アートとマーケの幸福な結婚。
ポストペットの八谷さんと、
彼の船出。

第13回 幸喜さんが加わったことについて


↑プログラム担当の幸喜俊さん。クールな男。
メディアアーティストな八谷和彦さんと、
「モモ」をつくった真鍋奈見江さんという
華やかなふたりに一見隠れがちなかただけど、
とっても重要なひとなのは、わかりますよね?

なぜかとゆうと、
鋭い企画とかわいいデザインがあっても
「うん、それ、できるよ」
と幸喜さんが言ってプログラムしなければ、
最終的にはかたちに結実してゆかないからです。

八谷さんは、前回、
「C言語を知らないからこそ、無茶な注文ができる」
と言っていましたよね。
そういう注文をするふたりと組んで
電脳関係を一手にひきうけた幸喜さんのお話を、
今回はうかがうことになります。

糸井 ああ、そういう動機があるんだー。
幸喜 そうですね。
八谷 幸喜くんは義理堅いひとで。
真鍋 ほんとうに仁義で、幸喜さんは。
幸喜 けっこうおもしろいと思っていたんですけど。
例えばぼくのうちで打ちあわせとかあって、
時間、間にあわなかったりするじゃないですか。
そうするとあいつが来た形跡があって、ドアに
「殺す!」
とか張り紙があったりとか。
何か、そういうのを覚えてるもんだから、
これ仕事になったら
ほんとに殺されるって思いつつ。
糸井 バンドのパートは?
幸喜 ぼくはシンセと打ち込み、ギターをやったりとか。
浅野は、歌うたってた。
糸井 何か、わかるね。力関係が。
八谷 「ゼネスト」っていうバンドだったんですよ。
幸喜 イカ天にも出ました。
ぼくは出ませんでしたけどね。
そのときも、
「イカ天に出ようかと思うんだけど」
という話で。
ぼくらはまあ、けっこう
テクノとかオルタナティブ系のひとなんですよ。
そんなの迎合するのはよくないよ、とか言って
ぼくら出ないっていって、ぼくは出なかった。
まあ、でもやっぱ出るひともいたんです。
彼は出たんですけど。

それで、ポストペットはじまったときには
インターネットがこれからはじめるというときで
TCP/IPがどうとか、インターネットのジャンルの
プログラミングのネタは全然知らなかったんですよ。
知らないけど、何か、ペットが自分のところから
サーバを経由してどこかに行くとかっていうのは、
もう絶対できるだろうというのが
何となく見えてたから。
八谷 それから一生懸命勉強して。
幸喜 実際始動する前の半年とかは、勉強だった。
糸井 へえー。
幸喜 たまたまタイミング的に
ほかにネットワーク系の仕事とか入っていたので、
そのなかで覚えてやりました。
八谷 へえー。
糸井 八谷さんも知らなかったんだ。
八谷 何か半年要るんだなあとは
言われてたんですけど。
だからまずは商標登録に行ったりして。
糸井 半年あるってどう言われてたの?
八谷 スタートが、
幸喜くんが会社を移った
直後ぐらいだったんですよ。
だから、ポストペットに
かかりっきりになれるのに
半年くらい要る、と。
幸喜 他のプロジェクトとかに。
それがたまたまネットワーク系だったから。
糸井 ちょうどよかったのね。
幸喜 やった、一緒に覚えたらいいなと。
それ終わったころにちょうど。
最初は、5月くらいかなあと思ってたら、
だんだんうしろにどんどんずれていって、
8月スタートになっちゃって、
でもその年の11月にプレスリリースして、
翌年の1月にベータ版を出したんですけど。
糸井 すごい速度だね!それ

(つづく)

2000-04-20-THU

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