OL
ご近所のOLさんは、
先端に腰掛けていた。

vol.153_2
- Kurosawa/Kitano Seminor 2 -


映画は学べるのだろうか‥‥
──「藝大映画週間」その2


□東京藝術大学大学院 映像研究科の
一期生のみなさんにお話を伺いました。



左上から筒井龍平プロデューサー、加藤直輝監督、
大門未希生監督、左下から渡辺裕子監督、脚本の大石三知子さん。

── 黒沢・北野ゼミで学んだことなどを
   お聞かせください。
   妙な疑問なのですが、
   映画は学校で学べるものだろうか、と
   ふと考えてしまったんです。


加藤 僕は、黒沢・北野作品が大好きで、
   作品を観て自分なりに考えたり、
   勉強していました。
   もちろん、2人がいろんな場所で話したり、
   書いたりしたものも吸収してましたし、
   そういう意味では、
   藝大でとくに学んだことは無いです。
   逆に、いままで活字や作品としてしか、
   接することが出来なかった人と、直接、
   こういう距離感で接することができたことが
   出来たことがいちばん自分のなかでは大きいです。

   つまり、黒沢さんという人がいて、
   日常こういうことを考えていて、その人が
   考えていることが、ああいう作品になる
   ということが肌で実感できたことです。

── 黒沢さんは、「作家性」というものを
   学んでほしい、とおっしゃってますね。
   この2年間で、自分のなかで、
   なにかが変わった瞬間みたいなことありましたか。


加藤 僕自身の経験から言うと、
   ほんとに「映画に出会った」
   という言い方をしていいと思うんですけど、
   藝大を含めて、いろんな流れからして、
   いままでの人生とはガラっと変わったと言えます。

   

渡辺 私が映画を目指したきっかけは、
   黒沢さんの映画を偶然観たところから
   始まっていて、
   そこからイモヅル式に映画を観て、
   そこで、映画を生業として生きていけるかも
   しれないという‥‥、なんというか、映画と‥‥、

── 心中できるかも‥‥?

渡辺 まあ、そんな感じです(笑)。
   2年間でなにが出来たかまだわからないですが、
   そういうのが1本の糸として
   見えてきた感じがします。
   1本1本作りながら予習、復習をするように
   1作品ごとになにか徐々に変わって
   きているなと思います。

大門 僕は学校嫌いなはずなんですけど、
   なぜか学校を転々と回っていることになって
   (大門さんは大学卒業後、映画美学校で学び、
    一旦就職したが辞めて、藝大大学院に進学)
   いまも、博士課程に進むことになりまして。
   ほんとうは僕はいちばん
   「映画は学べるか」という質問に答えられなきゃ
   いけないはずなんです。

筒井 ほんとだよ!(笑)

大門 現場に行けば「早く現場に来い」
   と叱られるとは思うんですが、
   結局、現場であれ、学校であれ、
   どこにいたとしても、
   あるいはそういうところにいないにしても、
   自分なりに学ぼうという意欲があれば、
   何かしら学べるとは思います。

   「作家性」云々という話になれば、
   それを「人に伝えられるか、どうか」
   っていうことが大きな問題で、
   「作家性」というのは誰にでもある
   という気はしています。
   でもそれが、商業映画において、
   お客さんに観ていただくというラインに
   立ったときに、ある程度の表現力というか、
   共通の言語なり、人に伝えるための技術を開発
   するということはあるかなと思います。

   やはり、黒沢さんも北野さんも、
   そういう語り口というものが、
   いかに自分の持っている映画体験なり、
   それ以外のものを伝えるか、ということを
   独自に開発していった人たちですし、
   それは基本的には、勉強して身につけるもので、
   持って生まれたもの、という感じではないな
   と思います。

── 言葉を探す、みたいな‥‥?

大門 そうですね。うまくしゃべれるようになる、
   みたいなことかなと。

── いくらすごいものを持っていても、
   世の中と乖離してしまっては、
   商業的に成り立たないので、
   作品としては困ることでしょうし、
   そこらへんはプロデューサーとしては、
   苦労するところだと思うんですが、
   今回の『新訳:今昔物語』を上映まで導いた
   熱意のほどは、どうだったんですか?


筒井 熱意というほどでは無いですが(笑)。
   それまで、たとえば、
   脚本コースの人が書いたものや、
   監督が撮りたいと思っていたテーマを
   映像化するというのをやってきてました。
   今回の『新訳:今昔物語』は、初めて、
   プロデューサーコースが主導権を握って、
   全体の企画を進めていける機会だったんです。

   プロデューサーとして考えるのであれば、
   お金を外から調達してくるところから、
   実際に作品を外に、映画である限りは、
   劇場にかけて、できることならDVDリリース、
   ネット配信、放送権の売却、
   みたいなところまでやって初めて
   “プロデューサー”と言えるんじゃないかと、
   ずっと思っていました。

   だからいいチャンスだなと思って、
   堀越さんに「いいですか?」と聞いたら、
   「やってみろ」と言うのでやりました。
   実際、堀越さんがユーロスペースの
   オーナーじゃなかったら、
   正直、劇場上映も難しかったとは思います。
   だけど堀越さんがユーロスペースのオーナー
   だというのは、出資を募るときも
   カードとして切っていたし、
   プロデューサーとして名前がクレジットされる
   という土俵に立つところから始めないと、
   打席にすら立てないと僕は思っていたので、
   パッションというより、
   むしろクールに計算してやってました。

   

── いま日本映画は厳しい状況ですけど
   苦労しましたか?


筒井 モブキャストというモバイルコンテンツの会社が、
   今回、出資をしてくれました。
   けっこう何社か回って、なかなか厳しい状況で、
   このままやっていてもシンドイなと思ってたとき、
   知り合いのおじさんから紹介していただいて。
   それこそ縁ですよね。
   「自分たちも若い会社だから応援していきたい」
   と言ってくれて。
   藝大だとか、武さんだとかの名前が使えて、
   ある程度、話題性がある作品を、
   まず携帯で配信させてくれるのだったら、
   それだけ資金をつけますよ、という契約です。

   そうとう実践的な作業を、規模だけが小さいけれど、
   映画ビジネスの頭から終りまで、
   出来たと思います。

   

── そうなると、あとは集客ですね(笑)。
   クオリティということも気になるところですが、
   脚本の大石さんはどうでしたか。


大石 田中(陽造:脚本コース教授)さんから、
   入学するときに、
   「大学で教えることは何も無い」
   と言われていたので、
   「どんなもんだろう」と思って入ったら、
   まったく放任主義というか、
   そういう学校のスタンスに最初はびっくりしました。
   でも、撮影機材とかは、いくつかの
   ハードルは越えないといけないですが、
   希望が叶えられる環境でしたし、
   脚本についても、
   学校の制作に参加するしないは、
   それぞれの判断やモチベーションに依りました。
   自分で書いたものを担当の先生に観てもらったり、
   監督志望の人に読んでもらったり、
   環境としては恵まれていたと思います。

   『新訳:今昔物語』は、自分の書いたものが、
   映画化される(2本目の映画化)という
   経験ができ、出来上がった映像を観て、
   新たな発見があったりしました。
   これからもどんな形でも、
   映画に関わっていきたいと思います。

── どうもありがとうございました。
   ご活躍を楽しみにしています!


いまこのすごい才能たちと、
同時代に出逢えたことに感謝を込めて。


Special thanks to director Kiyoshi Kurosawa,
Kenzo Horikoshi, Tokyo Geijutu Daigaku Students,
Tayo Nagata and Yuri Kajitani. All rights reserved.
Written by(福嶋真砂代)

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2007-05-29-TUE

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