OL
ご近所のOLさんは、
先端に腰掛けていた。

vol.204
- Rashid Masharawi 2


「想い」の力を信じたい‥‥
──ラシ―ド・マシャラーウィ監督 その2



ラシード・マシャラーウィ監督

□私たちは、人間として、
 共に、地球に生きている‥‥


ラシード・マシャラーウィ監督、後編です。

『外出禁止令』、『ハイファ』という
初期のころの作品と、最新作の
『ライラの誕生日』について伺います。

『外出禁止令』は、ガザの難民キャンプで、
外出禁止令下の、ある家族の3日間を描いたもの。
スリリングな“現実”をドキドキしながら観ました。
これが長編デビュー作品です。

『ハイファ』はとても印象に残る作品で、
これまでカンヌを含め数々の受賞もしています。
“ハイファ”というのはある男の名前ですが、
同時に、いまはイスラエルになってしまった
地名でもあり、そこに帰る日を待っています。
ハイファは、難民キャンプで、
頭がおかしくなってしまった(ふり?)、
でもどこか憎めない、ご陽気な喜劇役者のような、
キャンプの“太陽”的役割を果たしています。
しかし、不幸は重なりつづけ、
最後には未来を予見するようなセリフを語ります。
(インタビューのなかにあります)

『ライラの誕生日』は最新作で、
よりメッセージを伝えようと思ったと、
上映Q&Aで監督は語っていました。

ラマラに暮らす、元裁判官でありながら、
いまは仕方なくタクシー運転手をしている
アブ・ライラが、非常に理不尽な1日を過ごします。
でも最終的には娘のライラの誕生日に、
プレゼントをいっぱい抱え、
タクシーの仕事を終えて家に帰り、
お祝いをすることができるという話です。
でもその日中の理不尽さといったら、
パレスチナが散々味わってきた理不尽に
匹敵する「はがゆさ」を追体験した気がしました。
なにが起っても穏やかだったアブ・ライラが、
突如、とうとうなにもかも投げ出し、
「Justice!」と叫ぶシーンが衝撃です。

□映画は“物語を語るべきだ”という
 重要な役目を担っている‥‥


──── 『外出禁止令』はガザで撮られたのですか。

ラシード 外のシーンはガザで撮り、
     家の中のシーンは、
     ナザレのスタジオで撮りました。
     この映画を撮った当時は、
     第1次インティファーダが起ったときで、
     イスラエル占領下で、
     パレスチナ自治政府は無かったときでした。
     「オスロ合意」(1993)よりも前だったので、
     イスラエル軍にはシークレットにして、
     映画を撮らなければなりませんでした。

     ムービーカメラを持っていることを
     イスラエル側に知られては大変なので、
     外ではまるでふつうのカメラを持っているような
     ふりをしていましたが、
     じつは35mmのムービーカメラだったのです。
     スタジオも、ちゃんとしたスタジオではなくて、
     地下のスペースに急きょセットを組んで
     作りました。

     
     『ハイファ』のハイファ

──── 『ハイファ』の主人公ハイファは、
     “喜劇役者”のようなひとで、
     黒澤明の映画に出てくるような
     キャラクターだなと思ったのですが、
     それだけにすごく哀しみを表現していました。
     コメディだからこそ哀しい、みたいな‥‥。
     監督は、なにか黒澤映画の影響ってありますか。


ラシード そう言ってもらえて光栄ですが、
     ないんです(笑)。
     もしそういうふうに見えたら
     とても名誉なことだと思います。

     『ハイファ』のなかで描こうとしたのは、
     私自身のいろいろな考え方なのですが、
     私の家族はジャファ出身の難民です。
     ジャファはテルアビブ近郊にあって、
     いまはテルアビブ市になりました。
     現在はイスラエルになっています。
     映画を撮ったときは、
     オスロ合意の討議中のことだったんです。
     まだ調印されていないときで、あの頃から、
     私たちの家族はつねに「ジャファにもどる」
     ということを夢みてきたわけです。

     映画のなかでもそれを表そうとしたのですが、
     「オスロ合意」というのは
     本当に混沌としていて、
     人びとが何が現実で、何が現実でないかを
     理解でいないような状況でした。
     とにかく不条理に満ちていたわけです。
     それをブラックユーモアを使って見せたいと
     思ったのです。
     「オスロ合意」というものと
     どのように対処していくか、
     というのはとてもユニークな経験でした。

     『ハイファ』の最後のシーンで、
     「パレスチナ人はこれから二手に分かれて、
      片方はこれを祝うだろう。
      そして片方は闘いつづけるだろう」
     と言っていますが、実際にそうなりました。
     これを撮ったときは、
     まだ合意に達する前のことでしたので、
     当時、パレスチナ人が住むのは、
     ガザとジェリコしかない時でした。

     なぜこの話をしているかというと、
     この映画の主人公がどのような背景を
     持っているかを話したかったからです。
     私もジャファ出身で、ジャファにもどることを
     夢見てきたのとおなじように、あの主人公は、
     ハイファにもどりたいと思っているのに、
     「オスロ合意」ができて、
     もどれなくなってしまったのです。

