OL
ご近所のOLさんは、
先端に腰掛けていた。

vol.173
- offside 1


●女の子もサッカーの試合が見たい〜!
──『オフサイド・ガールズ』その1



シャンテ・シネほか全国ロードショー

□“モドカシサ”を一緒に体験!

「イランでは、サッカースタジアムで
 女性が試合を観戦することができない。」

イランのジャファル・パナヒ監督は、
『オフサイド・ガールズ』で、
2006年ドイツワールドカップ最終予選、
イラン対バーレーン戦会場で撮影を敢行。

それもサッカーの試合を撮るのではなく、
試合会場に入れない少女たちを撮影するということで、
物議を醸し、軍隊から撮影中止命令を受けたり、
撮影した映像を渡せと言われたり、
それはもうリスキーな撮影だったのだそう。
当然、イラン国内での上映は禁止。
しかしそんな障害にも負けず、
果敢に社会の矛盾に「待った!」をかけます。

これまでも、イラン映画としては珍しく、
女性が受ける理不尽な状況を描いた作品を作り、
『白い風船』でカンヌ映画祭カメラドール賞、
『チャドルと生きる』でベネチア映画祭金獅子賞、
そしてこの『オフサイド・ガールズ』でも
ベルリン映画祭銀熊賞を受賞して、
世界三大映画祭を制覇している骨太な監督です。

この映画の最大の魅力は、臨場感。
「試合が見えないもどかしさ」でしょう。
女だから入れないのだったら、男装して入ろうという、
威勢のいい少女たちが次々に拘束されてしまい、
スタジアムに作られた仮留置場に集められます。

あの手この手を使って、試合を見せてくれと
見張りの兵士に訴える少女たち。
なのに「規則だから」の一言で虚しく却下。
だけど壁越しに観客の歓声が聴こえてくる。
うう〜っ、もどかしい〜!

そうは言っても兵役についている若者たちも、
ちょっと前まで家畜の世話をしていた
田舎の素朴な青年たち。
監視中なのにサッカーの試合を見て、
少女たちに“実況中継”してしまったり、
どこかユルくて、ユーモア溢れるやりとりに
つい笑ってしまいます。

サッカーが好きという気持ちに男女の差も、
民族も、国籍の違いも、関係ない。
好きなものに向って走る彼女たちのエネルギーを
こんなに活き活きと映しとり、
「試合が見たい、もどかしい〜」と観客に思わせ、
そのうちだんだん彼女たちの元気が楽しく、
起こっている現象が滑稽に見えてきてしまう。

あ〜なんて上手いんだ! パナヒ監督。
どういうふうに撮ったのでしょうか。
伺ってみましょう。



─── パナヒ監督は、アッバス・キアロスタミ監督の
    助監督をされてましたが、彼の
    『オリーブの林をぬけて』に出演なさってますね。


パナヒ 出てますね(笑)。

─── あの出演している女性の助監督さんは、
    本物の助監督さんなんですか?


パナヒ あれは違うんですよ。

─── あ〜そうだったんですか。
    いつか聞きたいと思ってて(笑)。
    ありがとうございます。

    今回の『オフサイド・ガールズ』は、
    カメラの存在を忘れるくらいリアルで、
    緊張感がすごいと思いました。


パナヒ 僕の前作の『チャドルと生きる』を見ると
    おわかりだと思いますが、あれは
    いわゆる“映画的に”撮ってるので、
    演出がいろいろ考えられるんです。
    35mmでしたし、その意味では、
    自由だったかもしれないですけど、
    『オフサイド‥‥』の場合、
    すごくドキュメンタリーっぽく撮らないと
    意味がなかったですから、
    その面ではすごく厳しかったです。

    ロケーションも、時間も、物語そのものも
    “ドキュメンタリー”なんです。
    それを映画として撮らないといけない。
    いろいろ足さないといけないんです。
    手を入れていくところというのは、
    すべてドキュメンタリーにまったく近いもの
    じゃないと、観た時にドキュメンタリーのように
    感じられませんからね。
    じつはこういうスタイルはもっとも難しいんです。

