OL
ご近所のOLさんは、
先端に腰掛けていた。

vol.94
- afterdark? -


センタン、その後…

このコラムの妙なタイトル、
『ご近所のOLさんは、先端に腰掛けていた。』の
“先端”の由来は、そもそもこのコラムが始まったときの
私の仕事場の名前が、先端情報技術研究所(以下センタン)
だったところから、糸井ダーリンがつけてくれました。

センタンというのは、その昔「ICOT(アイコット)」という
第五世代コンピュータを研究するための
国家プロジェクトを行っていたところで、
終了と同時にその研究成果を引き継いだのと、
もうひとつの使命として、
日本のソフトウェアの国際競争力をつけるために
他国と比べてどこを強化すべきかを研究して
政策に反映するように政府に提言するという
仕事をしているところでした。

そしてセンタンは、
2004年3月にその使命を終えました。
わたしはその少し前にセンタンを離れて、
某衛星画像研究センターに移り、
NASDA(現JAXA)の人工衛星から送られるデータを
紹介するウェブの仕事をしました。
衛星画像の目の覚めるような
美しさに単純に感動したのと、
データは地球環境に大事な役割を果たすのだと知って、
『お隣が宇宙、同僚がロケット』というコラムを
始めました。

実際、毎日、衛星画像を研究する研究者と一緒に
仕事をしていたので、
間近に研究の進みをお知らせすることができるし、
NASDAの方々も「ほぼ日」のみなさんに
彼らの研究を紹介するのを喜んでくれて、
忙しい中、協力を惜しまずにしてくれたので、
なんとか進められるだろうと思っていました。

だけど、残念だったのは、
私の居た某センターはひとつの財団法人で、
当時のNASDAと共同研究をしているところでしたが、
NASDAとは体質が違ってて、
いわゆる日本らしい体質というか、
センタンでのびのび「ほぼ日」を書かせてもらってた
ときとはまるっきり状況が違いました。
それにわたしのやり方もまずかったので、
コミュニケーションギャップが埋まらなくなってしまい、
『お隣が宇宙‥』を進めることがだんだん難しくなって
しまいました。

そのころH2Aロケット打ち上げが失敗し、
コラムで紹介したアデオス2という衛星がストップし、
ウェブ担当していたエイロスという
衛星の打ち上げが延期され、
なんだか自分の中で「火」もカボソクなっていくのが
見えました。

ところで、センタンで一緒に仕事をしてきた人たちは、
その後バラバラになっていきましたが、
不思議なことに、体調を崩す人が多かったのでした。
神経系、血管系、アレルギー‥
それからなぜか原因不明という現代医学の手の届かない
病気の診断を受ける人もいたり。
これがコンピュータを専門に扱う職場であったことと
何か因果関係があるか無いかはわかりません。
無いと言えば無い、でもあると言えばあるのかも‥。

プログラマーに聞くと、
複雑なプログラミングは、高度になればなるほど、
神経をすり減らし体力を消耗するものだという。
電磁波が何か影響を与えているのかもしれないし、
それはまだまだ検証がされていないから
なんとも言えないですけどね。
でもこういう現象はこのハイテク時代、
いたるところにあるのでしょう。

それがあったかどうかわらかないけれど
センタンから某センターに移ったわたしも
毎日わけのわからない疲労感に捉われていました。

それで、しばらくコンピュータから離れて、
身体性を取り戻さなければ‥と思いました。
ちょうど観た中国映画で頭のどこかを「ガン!」
と殴られたような衝撃があって、
中国4千年の身体性と精神性と、
超越した不思議なパワーを感じたからなのか、
さらに太鼓のエネルギーをもらったり、
バランスの悪かった右脳が徐々に
蘇ってきているように感じました。
(淀川長治さんのように
「映画ってホントにいいですねー」)

