あなたの、
『MOTHER』の気持ち。

こんにちは。
たくさんのメールをありがとうございます。

さあ、日曜日は短めに抜粋して
どんどん掲載していきますよ。
いただいたすべてのメールを掲載できなくて
ごめんなさい。

いろんな人のいろんな気持ちを、
つぎつぎにどうぞ!




ファミコン版MOTHERが発売された頃、
僕はまだ小学生で父親と競って
プレイしたのを良く覚えています。
好きな食べ物、ワープにあらわれる贅沢なムダや、
端々に織り込まれるブラックなセリフなど、
敵を倒すという目的以外の面白さの多いところが
大変好きでした。
フライングマンのイベントは胸に刺さるようで、
泣いてしまいました。
ゲームのキャラクターに涙したことは
それ以後無かったと思います。
あのころの切ない感覚を
そのまま真空パックするように復刻していただけると
嬉しいです。
(みずもの)

ちょうどネスと同じ12歳のときにマザー2をやり、
それからというもの
毎日じっくりと進めていきました。
そして同級生の友達数人にも紹介し、
みんなでそれぞれ違う冒険をして
それぞれの冒険日誌を語り合いました。
僕のネスとは違うネス。
一体どんな冒険をしてきたんだろう。
そう思うだけでワクワクできました。
その時から数年経った今、
今度は12歳ではなく15歳としての僕のネスと、
同じく成長した友達のネスの
また違った旅が始まろうとしています。
もう頭の中には
ポリアンナが流れてきています(笑)
(ひみたか)

絶対、いつか、出るだろう、と思っていました。
確信があったわけではないのですが、
ただ、MOTHERというゲームを、
今一番遊べるのは絶対に
ゲームボーイアドバンスしかないと思いましたし、
ゲームボーイアドバンスこそが、
実は一番「オトナのためのハード」だと
私は強く思っているので。
(トリプルぐんま)


最初に2を遊んだときは「バトルって何」って
「タコ叩き」しかできず、
スーパースターマンが近づくたびに
「こないでぇぇ〜」
と泣き出してアジトから出られないと思いこみ、
大好きなバンドのライブに遅刻しちゃいました。
(あぶじゅん)

思えば、私がインターネットを始めたのは5年前
高校生になった年の6月のことでした。
初めて学校でyahoo!を見て、
初めて検索したのが『MOTHER3』。
そして出てきたサイトは「ほぼ日」でした。
ほぼ日と出会わせてくれたのはMOTHERで、
諦めかけていたMOTHER3と出会えたのはほぼ日。
とってもとってもありがとうございます。
(ユガ)

最初はただ楽しくプレイしていたはずなのに、
気がついたら深いところまでのめりこんでいた
不思議なゲーム。
やさしいとか、かわいいとか、音楽とか、
大好きなところはたくさんあるけど、
具体的な部分だけじゃなくて。
表現しようもないほどの思いで
あふれてしまってます。
学校にいっても落ち着きません!
(kei)

早くマザーの続編でないかなーと言う友人の一言。
今までにない雰囲気が変わってて
面白い・音楽がすごくいい、そんなげーむだと・・・
それから数年後、家族中でマザー2を楽しみました。
その友人は、昨夏逝っちゃったんだけど、
きっと発売喜んでると思う。
(恭子)

「ゲームは子供に悪い影響を与える」と、
多くの人は語る。
僕も確かにそういう一面はあると思う。
だけど、MOTHERは必ず、
僕たちプレイヤーに強く優しい気持ちを与える。
この時代に生きる、今の子供たちにこそ、
触って欲しいと思います。
(deadman)

高校2年になる長男から突然
「おとなもこどもも おねーさんもふたたび」
とだけいわれて
「いついつ?なに?アドバンス?」
と大騒ぎしてしまいました。
それだけで通じてしまうくらい
MOTHERが好きでそして待ち望んでいました。
(飛鳥)

