アートとマーケの幸福な結婚。
ポストペットの八谷さんと、
彼の船出。

第6回 「ワールドシステム」とは何だろう?

本コーナーはポケットポストペットの
企画制作過程についての対談になっています。
まずは、ポスペ企画者の八谷和彦さんの、
メディアアーティストとしての変遷に焦点を当てて、
話をうかがっているところなのです。

はじめての作品「視聴覚交換マシン」のあとに
八谷さんの展開した作品の「ワールドシステム」って、
どういうものなんだろう?というのが、今回よん。

糸井 その、視聴覚交換マシンの
発展形というワールドシステムって、
ざっと言うとどういうものですか?
八谷 ざっと言うと・・・
もし、幽体離脱した状態をモデルにして
電話機がつくられていたとしたら
どうなっていただろうか?
というようなことを。
糸井 おいおい、わからないぞ。
八谷 これは仕事で調べてたんですけど、
通信関係のいろいろな技術というのが
前の世紀末頃に、
いっぺんに発明されているんですよ。
ラジオもそうだし、電話もそうですし、
発電のシステムとかも。
1800年の末とか1900年のあたまとか、
ほんとに世の中ががらっと変わった。
そのときには、まだスタンダードが
決まっていなかったから、いろんなプランが。
糸井 亜流だらけだったんですね。
八谷 ベルのつくった電話が主流になる前に、
出たプランやプロトタイプのなかには、
とんでもないものが結構あって、そのなかに、
ニコラ・テスラっていう科学者がいるんですけど。
交流発電機とかをつくったひとなんですね。

そのテスラが考えたものが、簡単に言っちゃうと、
最初から携帯電話にしようとしてたんですね。
有線の電話すっとばして、
すごくおっきな発電プラス通信のシステムを
つくろうとしていた。
たとえば携帯電話のようなものが
電話としてあるんだけど、交信も電波でやっちゃうし、
それを動かす電気もアンテナから供給する、と。

そういう、有線の電話じゃないやりかたで
いきなり無線の電話を作ろうという
ワールドシステムというプランがあって。




リンクでつなぐ、もうひとつの電話システム。
「電話のリ・デザイン」をテーマに作られた作品。
ジャパンアートスカラシップ受賞作品。
「もしも最初の電話が体外離脱を
 モチーフにつくられ、
 それが現在まで発展し続けたら?」
という観点から
「自分で飛んで探して接続する飛行テレビ電話」
の模型として製作したもの。
6台のベッドはその上空の6台のフレームにつながれ、
各フレームに付けられた銀色のボール「Bit」を
コントロールし、相手を捜す
(ちょうど、Webのリンクがそうであるように)。
「Bit」にはカメラとスピーカーと
マイクが付いており、
周りの状況を把握することができる。
ちなみにタイトルの「World System」とは
「無線による情報と電力の世界規模の供給」
を夢見た科学者、ニコラ・テスラのプランの名前。
(写真:寺崎正三)
↑こちらの写真と紹介文は、
八谷さんのホームページ
http://www.petworks.co.jp/~hachiya/
から抜き書きさせていただきました。
糸井 オウム真理教とかも
興味を持ったひとなんですよね。
八谷 そうです。
地震兵器とかレーザー兵器も
つくろうとしてたひとです。
やっぱりマッドサイエンティスト的では
あるんですけど。
そのひとの「ワールドシステム」は
全世界を最初から電波で結んでしまおうという、
イリジウムみたいな考えで、当然その当時は
技術が追いつかなくて
実現されなかったんですけど、
そのワールドシステムが
電話の原型だった世界を仮定して、
それの現代版を作ってみたかったんです。

1995年くらいだったので、ちょうど
ぼくがはじめてインターネットとかをやって、
リンクで世の中の人がつながるシステムに
すごい興味を持って、
おもしれ〜とか思っていて。
で、もし電話にダイヤルがついていなくて、
友人や他人を介していって目的の人に
接続するような電話が、
あったらどんなんだろうなあ、
というふうなプランを立てて、
で、それの実験というかシミュレーションを
青山のスパイラルのなかに作ってみる、という
ものだったんですけど。
糸井 会場でやってみるの?それ、何人くらいの人間が?
八谷 6人です。視聴覚交換マシンというのは
2人でやっていたものだったから、
あれを6人に拡張してみよう、と。
ベッドがあって、ベッドで動きをコントロールする
銀色のボールがあるんですけど、
そのなかに、テレビカメラとか
マイクとかスピーカーが入ってて、
そこに自分の意識が行っているという状態にして、
ほんとはヘッドマウントディスプレイと視線で
コントロールしたかったんですけど
当時はそこまではできなかったんです。

予算が1000万出たんですよ。
1000万つかえるということは、
そこまでいけるかな、と当時は思って。
結局ダメだったんですけど。
でもそのときに制作の時間も
つくんなきゃいけないから、
そのときに会社やめて、
もう作品一本でいこうと思って。
糸井 「俺はこういうことを考える商売に
 なればいいんだ」と思ったんだ?
八谷 そうです。
糸井 毎年それくらいの作品を
つくりつづけられるかっていう
不安はなかったの?
八谷 いや、不安は思いっきりありましたけど、
でも、11月の10日に展覧会するって
決まっちゃってたから、受賞したときに。
糸井 それ、俺の誕生日。
八谷 その日が来なければいいと何度思ったことか。
11月10日。それのために死にかけて。
高いタワーを、スパイラルのなかに
建てなければいけなかったから、
かなり危険な作業も突貫でやって。
「補強の鉄パイプが足りない、よし、
 どっか青山の工事現場のへんから盗んでこよう」
「いや、八谷さんが行ってつかまるとこの展覧会
 できなくなるから、俺が行きますよ」
とか言ってたら実はその鉄パイプが
スパイラルの上のほうにあったりとか。
結局黙って借りるんですけど。
糸井 じゃあ設営だけで結構時間かかってるんだ。
八谷 いや、逆に設営時間が短かったので、
大変だったんです。
まる一日とかしかかけられなかったので。
糸井 じゃあ、できるに決まっているものを
どっかにつくっておいてるわけだ。
八谷 何時オープンだから、いま夜中の12時だけど、
これから鉄パイプを何とかしなきゃいけない、
とか言って。
糸井 楽しそうだねーいまきいてるとそれは。
八谷 話してると楽しいけど、
当時は、なぜその日が来てしまうのだろう、とか。
糸井 すっごいかたちのあるものをやってたね。
かたちのあるもののあいだみたいな。
半魚人みたいな。
八谷 ある程度は実験もしてるんですけど、
どうしても現場あわせが出てくる。
例えば大きなフレームがあって、
実際は風力で動くんですけど、
プロペラを回すゴムが切れたり、
モーターが焼き切れたり。
そういうことなんですけど。
あるもんでなんとかするしかない、と。

そのときの反省点ってやっぱりむちゃくちゃあって、
自分もある程度技術の見通しが立つから、
つい自分でやっちゃうんですけど、クオリティが、
自分の要求までいかない。
ワールドシステムというのは
完成形が100点だとすると
5〜60点しかいってないというのがあって。
糸井 それは自分がさわりすぎたという?
八谷 自分の理想とするのに
自分の技術レベルがおっつかない。
で、会社辞めてこれからどうしようか、と考えて、
やっぱり、前にやっていた仕事が
商品開発に近いところでやっていたので、
そのスキルも生かしつつ、
立場としてはアーチストで
やっていけないかなあと思っていたんですよ。

(つづく)

2000-04-09-SUN

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