アートとマーケの幸福な結婚。
ポストペットの八谷さんと、
彼の船出。

第3回 SMTVをやっていた頃


八谷和彦さんのお話をつづけてきいている最中です。
知らなかったでしょ?このかたのルーツ。
前回視聴覚交換マシンにときめいてしまったひと、おまちどー。
今からしゃべってくれるのは、八谷さんが大学卒業後に
趣味でやっていた活動について、です

糸井 ほぼ日読んでいるひとも知らないと思うけど、
八谷さんが給料取りで勤めてた時期って
どのくらいなんですか?
八谷 7年間くらい。
糸井 そんなにあるんですか。
言わば、日曜アーティストだったわけ?
八谷 そうですね。
糸井 はー。
八谷 SMTVは・・・
糸井 かべ新聞の延長ですね。
八谷 はい。ホームページづくりに
とても近い内容ですね。
今だったら、やっぱり
ウェブページつくってると思うんですけど。
糸井 そのときは何年ですか?
八谷 1991年のころで、約10年くらい前で。
パソコン通信はあったかもしれないけど、
インターネットはみんなやってなくて。
やっぱり、すごいおもしろいひとって
世の中に結構いるんですけど、
マスコミは全然そういう人は出さないから、
自分の興味があるひとに
とりあえず話をききにいって、
せっかくだからそれをみんなでシェアしようと。
アートでも何でもなくやってたんですね。
糸井 非常に原点に近いですよね、八谷さんの。
八谷 はい。それは今もあんまり離れていないんですけど。
糸井 離れてないよね。
やりかたをまずききたいんだけど、
コンタクトを取るのはまず自分でやるわけですか?
八谷 そうですね。
糸井 つまり、松尾スズキさんと八谷さんは
知りあいじゃないところから
スタートするわけですか?
八谷 そうですね、でも、ほんとうに言うと、
ちょっとした知りあい、間に2〜3人
ひとがいたくらいというか。
例えば、学校の先輩のともだちだったとか。
いろいろ、つてを頼って
撮らせてくださいとやったりするんで。
で、アポイント取って会いにいくんです。
でも辿ってみると、案外あるんですね。
友達の友達の友達とか。
糸井 その信じかたが、若さがあって、いいね。
八谷 だから、住所とかファックスの番号がわかったら
とりあえず手紙書いて出してみるとか。
糸井 その取材対象って、今思えば誰がいた?
松尾くんがいて・・・。
八谷 あとは天久聖一さんとか。クマさんもいたんです。
糸井 篠原クマちゃん?へえー。
八谷 あとは、ハイポジっていう
バンドがあるんですけど、
ボーカルのもりばやしみほさんとか。
番組1本につき4人で。
結局SMTV は4本やって、
4本目は自分の興味から現代美術の
作家ばっかりにしたんですけど。
村上隆さんとか。
糸井 みんな今元気なひとたちだね。見事に。
10年前だよね。
八谷 逆に言うと、10年前もみんなばりばりおもしろかった。
もちろん、その頃やってて
今何にもやってないひとたちも
ちょっとは混じってるんですけど。
糸井 サラリーマンを生活の手段としていて、
両立できてたんですか?
八谷 ええ。そんなに頻繁にやってるわけじゃなくて、
1年に2本とか、それくらいのレベルで
つくってましたから。
2年目に、現代美術がおもしろくなってきて、
美術作家の特集をやったとき・・・

それまではバラバラに自分の趣味で
撮ってたんですけど・・・役者さんとか
音楽やっているひとからパフォーマーから、
有名なひとも無名なひともあんまり区別せずに。

93年ごろ、ちょうどその美術のほうのひとたちから
声がかかったりしはじめて。
昔レントゲン芸術研究所というのが
大田区にあったんですけど、
おもしろい作家がいっぱいやっていたんです。
で、そこで展覧会をやらない?と。
だから、展覧会のほうが先に決まって、
作品をつくんなきゃ、ってなったんですね。
糸井 作家を目指してなかったんだ。
八谷 それは、ぜんぜん。
糸井 メディアからはじまってるんだ、へー。
八谷 だから、それまで1個も
作品らしい作品って、ないですけど。

(つづく)

2000-04-06-THU

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