    僕もリアルを感じないといけないし、
    スタッフ、役者にもリアルを感じさせないと
    いけないわけで、それは監督の仕事として
    とても大変でした。

    『白い風船』と『チャドルと生きる』では、
    映画のいろんなテクニックを入れていけるので、
    それを観た人には「アート系の監督」って、
    思われちゃうかもしれないですが、
    この映画を観ると「アート系じゃない」。
    それでもこういう撮り方はいちばん難しいんです。
    なぜなら、すべてを使った上で、
    使ってないよ、というふうに
    見せないといけないからです。

    最初から考えて実行させるんじゃなくて、
    テーマがこのスタイルを必要としている。
    それは物語が教えてくれるんです。


    

─── なるほど、物語が教えてくれる‥‥。
    その物語を考えたときに、監督の頭の中に
    最初になにが浮かんだのでしょうか。
    女性がサッカー会場に入れないことへの抗議か、
    それを含めてもっと、国や社会の歪んだところ
    なのでしょうか。
    監督はイランに住んでいらっしゃいますが、
    離れた距離からイランを見ている感じもします。


パナヒ 僕の頭の中には、いつも大きなテーマがあって、
    それが「社会においての規制」なんです。
    “リミテーション”というものです。
    いろんなことがその中に入ってしまうと、
    ひっかかってしまい、
    そのことについて物語を作ることになるんです。
    でも同じことを繰り返していくのではなくて、
    まったく新しいものを産み出さないといけない
    と思うんです。


─── 今回サッカーを題材にしようと思ったのは、
    “ワールドカップ”ですから
    外国のマスメディアも注目しているということで
    イランが他国から見られるチャンスです。
    それも映画にしようというファクターに
    なったのでしょうか。


パナヒ それよりも、人口の半分は女性で、
    この壁の向こうを見てはいけない。
    それを変に表現するとシュールな世界になるし、
    バカバカしくなったり悲劇や喜劇になったり
    するんです。それがいちばん問題だったです。

    サッカーについての映画は昔からたくさん
    作られてきました。世界的なスポーツで、
    みんなが注目しますから。
    でもいままで観たサッカー映画というのは、
    だいたいコケるんです。
    なぜならサッカーの試合は、
    たくさんのカメラで撮ってるんですね。
    みんなテレビで毎日観ているから、
    映画で観てもおもしろくない。

    だから、僕がサッカーの映画を描くとき、
    サッカーも感じながら“外のストーリー”を
    作ろうと思ったんです。
    サッカーだから世界から注目されるとか、
    それをロケにするとかではなくて、
    人間についての物語を描いています。
    どうして半分の人間が観てはいけないのか
    というところです。

    試合の映像をあとから入れたりするのは
    簡単なことでしたが、
    女性たちは苦労してそこまで来たのに、
    観れなかったですね。
    だから映画の観客も見えないほうがいいなと
    思ったんです。彼女らと一緒に、
    音だけ聞いて見えない、というのが
    いいなと思ったんです。


─── もどかしいですよね。
    彼女たちと一緒になって感じてました。


    つづく。(通訳はショーレ・ゴルパリアンさん)

遠い国だけど、この映画を観ると、
ひとりひとりの表情や性格がかわいくて、
友だちみたいに親しみが湧いてきます。
国を理解するって、「友だち」を
見つけることが近道のひとつだったりするから、
これからはイランが違って見えてきそうです。

次回もパナヒ監督。
「どうして女性が規制を受けるのか」、
そして「どうしたらいいのだろう」の話へ。
日本だって、男女雇用機会均等法が
施行されたのはほんの少し前。
まだまだいろんな意味で、途上なので、
まったく海の向こうの話、
っていうことでは無いんですよね。

お楽しみに。

『オフサイド・ガールズ』


Special thanks to director Jafar Panahi
and Espace Sarou. All rights reserved.
Written by(福嶋真砂代)

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2007-09-05-WED

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