これは偶然なのですが
最近時間にゆとりが出来まして、
ニューファミコンなど購入して、
小学生だった頃の「ぼく」を
再び呼び起こそうかと思っていた所なのですが、
今回の復刻と重なったこともあり
なんだか大人になって、かつての
少年時代の思い出が詰まっている実家の物置きを
掃除しようと物置きを前にした時の様な
感じがします。
なんていうか、不思議な、
でもワクワクする予感ですよね。
(ジュンリュー)

あ〜不思議だ。
嬉しいのと同時に
何とも不思議な気持ちになりました。
1の時は小学生の夏でした。
何かあの暑い夏の感じが忘れがたくて
「Mother」っていいよね〜って
心に残っていました。
同じ季節は来ないけどなんか
「映画の様にもう一回観てみたい」そんな感じです。
(tong-poo)

ゲームが終盤になると 
クリアしてしまうことが悲しくて、
今までの街を行ったりきたりしてました。
テレビにテープレコーダーをくっつけて、
曲を録音して聞いたりもしてました。
うちのお父さんも遠くにいました。
気にしていないつもりでいても
友達がそのことを聞いたりする時 
ごまかしている自分が 変だなと思いました。
あれから色々あったけど、今度のマザーで
昔の自分にちょっとだけ会えるような気がして
またどきどき、楽しみにしています。
(おにぎり)

今日デリバリー版を読んだら
“MOTHERのページが大流行”と書いてあったので
一瞬固まっちゃいました。
「MOTHER…MOTHER…ほぼ日でMOTHER?
まさかゲームの?いやきっと母の日が近いし、
そっち関係のページかも。でももしかして…」と
ドキドキする胸をおさえながらページを開くと、
“もしかして”の方で、
うちはアパートなのにもかかわらず興奮して
「わー!どうしよう!」と叫んじゃいました。
(pikayuki)

好きなゲームは?と聞かれると・・・
胸を張って、でも少しだけもったいぶりながら
「マザー」と答える私がいる。
でも、私にとってMOTHERが「ゲーム」と
呼べるものなのかどうかを悩むときがある。
この物語に出会ったのは、小学生の頃。
映画「グーニーズ」のような冒険への憧れを抱き、
友達と作った秘密基地。この物語は私に、
人生において本当に大切なものは何か?
を考えさせてくれた。何よりうれしいのは、
「MOTHERが好きです」と
笑顔で言える感性を持てた事。
スタッフの皆様、本当に感謝しています。
(カミュ)

僕は私立の中学に通っていたのですが、
最初の友だちが出来たのは
MOTHER2がきっかけでした。
たしかサティのゲームコーナーではち合わせして、
「やあ」みたいになり、買ったあとそのまま
そいつの家に行ってやりました。
その後、ともにサッカー部に入り、
他の友だちも増えましたが、なんとなく未だに
その友だちとはMOTHER2つながりの
妙な雰囲気が残っています。なので
MOTHER2とあの赤いパッケージは宝物です。
(シェルドン)

CMの歌は知ってても、
キムタクが出ているとは知りませんでしたね。
なんとなく3年位前に最初からやってみると
・・・なんと最初の名前を決める所の候補に、
SMAPの皆さんの名前があるじゃないですか!!
でも決めるのは4人しかいないよな、と進めてたら、
あ、いた、ペットに。可哀相で大爆笑でした。
もう一回やったら、
また新たな発見がありそうですね。
(メッケメケ)

糸井さんのインタビューと
皆さんの思い出を読んでいて、
「作り手」と「ユーザー」は実は
しっかり見えない糸で
繋がってるんだなあ、と感じました。
(R.M)


マザー2買って、ネスに自分の名前付けて、
ポーラに好きな子の名前付けて
ジェフとプーに親友の名前付けて・・・。
あの頃の僕の冒険の教科書的な名作です。
(まっきー)

初めてお便りします。
初めてお便りしたいという気持ちになりました。
「MOTHER」
…無視できない。
「MOTHER」
私が始めて最後までやり遂げたゲームです。
「MOTHER2」
私が始めて本当に一睡もしないで(徹夜で)
やり遂げたゲームです。
あとにもさきにも
あんなに一生懸命テレビ画面を見つめ続けたゲームは
「MOTHER」「MOTHER2」だけです。
あのときの
まっすぐな気持ちが
せつない気持ちとなって、
今、私の中にあります。
(鮎)

