アートとマーケの幸福な結婚。
ポストペットの八谷さんと、
彼の船出。

第19回 多摩支店のくせに、生意気なことを(笑)



今回からは、ポケットボード側のお話です。
ポケットボードをつくるのは、
ほとんど、ひとりのかたの企画でできたのです。
この写真の、増田智子さんというひと。
まずは、ドコモにつとめてはじめのときのお話です。

糸井 増田さんって若いですよね。
・・・60はいってない(笑)。
八谷 ポケットボード、出たの何年ですか?
増田 98年の12月なんですよ。
糸井 俺、その出た日の広告覚えてる。
これだよー!って思ったもん。
あれは、新聞開いて相当びっくりした。
増田さんって担当部署みたいなのは何だったの?
増田 新ビジネス企画っていって、
新しいビジネスをどんどんやりましょうという。
糸井 そういうことをやるために入ってきたの?
それともどっかからそこに?
増田 普通にルートセールスから。
八谷 あ、最初に紹介していいですか?
今回、増田さんもぜひ一緒に、と思ったのは、
クリエイティブについて
僕もちゃんと考えたいと思っていて、
増田さんは自分の知っている限りで・・・
例えば、ぼくらの同業者で
クリエイティブなのは当たり前なんですけど、
増田さんは実際ビジネスの現場にいながら
えらいクリエイティブな人なんですよ。
なんか絵を描いてるからクリエイティブ、
とかじゃなくて、
ビジネスの現場でやってること自体が
クリエイティブに見える。
何かそのへんで話を聞けるんじゃないか、と。
糸井 その発見をしたのは会う前?
八谷 会って苦労話をいろいろきいて、
三鷹のときの話とか、
ぼくらが3人でやったことを、
この人ひとりで体をはってやってきたんだ、とか。
真鍋 しかもまわり逆風だらけの
環境のなかでやってきてるから。
糸井 ここってそういう話が多いよね。
八谷 ぼくらの話は奇跡に近いけど、
増田さんの話は、もう少し、
読んでる人たちにとって近いと思います。
「うわー。このひとがここまで
 やれたんだったら、私にもできる!」
とかって。
増田 そう思ってもらえるとうれしいですよね。

みんなの適職は何?っていうときに
わたしは「バスガイドだな」って。
お子さんとかにすごい人気あるんで。
みんながそういう風に。
飲み屋のスナックとかに言っても
お姉さんとかにいつも
すごいかわいがってもらって。
やっぱり美しさという点で
バッティングしないことは重要なのね、
とか思って。

けっこう保険の勧誘率とかいいんじゃないか
とか、会社に来てる保険のおばさんに
「あんたこれからうち来なさいよ。
 いまよりいい給料もらえるわよ」
って言われてて。

うちの会社も
モバイルモバイルって言われてるけど、
さっぱりわからなくて、
メールなんてあることすら知らなくって、
プロバイダっていったい何だかわからない、
今さらひとにはきけないし・・・
という感じだったし。
メールも、ただ置いてあるパソコンで
何でもできると思ってたけど、
電話線が要るということも知らなくて(笑)。

わたしがいた支店には
マックがたった1台あって、
それをわたしが使えるようになったんですね。
そうしたら会社の広告をつくる係になって、
「立川の多摩地区版の新聞のところに
 広告をつくるように考えていいよ」
とかって言われてそこを使って、
ちょうど甲子園の球児が出ている
「白球」みたいななかに
モバイルツールの宣伝があって。
そんなのつくれるの私だけだったから、
ちょっと広告屋気取りになって、
ただ会社はモバイルと言っている。
・・・私まったくわからないし、
こんなことでうちの会社は大丈夫だろうかと。
糸井 そのときは多摩支店にいたのに
「モバイルって言ってて大丈夫だろうか?」
って、生意気なことを(笑)!!
またこのパターンよ(笑)。
増田 その頃は倉庫番みたいなことをしてたんで。
糸井 社長になりかわってるんでしょ?もう既に。
増田 うん。倉庫番をしながら、
「会社は大丈夫だろうか」って。
糸井 (笑)すごいなー。

(つづく)

2000-04-26-WED

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