OL
ご近所のOLさんは、
先端に腰掛けていた。

vol.176
- The CATS of MIIRIKITANI 2


●ある路上アーティストの人生とは‥‥
──『ミリキタニの猫』その2


© lucid dreaming inc.
ユーロスペース他にて全国順次ロードショー


□どんな深い傷も癒される‥‥。

ジミー・ミリキタニさんが戦後、
ずっと心に抱えてきたもの。
想像を越える傷の深さを感じて、
どうしようもなく辛くなりました。

「絵を売る以外は施しをうけない」と、
ストリートアーティストとして、
絵を描くことで自分を引っ張ってきた
気丈な精神の持ち主ですが、
その心に宿していた悲しみと怒りは大きい。
それだけに、
怒りがやがて許しに変わっていく、
この映画が発揮したエネルギーの大きさに驚きます。
人間の傷を癒すのはやはり人間なのだ。

第2次世界大戦中、
日系人強制収容所に入れられ、家族と離され、
仕事も社会的地位も財産も奪われてしまった、
多くの日系人の歴史。
当時のイメージが脳裏にくっきりと焼き付けられ、
繰り返し繰り返し、そのときの心象風景を描くジミー。
絵は、そこで停止してしまった自身の心へ、
また犠牲になった多くの命や人生への
鎮魂歌なのかもしれない、と思います。

さて、リンダ・ハッテンドーフ監督は、
ジミーさんをアパートに招き入れるばかりでなく、
戦時中に市民権を拒否して失ったと思われていた
社会保障番号を探し当て、
彼の人間的な生活を取り戻そうと尽力します。
どうしてホームレスのおじいさんを信じられたのか、
いったいなにが監督を動かしたのか、
その根底にある気持ちも伺ってみました。

─── ジャクソン・ポロックに料理を作ってあげたとか、
    自分で“グランドアートマスター”だとか言う
    ホームレスの老人を、
    監督はどうやって
    信じることができたのでしょうか。


リンダ 彼がいつも描いていた山の絵があるのですが、
    びっくりして息を呑んだのは、
    インターネットでツールレイクを探していて、
    彼が描いていたのと同じ山があるのを
    見つけたときです。
    ポロックについては
    いちいち確かめてはいませんが、
    ジミーが働いていたレストランを
    知っている人がいて、場所を聞くと、
    ポロックのスタジオがあった近くで、
    よくそのレストランにポロックが来ていたと‥‥。
    そんなふうにいろんな断片によって
    まわりから裏付けされていったので、
    "Why not?"(信じられる)と思いました。


    

─── カメラマンの名前のクレジットがあるのですが、
    監督とカメラマンとどういう分担をして
    撮影したのですか。


リンダ 90%は私が撮りました。
    小さなTRV900というカメラで、
    近い距離で、マイクがカメラより大きいくらい。
    マサ・ヨシカワさんが徐々に関わるようになって、
    彼はツールレイクへ一緒に行って、
    私を入れて撮ってくれました。
    私のアパートは狭いので、
    私とジミーと猫でいっぱいです。
    カメラマンを入れるスペースは無いので、
    私が料理をしているときは、
    カメラをテーブルの上において、
    2人でテレビを見ているときは書棚において、
    みたいに、シンプルに撮りました。
    毎日、撮ってましたね。


─── 日系人が強制収容所で
    抑留されていたという歴史は、
    アメリカっではどの程度知られているのでしょう。


リンダ アメリカの教科書には1、2行書いてある程度で、
    ほとんどのアメリカ人同様で、
    私もそれ以上の認識はありませんでした。
    今回、ジミーを通して、
    実際に収容所でどういう生活をしていたか、
    その前後、彼らに与えた影響や、
    どれほどの人の人生が壊されていったか、
    仕事が失われたかとか、
    日常生活が失われていったかを知りました。