おととい友人の中学1年生の弟から
珍しく電話がきました。
「まざーの1、2がアドバンスででるって!!
 どせいさんがテレビに出てたよ!!!」
正直。嘘だと思いました。
ほぼ日を見て真実だと確信!
その瞬間、ネスやニンテン。ポーラ。
マザーの世界が。大好きな。
大好きなオネットの音楽が頭の中に広がった。
嬉しくて嬉しくて半べそかいた。
マザーは当時小学4年生の私に
まっすぐな広い道で全速力で走れば日本の裏にだって
一瞬でテレポーテーションできるんだ!!!
と信じさせ実行させた。
今の私にとってマザーは将来、
自分の子供と一緒に遊びたい唯一のゲームソフトだ。
(牧介)

復活ですか・・・。クソ嬉しいです。
本当は、もっと興奮してるはずなんスけど、
なんかこう、熱い何かが、「グググッ!」と。
(ハレ)

思えば私がまだ小学生だった頃。
ファミコン情報誌で電気スタンドの写真を見て、
『これはホラーゲームなんだ!』
と思い込んでいた自分。
親戚の家で真っ赤なソフトを見つけて
テレビをつけた自分。
あまりの面白さに、
自分もプレイを初めてしまった自分。
最初は好きな食べ物が『かんでんち』だった自分。
学者になって、
歌うサボテンを作るんだと夢見た自分。
いろんな自分を、
昨日のことのように思い出します。
それで本当に進路を決めてしまった、
MOTHERは私にとって特別なゲームでした。
MOTHER2も、もちろん大好きで。
人生で一番のゲームはMOTHERなのです。
6月に、笑顔で言いたいと思います。
『おかえり!』
(小鳥遊みく)

マザー2はもう何回もやりこんで
黒ゴマも白ゴマも見つけたし(笑) 
わすれものは届けたし 
マジックトリュフも全部見つけたし
ウィンターズで、ジェフ一人のとき、
敵が落とすクッキーとバターロールを
取っては売り、取っては売りで
ネスにゴジラのバットをお土産に買っていく、
なんて変なプレイもしたし。
そして、何度やっても、
必ずマジカントに行く直前と、
EDでは、泣いてしまいます。
今も思い出して泣きそうです。
(asako)

・・・心残りだったのは、
スタッフロールの後の最後のシーンを見る前に
電源を切ってしまったこと。
そこで終わりだと思ってたのに、
友達の話だとまだ先があるのだと。
でも、その時の僕にはもう一回
エンディングに行く勇気が足りなかった。
ギーグの怖さに負けていた。あの頃の僕は弱かった。
それ以来エンディングを見ないまま月日が過ぎ、
僕はもう大学生。おとなもこどもも、おねーさんも。
今の僕は大人に近づいています。だけど、
いつまでも子供の心は忘れずに生きていきたい。
そんなことを考えながら、
そして見ず終いだった最後のシーンを見るためにも、
待ちつづけます。MOTHER1+2の発売を。
あのころより少しは図太くなった勇気をもって。
(俊太郎)

個人的にずーっとうつ気味で、
元気がなく、無職という状態でした。
別にそれでも食べていけるし・・・と言った感じで
万事に無気力。嬉しいこともないしね。
気力体力使うのがめんどくさくなって、
ゲームもあんまりやりません。
ところが、『MOTHER1+2』の発売、
『MOTHER3』の制作再開を聞いたとたん、
昔、遊んだ時の幸せな記憶が、パーーーッと
記憶装置の中から再生されたんです。
たかが(失礼!)ゲームが発売するだけで、
こんなに幸せになれるなんて!
こんな風に感じてらっしゃる方が
たくさんいるんですよね。『MOTHER』には。
『MOTHER1+2』を買うために働こう!
と思いました。そう思ってから、びっくりしました。
本当に楽しみにしています!
生きる希望が湧いて来た!
(やっぽん)

