OL
ご近所のOLさんは、
先端に腰掛けていた。

vol.194
- Sunanokage 2


映画を撮る人‥‥
──『砂の影』その2



©2008タキ・コーポレーション/エキスプレス
ユーロスペースにて絶賛上映中!


□「遊びをせんとや生まれけむ」

シネマトグラファー
たむらまさきさんの第2回です。

映画を観るとき、
ときどき気になることがあって、
それは“監督とカメラマンの関係”です。
愚問だとは思うんですけど、
でも、監督の頭のなかで描く画と、
カメラマンが描いている画には、
必ず生じる“ズレ”があるだろうし、
そういうズレを詰めていくのか、
あるいは、楽しんでしまうのか‥‥。
きっと作品や監督によって違うのだろうと思うけど、
カメラマンが“いる”ことで、
作品が変わることは確かだと思うんです。

先日、映画美学校で行なわれた、
「たむらまさき・撮影論」では、
映画評論家の筒井武文さんと、
プロデューサーの越川道夫さんが、
たむらさんの撮影の極意に迫ってくれて、
刺激的でした。
そのとき上映された田村正毅作品、
『TANPEN〜空華〜kooghe』というのは、
監督がいないという希有な作品で、
監督がいないとどんなことになるのか、
監督の役割とはなんだろう、と
いろんな見方ができる機会でした。
「ヨーイ、スタート!」の掛け声をかける人
がいなくて戸惑った、という話を聞いて、
「あ〜、それが監督の役目かあ」なんて、
納得したりしてました(冗談ですけどね)。

では、たむらさんの撮影論、
ここでもたっぷり伺います。



□「もうひとつの物語」を撮る

─── ちょっと唐突な質問なのですが、
    今日の行きつくところ、というか、
    無謀にも目指したいのは、
    「映画ってなんですか」
    というところなんです‥‥。


たむら 映画って何か‥‥、
    ひじょうに言いにくいですね。

    監督との関係、ということがあるんですが、
    大抵の人は、撮影チームの形として、
    たとえば監督がいちばん上にいる
    三角形を思うかもしれません。
    ヒエラルキーのような三角形の頂点が
    監督だと思う人が多いと思うんですけど、
    私はそうは思わない。
    ようするに、一緒にやっていくわけですから。
    撮影ばかりじゃなくて、もちろん、
    俳優、他のスタッフとか、
    いろんなパートがありますが、
    みんな、同じです。


─── まず脚本があるんですけど、
    脚本から離れるわけじゃなくて、
    「もうひとつの物語」を、
    みんなで作り上げていると、
    この前、美学校でお話されたときに
    おっしゃってたのが心に残りました。


たむら 監督も、脚本の行間を含めて
    撮ろうとするわけです。
    それは監督の行間、感じ方、表し方があって、
    でも僕には僕の行間、読みがまたあるわけです。
    それが、ほとんど一致しているんですけど、
    一致させている、ということもあるんですけど、
    たまたま、そういうこともあるだろうけど、
    でも大抵は違うんですね。
    スタッフみんな、ひとりひとり、
    違うと思うんです。

    そには妙なズレみたいなものが
    あると思うんです。
    みんなそれぞれ違う「人」ですから、
    違う感じ方があってあたり前だと思うんです。
    そこからズレとズレとの“協奏”というか、
    そういうアンサンブルが生まれる‥‥。
    ときに不協和音ばかりになっちゃうことも
    あるんですけど。
    大抵はうまくアンサンブルになるんです。
    そういう時はやってて楽しいですね。
    きっとおもしろいものになってるはずなんです。
    そういうものなんです、映画というのはね。


─── そういう出来上がりを、
    現場でも感じとれるものですか。


たむら そうですね。
    撮影では順番に撮ることはないので、
    量として半分以上スケジュールを
    こなしていく頃には、だんだん
    そういうものは感じていきますね。


─── 半分までは、探り合って‥‥。

たむら 初めの頃は探り合ってるんだと
    思いますけど‥‥。
    監督は、それらを指揮しているんでしょうね。
    よっぽど変な音を出さない限り、
    何も言わないですね。
    それを全部とりこんで
    アンサンブルしていく仕事ですから。


─── そういう監督が、いい監督さん?

たむら やりやすいというか、やってて楽しいですね。
    もう随分、何本も撮ってきましたけど、
    たまにはそうならない監督もいました(笑)。
    昔のことだから、まあ、いいんですけど。


─── このあいだの美学校のトークのときに
    お話がでてましたけど、
    監督の名前は伏せていらっしゃいましたね(笑)。
    この本(「酔眼のまち 新宿ゴールデン街」)
    読んでて、あ〜と思ってしまいました(笑)。


たむら (笑)。

─── ある作品で、たむらさんは、
    (カメラの)“オペレーター”をやったと
    おっしゃってて。


たむら そうそう(笑)。
    あの人はそういう人だったのでね。
    僕は他のキャメラマンの代わりだったんです。
    いつもの人はたまたまスケジュールが
    無理だったんじゃないかな。
    で、僕が呼び出されて(笑)。
    行ってみたら私じゃなくて、
    誰かオペレーター呼んだほうが、
    よかったんじゃないかなと
    結果的には思いましたけどね。