    それがすごく古い話ではなくて、
    100年ぐらい前の話なので、
    彼らの子孫はまだいらっしゃるわけです。
    収容所にいた方は少なくなっている
    かもしれませんが、
    2年おきに巡礼ツアーがあって、
    実際になにが起こったかを知り、
    忘れないようにしようとしています。
    というのは、収容所に入っていた人たちは、
    あまり語りたがらないからです。

    ジミーは収容所の絵をいっぱい描いていましたが、
    主流の歴史に残されていないものなので、
    それを消さないように、
    ずっと絵を描き続けているのだと言っています。


─── 映画から5年経って、
    なにか彼の絵に変化がありましたか。


リンダ 彼の絵が変わったのは、
    ツールレイク強制収容所巡礼の旅の後です。
    その前はいつも同じ絵を描いていました。
    山があり、収容所があり、フェンスがあり、
    門があり、彼がフェンスの中にいるという
    同じ構図の絵でした。
    ところが、ツアーの後は、同じ構図ですが、
    フェンスが開いて、
    彼はその中に居なくなりました。

    実際、収容所があったところに行って、
    その歴史について心を痛めている
    同志の人たちとつながることで、
    自分が捕われてしまったところから
    “抜け出したのだ”と感じたのだと思います。

    この映画を観た方は、
    あれほどの深い傷から癒されることが
    出来るという事実を見るので、
    それによって希望をみることができると思います。


    

─── いろんな要素が奇跡的に重なり、
    この映画も出来てきたように思います。
    そのなかでもいちばん大きなことは、
    やはり、ジミーさんを家に入れるきっかけとなった
    9.11だろうと思います。
    ジミーさんは9.11のあと、それほど動揺を
    見せずにいつものように絵を描いていたのですが、
    監督自身は、9.11によって
    なにかが変わったのでしょうか。


リンダ 言葉にするのは大変難しいです。
    私は戦争を知らない世代ですが、
    9.11を経験して思ったのは、
    二度と絶対、どこでも、誰でも、
    あんなことを経験すべきじゃないということ。
    そして、世界中にいる、戦争を経験しながらも、
    平和のために動いている人たちに対して、
    いままで以上に、敬意を感じます。


    おわり。

ジミー・ミリキタニという偶然に遭った個人を通して、
歴史の現実を知ったという
リンダ・ハッテンドーフ監督の素直な気持ちが、
ストレートに映画に投影されて、
観ているほうも素直に「知らなかった」
と言えるように思えるところが、好きなところです。

ハッテンドーフ監督の無償の愛と、
やっぱりジミ−さん同様、
監督の中にあるアーティスト魂と、
映画を作ったすべてのスタッフと、
ミリキタニさんと猫と、すべてに感謝です。

話は少し飛びますが、
私はこの夏、長崎へ旅行して、
長崎原爆記念館や平和記念公園を訪れ、
犠牲になった方々へ祈りを捧げました。
東京へ戻ってすぐに、『ヒロシマナガサキ』
(スティーヴン・オカザキ監督:公開中)を
観に行ったのですが、実際、
何もわかっていなかったことに気がつきました。

それは原爆のなか、助かった生存者の方々が、
いままで、そしていまもなお、
想像を絶する人生を送っているのだという事実。
丹念に生存者にインタビューを重ねることによって、
教科書に書かれていない本当の経験や想いが
あらわになっていく冷静でわかりやすい描き方に、
そのことで改めて茫然となりました。
こちらもぜひ観てみてください。

そしてついに、
ラブリーなミリキタニさんの歌声も
拝聴することができました。
ここで聴けます!


舞台の上で荒貞男『男は泣かず』を朗々と歌うジミーさん


やさしく見守るリンダ監督とマサ・ヨシカワさん

『ミリキタニの猫』


***お知らせ***

ソフトスピリチュアルな雑誌、
「スンダリ」(白夜書房)
スピリチュアルな映画コーナー(?)の
ナビゲーターを始めます。
9月15日発売です。よろしくね〜!


Special thanks to director Linda Hattendorf
and Astaire. All rights reserved.
Written by(福嶋真砂代)

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2007-09-14-FRI

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