどう動くかを
見てみたかったんです。
それと、
その不様な様子を見せたかった、
ということもあるんですけど、
「テレビがなかったら、やらないな」
と思ったんです。

人数からしたら、
電波少年的放送局の会員の数が4000ですから、
あの中での視聴率を考えると、
多く見積もっても、500ぐらいでしょう。
土屋 そうですね。
多く見積もっても、500です。
糸井 いちばん少ない時は、ひとケタかもしれない。
土屋 5人とか3人とか(笑)。
糸井 でも、その数でもテレビなんですよね。
テレビっていう名前がついているからテレビ。
そこが、今までぼくの考えていたテレビ像と
違うおもしろさだったんですよ。

インターネットを見ている人よりも
少ない数しか観られていないテレビでも、
テレビだからこそできたことがあった。
そこに、テレビというブランドの
おそろしさを知って、
「それは、何なんだろう?」
と思ったんです。

いろいろと来てくださったゲストの方々には、
イトイだから来てくれた、という場合も
あったと思うんけれど、それだけじゃなくて
やっぱりあの鮮明な画面で、一応どこかに
届けられているということのすごさがある。

5人なり3人なりにでも届けられている
その川の流れの音が、
テレビには感じられるからこそ、
あそこに来てくれた人はすこし緊張したり、
すこし無理にリラックスしたり、
いろいろとしてくれたんだろうなぁと思いました。

インターネットだと、
多くの人が見てくれているとは言っても、
その川のせせらぎが聴こえてこないんですよ。
だから、一緒にやらないとできなかった。

・・・とすると、
これをもっとおもしろくできるような
テレビとのタッグの組みかたを
考えたくなるんですね。
単に拡声器を大きくしたようなものではなく
テレビを使うとしたら、どうするのかなぁ?と。

いま言ったようなことが、
人から「電波に出てどう思った?」と聞かれた時に
いちばん最初に言う話ですね。
土屋 うん。
糸井 それと、もうひとつあの経験を通して
考えたことがあるとしたら、
「ドキュメンタリーとドラマ」についてですね。

ノンフィクションとフィクションの
境い目みたいなところを、土屋さんは、
『電波少年』や『ウリナリ』とかで
いつでも追求しているけれども、
ぼくもそこにはとても興味があるんです。

ぼくは、ポルノっていうのは
すごく好きなんです。
「ポルノグラフィって何なんだろう?」
って思うんです。
自分で性的に興味があるからこそ
スケベなものに向かうわけだけど、
ポルノの中でおこなわれていることって、
ほんとうの性とは何の関係もない場合が多い。

でも、ほんとうにいろんな工夫があって、
そのポルノの中でのさまざまな工夫って、
その工夫自体で本を書けるぐらいに
さまざまなものが盛りこまれていますよね。

民族性があったり個性があったり
商業的な成功や失敗があったり、
犯罪に辿り着いたり、
「欲望を共有する場」の作り方が
ものすごく多種多様だなぁと思うんです。

ポルノのいちばんのズルさって、
「作らないに近いところに持っていく」
という形態だと思うんです。
つまり、演技のできない人を使う、
という方法を、日本人が考えましたよね。
いろいろな監督がインタビューをして、
その子がどんな子かを表現してゆく。
そのあと、襲いかからせてしまえば、
当然、即時的に反応しますよね?

それを撮ることが
ドキュメンタリーとして観て
いちばんこわいものになるというか、
ビビッドにひきつけられるというか。
それに似せたフィクションを
山ほど作るのが、ポルノですよね。

ぼくは、土屋さんのことを、前々から
テレビ界のポルノ作家だと思っていて……。
土屋 (笑)
糸井 芝居でやるというポルノと、
セミドキュメンタリーというポルノと、
両方をやっている。
「人間を追いこんだ時には、地が出ちゃう」
という場所を作れば、
何にもできない子でも、素で
ここまで表現をできてしまうというか。

変な言い方になっちゃいますが、
チンポコを入れて声が出てしまうことは、
演技ではないというか、
人はそちらを求めている、ということを、
土屋さんはすごく追求している。

もうひとつのポルノの潮流は、
パンツをはきまくっているんだけど
性を表現しているものも、ありますよね?
土屋 ええ。
糸井 その両方がおもしろいんです。
ぼくのことを言うと、
素ではドキュメンタリーに近いものを
好むと思うのですが、作り手としては、
「こんなにあぶなっかしい場面を、
 全員がある意図を持って創作しているとしたら、
 そのチームの理性のすごさは、何?」

という感心のしかたも、あるんです。

ドキュメンタリーとフィクションの
ふたつのポルノの潮流の混ざったものが、
ぼくと土屋さんが組みあわさることで、
あそこの電波少年的放送局の場所に、
生まれちゃったんじゃないかと思ったんです。

「新しいポルノとは何か?」
を考えるもとに、
あの62時間がなっていると
おもしろいなぁ、と言いますか。
土屋 ぼくはいつも、
いわゆるノンフィクションっぽいことを
やっているんですけれども、
常にカメラというものを持っているわけです。
カメラの圧力みたいなものが
人間にどういう影響を与えるか
ということを、
どこかで常に意識しているんです。

だから、今回のスタジオで人がいないで
カメラだけがある。
純粋にカメラの圧力だけになった時に、
ノンフィクションとフィクションの
境い目が見えるという気がするんです。

人間って、カメラがあった瞬間に
どう捉えていても、フィクションの瞬間と
ノンフィクションの瞬間があります。
その入れかわりが、ずっと放送されている。
カットすることはありえない、となった時に
フィクションとノンフィクションの中で
人間が揺らいでいく感じが、
見えるんだなぁ、と思うんですよね。

(つづきます)  

2002-06-10-MON

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