ピーコを、チェック。
杉浦克昭自伝的対談。

第29回 誰かのいない景色。


糸井 ピーコさんの
心象風景のフォトアルバムを聞いてると、
どうも、ずうっと
「人物」を見ていた感じですね。
ピーコ やっぱり、人間が好きだったみたい。
糸井 ふーん。
ピーコ そりゃ、ダイヤモンドも好きよぉ?
糸井 (笑)ふふふ。
・・・でもダイヤモンドの写真って、
ピーコさんの中では、
枚数が少ないかもしれないと思うなあ。

・・・あ、これちょっと、
会場にいらっしゃるかたがたも
うちに帰って
「何を見てきたのかしら」
って思い出したらおもしろいと思う。
ピーコ 重里にたずねられて、
いま考えてみたら、
ほら、わたし、お金がない中で育ったじゃない?
だから、お金を見ることがなかったの。
おこづかいを持たされることがなかった。

見るものって言ったら、
はたらきに行っていた母親を、
からだの悪かった姉とおすぎと3人で、
むかえに行ったことよね。

横浜駅西口のところ、
あそこにまだ何もなかった時代に、
向こうのほうから、
母親が帰ってくる風景は、よく覚えてる。

日がかげってくると、
「母親が帰ってくる」と思うの。
その母親を、いつでも待っているような
気持ちを、覚えているわね。
糸井 うん。
ピーコ はたらきながらでも、
いつでもPTAには来てくれたし、
遠足には必ず余計に
お弁当を持たせてくれたし、
待たされていたわけじゃないけど、
でもわたしは、
「待っている」ということが好きなの。

だからほんとは
オカマのお嫁さんにでも
なればよかったのかもしれないけど、
「待っている」のが、いいの。
糸井 ということは、
ピーコさんのフォトアルバムには、
誰かのいない景色が、
たくさん、映っているんだね。
ピーコ そう言ったら、そうね。
・・・待っている人は、いつもいるのよ?
だけど、顔は映っていないかもね。
誰かがいる「はず」の場所を、
いつも、見ているのかもしれない。

いまも彼を待つのが好きだけど、
ただ、究極で言えば、「彼」ったって、
どこまで「彼」だか、わからないし・・・。

こっちの気持ちの
伝わっている人を待っているか、
伝わっていないまま待っているか、
それは、両方あるけど、だけど、
やっぱり、待っていることが好きですね。
糸井 さびしそうな人を見ちゃうのは、
なんでなんですか。
ピーコ そうねぇ。
相手がこちらを思っているかどうかは
別にして、何か足りなさそう、
何かをしてあげたくなっちゃいそう・・・。
そういう人の全身じゃなくて
手を見たり、うなじを見たりしているの。

そういう部分から出てくる
「少し、さびしい」とか「カゲがある」とか
そういうところを見ていたような気がするな。
糸井 この会場の中にも、
そういうさびしい気配はありますか?
ピーコ でもわたし、このごろ
シャンソンをうたっているから
特にそう感じるのかもしれないけど、
女の人のなかには、
「男の人にいつもわかってもらえない」
というさびしさが、いつもあるように思うの。

・・・わたしはそれは欲だと思うの。
男にわかってもらえないなんていう気持ちは、
欲のなせる技だと思っているんですけど、
だけど、そのさびしさは、わかるよね。

わたしも、長いあいだ、
自分の心がどうなっていくのが
しあわせなのかが、よくわからなかった。
このごろはもう、ぜんぜん平気なんですけど。

そういう女の人たちが、わたしの
シャンソンを聞きにきてくれているんです。
わたしのうたっている歌で、
「どういうふうになったらうれしい」
ということが具体的にわかったりして、
涙を流したりしてくれる人がいたりするの。

わたしはヘタでも
ずっとシャンソンを歌ってきて、
ヘタでもいいから、聞きにきてくれた人の
何かになれば、いいなあと思っていますね。
糸井 なるほどなぁ。

2001-11-26-MON

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