「出るって!!」という彼氏からのメールや、
深夜のCMを観ても
忘れていて思い出せなかったことが、
ほぼ日を見るほどに鮮やかに蘇ってきます。
当時、思春期だった私が、
主人公の彼が黒髪だったので日系であると判断し、
いつか、絶対に出会ってケッコンする!と(勝手に)
心に決めるほどアコガレていた、
UNICORN(当時)の奥田民生さんから
お名前を頂いて『タミオ』と名付けていたこととか。
(楽天丸)

MOTHERと言えばサウンドトラック。
特に「1」のサントラCDは名盤で、名曲揃い。
ロンドン録音された事や、
マイケルナイマン氏による
「エイトメロディーズ」のアレンジ(!)も
聞き所のひとつでしょう。
僕は1000枚程のCDを所有していますが、
その中でも永遠と僕の中のトップ5に入っています。
(ORGAN)

僕にはまだ奥さんも子供もいないし、
自分の『家』もないのだけれど、
『ふすまをそーっと開けたむこうがわに、
MOTHERをやっている自分の子供の後ろ姿を見て、
何も言わずに「にやーっ」とだらしなく微笑みつつ、
今度はそのふすまをそーっと閉めたい。』
というやたら明確なビジョンがありますとも。
(小鉄)

MOTHER2は、
発売当初は余裕が無くて遊べずにいて、
高校を卒業後、上京して、
友人に貸してもらって初めて遊びました。二十歳。
多少大人になって遊ぶMOTHERは、
それまでに遊んだ”ゲーム”というものの
印象を一気に覆しました。頭の中で固定されていた
好きなSFCソフトランキングは
MOTHER2の遅すぎた躍進により、大崩壊。(笑
昔、前作を遊んだ記憶も蘇り、
イベント毎に半泣きになっていました。
今ではもうすっかり社会人になりました。
(LON)

最近理科で、
恐竜(化石だったかな?)の授業を受けて
「もう一度カニメザウルスを、ぶったたきたい!」と、
思い立った所にMOTHERの話が
舞い込んできました。
もう、うれしくてうれしくて
べしょべしょに泣きまくりました。
(a)

先月、部屋の掃除をしていたら
四角いボタンのファミコンがでてきました。
そして、一番最初に思ったのが
「あぁ、MOTHERしたいなぁ」でした。
でも本体は見つかったのに
接続する線が見つかりませんでした。無念。
数日後、姉からのメールで
MOTHER1+2、3の発売を知り、
部屋の片隅に置かれたそのファミコンをみました。
そのファミコンは微笑みながら
「GBA、買っておいで」と言っているようでした。
GBAを買ってきた夜、攻略本が見つかりました。
あぁぁ、早くしたいよ!
(キャズミ)

初めてマザーをプレイしたのは
小学校1、2年だったかな。
力押しでプレイしていたためラストがどうしても
クリアできず投げ出しちゃって。
そして高校生になって、
今までクリアしてなかったゲームを
クリアしようと思い、
最初にマザーに取り掛かろうと思ったら
時すでに遅く、
すでに売ってしまってました。
「俺は…俺は!」と後悔しつつ躍起になって探し、
半年後、未開封のマザーを定価でゲット。
取説に書いてあった攻撃用PSIの説明表現に
「かっこいい!」と衝撃を受け、
プレイしてダブルの衝撃を受けました。
(しん)

最近になってまたMOTHER2をやり始めて、
殆ど行くことのなくなっていた
MOTHERを買ったお店にも
少しずつ行くようになり、
そのおかげで行くまでの道のりで
懐かしいものを発見したり、
子供のころによく行った場所に入ったりして、
どんどんあの頃の気持ちが蘇って来ます。
リメイクされると聞いた時は
とても嬉しくなりました。
MOTHERはプレイしたことがないので、
今の「大人に近付きかけた私」を
どんな風にしてくれるのか楽しみです。
(一条しおん)