─── どうなんでしょうか。
    監督は何か意図があったのでは‥‥。


たむら なんなんでしょうね。
    あの作品はいちばん評判がいいそうです、
    アメリカでは。
    僕は本当にオペレーターをやっただけです。
    監督の才量でしょう(笑)。

    彼はきちっと絵コンテを描いて‥‥、
    また、絵がうまくてね(笑)。
    絵コンテ通りにきちんとカメラをきめてないと、
    全部チェックされて。
    そういうやり方の人は初めてでした。


─── あとにも先にも、ですか。

たむら 無いですね。
    CFでもそこまではいかない(笑)。


─── 大抵は余白を残してる‥‥。

たむら ある人物のいる位置というのは、
    ほとんど自分の気持ちで
    決めていってるんですよね。


─── そうそう。たむらさんの映像は、
    『砂の影』でもそうなんですけど、
    観ていて「映ってる人を見ている」というより、
    その人の「気持ちを見ている」
    あるいは「感じている」という感覚に
    なってくるんですよね。


たむら あ〜、うれしいことおっしゃいますね。
    そうですね。


─── ただの動きを撮っているというより、
    その動きによって出てくる彼、彼女の感情を
    撮っている。見えないものが見えてくるのが
    スゴイなと思います。
    美学校のトークのとき筒井(武文)さんが
    おっしゃっていましたけど、
    「空間を撮る」というか、
    人が動いたときについて行かないで、
    人がいないところにカメラが残って、
    たむらさんは撮ることがあると‥‥。


たむら 映画ですから、否応なく、
    あるフレームがありますよね。
    その中も外もあるとはいいますが、
    やはり具体的には、とりあえず
    フレームで切られているわけです。
    で、そこにある空間と人物との関係。
    そこに映っていないけど、
    続いているであろう映ってない空間、
    との関係‥‥というところで、
    どのようにこの人はいて、
    何をしているのか、ということが、
    すごくおもしろいんですね。


─── うわぁ〜、なるほど。

たむら あたり前のことだと思うんですけどね。

─── あたり前なんですかね。
    他のキャメラマンさんはどうなんだろう‥‥。


たむら ちゃんと知りませんけど。
    なるべく真ん中に大事な人がいて、
    頭の上はある程度あけて、とか。
    いろいろありますよね。
    なるべく顔はレンズの方を向いてるべきだとか、
    せいぜい横向きに、とか‥‥。
    でも、僕は全然かまわない。
    後ろ姿だろうが、なんだろうが。
    この前撮ったのは(『東南角部屋二階の女』)、
    半分は後ろから撮ってます。


─── それは楽しみですね〜。

たむら 楽しいですよ(笑)。
    ちゃんと後ろ姿で表せる俳優たちでしたから。
    だから前も後ろも拘らない。


─── 俳優にとってもやり甲斐ありますよね。

たむら ‥‥と思いますけど。

─── だからコワくもあるんでしょうけど。

たむら コワイかな?
    楽しんでくれてると思いますけど。

    つまり、皆んなで遊んでる感じですね。
    楽しく遊んでる。
    変なこと言いますけど。
    楽しくやってれば、それは映るし、
    楽しくやってなくても、それも映るんです。
    それは恥ずかしいし、観客に悪いじゃない?


─── はい。それを観るのはイヤですね(笑)。

たむら 映画っていうのは、正直で、
    どっちでも映っちゃうんです。
    ですから、ちゃんと楽しくやらないと
    いけないんです、現場は。
    とか言って、ヘラヘラ笑って撮る
    というんじゃありませんけど(笑)。


─── まさに「遊びをせんとや生まれけむ」
    ですね。


たむら そういうことですね。

    つづく。

たむらさんから「参考にしてね」と
いただいている資料集があるのですが、
映画用語集の形をとりながら、
「たむらまさきの撮影論」を裏づける
映画用語の独特の解釈と説明が、
たむらさんの美しい言葉で綴られているんです。
その一部は、
「映画の授業―映画美学校の教室から」(黒沢清著)
の中に納められているのですが、
いただいた資料の表紙に特別にあるのは、
「遊びをせんとや生まれけむ in camera」
という言葉と、もうひとつ、
「婆娑羅と歌舞かん」とも。
たむらさんの撮影姿勢が伝わってきます。
やっぱり“踊るキャメラマン”なのか‥‥?

それからタネ明かしをしてしまうと、
今回お話の中に出てくるのは、
あの伊丹十三監督の名作『タンポポ』のことです‥‥。
たむらさんのお話を聞いてたら、
もう一度観なおしてみたくなりました。
たむらさんのもうひとつの物語を探してみよう。

次回は「映画の原理」についてです。
お楽しみに。

『砂の影』
「映画の授業―映画美学校の教室から」(黒沢 清著)」

*お知らせ*
トークイベントがあります。
2/23(土)上映終了後、
甲斐田祐輔監督、江口のりこさん、ARATAさん
がゲスト(予定)です。詳細はHPを!


Special thanks to cinematographer Masaki Tamura
and Satoko Shikata(Slow Learner).
All rights reserved.
Written and photo by(福嶋真砂代)

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2008-02-21-THU

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