結果的に某センターから離れることになり、
宇宙からの記事が書けなくなったことは残念だし、
中断してしまったことを申し訳なく思います。

いま明るいニュースは、
延期されていたロケット打ち上げが今年再開し、
人工衛星のエイロスの打ち上げも
スケジュールに入っていることです。
きっと担当の研究者もエンジンがかかっている
でしょうね。
今後のJAXAのニュースに注目しましょう。
特に地球の変動が顕著になってきて、
災害にも役立つ陸域観測のエイロスは大きな使命を
担っています。
エイロスをまた書けるときが来たら、書きたいです。

『ソン・フレール』はお寺の鐘の音のよう。

こんなふうに神妙にうしろを振り返ったのは、
もうすぐ公開の映画『ソン・フレールー兄との約束』
を観たからかな。

この映画は、凄いです。
静か過ぎて盛り上がらない緊張感も凄い(‥?)。
圧倒的な生と死のリアル感を詩のように
フランス独特の質感とリズムで編み上げていきます。
『王妃マルゴ』のパトリス・シェロー監督は、
この映画で特に「肉体」に焦点をあてて、
淡々とドキュメンタリーのように
迫りくる死と向き合う兄(ブリュノ・トデスキーニ)と
そんな兄と向き合う弟(エリック・カラヴァカ)を
静かにリアルに見つめ続けます。



ブルターニュの海の表情は
孤独と闘う兄の心を映すように寒く寂しく、
病院の描写もリアルに進んでいくのですが、
ときの流れに従って
確執を抱える兄と弟の心が融けるように、
見ているほうもだんだん温かい火が灯る感じが
してきます。

リアリズムを追求する監督が特に力を入れたのは
兄の手術前の剃毛のシーン(ムムム)。
これがまた凄い。
全身麻酔をするような大手術を受ける患者が
処置としてもっともリアルに感じるのは、
そういえば毛を剃るところだなあと
(あとは眠っちゃうから)
妙にナットクしながらも、
さすがフランス人の身体感覚だなあと、
直後に観た『血と骨』と比べて、
アジアの肉体表現との違いも感じたり。
兄の死を考えることで、弟が生を強く感じるような
コントラストのおもしろさがあります。
そしてわたし自身の「生」をあらためて
見つめなおしてみたり、過去を振り返ったり、
お寺の鐘のようにその余韻が響き続けます。
というわけで、センタンの後の自分をちょっと
見つめてみたわけでした。
マリアンヌ・フェイスフルの挿入歌、
「Sleep」が沁みてかっこいい〜です。
みなさんはどう感じるか、ぜひ聞いてみたいです。

(『ソン・フレールー兄との約束』は、
2月12日(土)より渋谷ユーロスペース、
その後全国順次公開です。)

あの頃の未来に‥。

もう一度コンピュータの話にもどると、
あの頃センタンやコンピュータ科学者が
見ていた世界に、いま近づいているのかなと
考えたりするのですが、
インターネットを使う人間の現実は、
どうも逆方向に動いているように見える。
コンピュータで世界を広げ「自由」を目指したと
思っていたのだけれど、
犯罪や不都合が起こるたびにセキュリティ管理が
厳しくなり、縛りが強くなっていく。
それはそれで仕方ない現実だけれど、
人間の意識までより管理的、保守的に動いてしまってる。
どうも時代がバックしているように見えるのだけど
わたしの目の錯覚だろうか。
そういう一時的な現象なのかもしれないですね。

センタンゆかりの研究者のみなさんは、
どういうふうに感じているのでしょう。
このあたりは、
去年の「東京をリデザインする」での
ひろゆきさんの見解もおもしろかったので
またご紹介しますね。

ではまた。

□東京をリデザインする
http://www.realtokyo.co.jp/ja/redesign/004_1.htm
□宇宙航空研究開発機構
http://www.jaxa.jp/index_j.html
Special thanks to Emi Saito (Moviola).

ご近所のOL・まーしゃさんへの激励や感想などは、
メールの表題に「まーしゃさんへ」と書いて
postman@1101.comに送ってください。

2005-01-23-SUN

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