ピーコを、チェック。
杉浦克昭自伝的対談。

第30回 わたしも、手をさしのべられてきた。


ピーコ 自分でも、
なぜだかわからないけど、どうしても、
さびしそうな人のほうに心が動いちゃうわね。

「心が明快な人」には、目が行かないよ。
ぜんぶが完璧であるような相手を
求めてしまう人が、多いじゃない?
わたし、そういう完璧さは、大キライだもん。

なんでこんなに若くて美しいのに、
なんでこんなに暗いんだろう、っていうか、
その暗さは、どこから来ているんだろう、
とこう思ったりするわけです。

わたしのことは、
受け入れてもらわなくったっていいのよ。
それはいつでも、受け入れられなくても大丈夫。

好きだと思われないと愛じゃない、
みたいなのがキライなの。
何にも思われなくったっていいけど、
ずうっとわたしが一方的に
ともだちでありつづけたいとか、
そこは答えがないままでいいと思うの。
糸井 わかるなぁ。
ぼくも、男じゃない部分が
どうもあるみたいだから、よくわかる。
ピーコ でも、絵にかいたような男っていないよ。
頭の中が筋肉のような男って、イヤじゃない?
糸井 (笑)
ピーコ キャパシティの狭い人を、
すこしひろげてあげられると、うれしいかな。

若い人って、
だいたいキャパシティが狭いでしょ。
でも、教えてあげたりして
少したってくると、
だんだん広くなってくるじゃない。
わたしは、そういうことを
教えてあげられる人になりたい。

わたしも、そうやって
みんなに手をさしのべられてきたから。
糸井 あぁ、そうなんだ。
ピーコ いっぱい、いろんな人に会って、
いろいろなことを学んできたから。

永六輔さんも、
理由はわからないけれども、
おすぎとピーコをすごくかわいがってくれて。
以前は、沖縄で年に4回、いつでも、
ジアンジアンというところで、
「おすぎとピーコ、そして永六輔」
という会を開いてきたのね。

いろんなことをやって、最後に
1時間ぐらい、永さんとわたしたちふたりで
話すんだけども、それが終わったあとで、
必ず、いろいろ教えてくれたわね。

自分ひとりで話しちゃったようなところは、
「あそこは削りなさい」とか、あとは、
「あそこはおもしろかったから、
 もうちょっとふくらましてしゃべりなさい」
とか、丁寧に、ずっと言ってくれたの。
糸井 それは、大きいねぇ。
ピーコ 永六輔さんは、40代の時に、
そうやって、わたしたちをはじめとして
いろんな人を育てていたのね。

だけどわたしは今、
50代なかばになっても
誰を育てただろう?という意味では、
誰かの役に立っていないんじゃないか、
と思う時がいっぱいあるの。

わたし、何にもない・・・。
そういう時に、
誰かに何かをしてあげることは、
自分の中では、大事なことなんです。
いっぱいいろいろな人にしていただいたことを、
わたしはまだ、返してきていないと思うから。

だからちょっとさびしかったりする人を
見ちゃったり、するのかなあ。
糸井 なるほどねー。
やっぱりピーコさんは
「日本のおかあさん」って感じがするわ。
ピーコ あんた、いつもそう言うけど、
わたし、「おかあさん」なの?
あんたのおかあさんにはなりたくないけど(笑)。
糸井 (笑)
ピーコ オカマでいいわよ、ただのオカマで。
ごはんを炊く「オカマ」でもいいわ。
糸井 おかあさん、っていう役割ってあるじゃん。
イチローの父ってよく言うけど、
イチローの母とは言わないじゃん。
母は、たしかにいるはずなのに。
「おかあさん」の像って、あっていいかなと思って。
ピーコ そうね。
「岸壁の母」とかしか、言わないわね。
・・・だけどわたし、
イチローの父、って、きらいなのよ?
糸井 そう?
俺、ちょっとあこがれなんだけど。
ピーコ そういう父になりたいの?
星飛雄馬みたいなのになりたいの?
糸井 うーん。
どう言ったらいいのかな。
息子の試合を見てうなずいてるような。
そういうのがいいんです。
ピーコ わたし、自分の息子が活躍しているのを
ニコニコ見ているような親になるぐらいなら、
オカマでよかったと思うわ。
糸井 (笑)そうかなあ?
・・・あ、でもそういうところが
「おかあさん」なんですよ。

「おかあさん」は、イチローの母とか
そうやって、まわりから数えられることを
拒むじゃない。黒子に徹するでしょ。
だけど、母の存在って大きい。

そういうようなものなんじゃないかな、
ピーコさんのありかたも。


(つづきます)

2001-11-28-WED

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