□パレスチナの未来について

──── 『ライラの誕生日』も、
     きわめて不条理なことがいっぱい起きる
     1日を描いていますね。
     それでも最終的には、
     ハッピーエンドとは言えないですが、
     「なんとか偶然にせよ、うまくいく」
     という具合に、
     誕生日プレゼントを手に入れることができて、
     「よかったね」という感じで終ります。
     監督はいろんな経験をされてきて、
     この先、将来を楽観的にみているのでしょうか。


ラシード 私はとても楽観的です。
     『ライラの誕生日』の最後のところは、
     これは私が創りだした「希望」ですが、
     とにかく生き続けていくのに、
     希望は必要ですからね。

──── それと、役人が映画に出てくるのですが、
     これがなんとも「役に立たない〜」という
     印象の描かれ方です。
     パレスチナ自治政府自体が不安定で、
     あまり信頼されていないふうに見えました。
     主人公も「何もしてくれない」
     と憤慨していましたね。
     監督は政府に対しては
     どのように見ているのでしょうか。


ラシード パレスチナ自治政府が成立して以来、
     私はあれが本当の政府だと思ったことは、
     一度もありません。
     というのは、占領下において“政府”を
     どうやって作るんですか。
     つまり政府があっても、自分たちで独自の、
     独立した決定をすることができないわけです。
     そんなものは政府とは呼べない。
     ただの飾りでししょう。
     ですから大統領、国会、司法制度などが
     作られていますが、
     これらはもう形骸化したものです。
     政府を作るためにはまず「国家」が必要なのに、
     私たちには「国家」がないのですから。

──── 私は、うまく言えないのですが、
     「パレスチナの人たちが幸せにならなかったら、
      世界に幸せは来ない」と思うんです。
     なかなかパレスチナの方の声を
     直接伺う機会がないのですが、
     今日は監督に会えてうれしかったです。
     なにか読者に向けてメッセージはありますか?


ラシード 日本の方々に「こう行動してください」と
     言うことはできません。
     とくに何かしてほしいとお願いすることは
     できません。
     けれども、私たちは、人間として、
     共に、この地球上に生きています。
     ときには、他の人びとの考え方と、
     いろんなことが同意できない場合があります。
     そういうときに、個々人は、
     それぞれどう行動するかという「選択」をする
     ことができます。
     たとえば、デモに行って抗議をする人もいれば、
     また映画を作る人もいる。
     あるいは記事を書く人も、
     通訳や翻訳をする人もいる。

     私は世界を、ただ「イスラエル対パレスチナ」
     ということだけで
     見ているわけではありません。
     そればかりの映画を作っているわけでも
     ありません。
     たとえば、レバノンや、イラクや、
     ヨルダンの人びとの映画も作っています。
     なぜかというと
     そこで人権侵害が起っていたので、
     そういうことを訴えたかったのです。
     それは世界中のあちこちに起っていることです。
     今年12月にドキュメンタリーを作るのですが、
     それはカイロにおける児童労働、搾取
     についての映画になります。
     このようなものを作るというのは、
     映画が、物語を語るべきだという
     重要な役目を担っていると思うからです。

──── ありがとうございました!

ラシード ありがとう!

     おわり。

マシャラーウィ監督は、どの作品でもつねに、
「観察者」という視点を持って、
多面的なパレスチナを描くという、
冷静な試みをしているようです。
インテリジェンスとユーモアを持って、
「複雑すぎるパレスチナをシンプルに描く」
ということを大事にしているのだと。

いまパレスチナには、
映画館と呼べるものはラマラに1館しかなく、
そんなイスラエル占領下において、
映画を作った最初の監督だということです。
現在パレスチナの外で映画を作っている、
後に続く監督たち、たとえば、
『パラダイス・ナウ』のアリ・アブ・アサド監督や、
『Divine Intervention』のエリア・スレイマン監督が、
マシャラーウィ監督の作品に、
こっそり出演していたりするのもツボなのでした。
日本の観客に自分の作品を観てもらえたことに、
とても感謝するとおっしゃっていました。

街でアートや映画がふつうに楽しめたり、
『天国はまだ遠く』みたいな素敵な
日本の映画もふつうにパレスチナで上映されたり、
パレスチナの独創的なアートが日本で展示されたり、
そんなことが、ごく普通にあるような、
そんな状況が1日も早くあるように、
私は想いつづけようと思います。


(舞台挨拶のアリーン・ウマリさんと監督)

さて次回はちょっとだけ、
まーしゃからのお知らせをいたしますね。
寒いので、カゼにはくれぐれも気をつけて。

第21回 東京国際映画祭
★参考文献
『イスラームの世界地図』(文春新書)21世紀研究会編集
『パレスチナ新版』(岩波新書)広河 隆一著


Special thanks to Director Rashid Masarawi,
Etsuko Yamanouchi (interpreter)
and Tokyo International Film Festival.
Interview, writing, and photos
by(福嶋真砂代). All rights reserved.

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2008-12-05-FRI
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