い、今手がふるえてまともに字が打てません。
小さな「つ」がはいっちゃいます。
今日、さっき、週刊ファミ通ではじめて知りました。
鼻血でそうでした。笑いがこみあげてきて、
周りの客に変人だと思われたかもしれません。
ネス様、愛してます。
人生の大半、もちろんこれからも。
頭が興奮しすぎて変になっちゃってまして
何を書けばこの想いが伝わるのか、
何もわかりません。
このシリーズ、ずっと大好きです。
もうこれ以上書けません。でなおします。
がんばってください。ありがとうございました。
(15歳の女)

私は小学生の頃に「MOTHER2」をやりました
…お友達から借りて(笑)確か発売直後で、
そのお友達が…低学年の子で
進め方が分からないって言うので、
最初は教えてあげながら…やってたんですけど、
「あたしが、先に進めてくるよ!」
って言って借りて、
そのまま全クリ(全部クリア)してしまいました!
…人様に借りたもので。そのお友達よりも先に、
全部クリアしてしまって…(笑)
(おもちゃ屋さんのリカちゃん)

私もハード(ファミリーコンピュータ)が
手元になくなり
もう一度 MOTHERをやりたい!と思いながら
ソフトのみ大事に置いていたので、
今回のゲームボーイ移植はほんとうに嬉しいです。
また、MOTHERを愛してきた人が
多かったことを知って、
なんだか、自分がおおきくなってきた
やりかたが、まちがっていなかったんだ!
と思えて、二重にうれしい。
(シルコ)

MOTHER2はちょうど私が大病をして
家から出られない期間にやったせいで、
特別な思い入れがあって忘れられないゲームです。
やっぱり音を全て集めた後のイベントは
涙なしには見ることができません。
決戦に挑む辺りから
最後まで泣きながらやりました。
他の方の話を読んで、
泣いちゃうのは私だけじゃないんだと、
ちょっと安心しました。
(美樹)

MOTHERといえば、セーブの仕方がわからなくて、
ホテルに泊まってみたり、
お母さんに話しかけてみたり、
本当に途方にくれたものでした。
気づいてみれば、目からウロコ。
どうしてわからなかったんでしょう。
寂しさと、優しさと、薄気味悪い怖さ。
切ない物語でした。ゲームで初めて、
「女の子」に自分の名前をつけました。
心のやさしい、大好きな女の子でした。
いまではわたしも、お母さんになりました。
クイーンマリーの想いが、切ないです。
(ひろ)

インタビューで話に出てきた、
終盤のぼくが生まれてくる場面、
思い出すのにしばらく時間がかかりました。
どんなイベントだったかマザーのファンページで
セリフを見てようやく思い出しました。
思い出した途端全身に鳥肌が走りました。
プレイしてた当時は何となく、
自分が生まれた時
うちの両親は何を考えていたんだろう?なんて
(ほんのチラッと)考えていたのを
今の今まで忘れていましたが・・・
大学生になった今振り返ってみると、
全体を通してこんなにも愛が溢れていた
ゲームだっただろうか?と。
最近親元から離れて痛切に親の愛情を
感じているせいもあるのかもしれませんが。
(sing)

個人的に旅行が好きで、最近は年に一度休みを取って
中東に行くのを趣味にしています。
むこうで色々な親切を受けたり、
中にはメールで連絡を取ってる人もいたり。
そんな人間としては、現在の中東情勢についての、
お偉い立場からの勇ましい発言を
聞くたびにやりきれない思いになってばかりです。
得てしてそういう気分のときって、
過去のことを思い出すと後ろ向きな
ノスタルジーになることが多いのですが、
MOTHERはそれとはちょっと違うんです。
前向きなノスタルジーっていうのか、
うまく言葉が見つからないんですけど、例えば
ほぼ日でMOTHERの話を読んで
いろんなことを思い出してると、
目の前のことに対してもやる気が沸いてくるんです。
(ネスの分身)

こんなアプローチは
邪道だよって言われちゃいそうですが
実は私はMOTHER2のポスターを持っています。
パネルにして永久保存版として
大事に大事にしまってあります。
さっきまた出してきて 若い木村君を
ながめていました。
な〜んかうれしくなってきました。
(M)


当時小学生中盤だったワタシは、内容的には
1も2もごっちゃになってしまうほど
記憶があいまいなのですが、
子守歌とBGMは全部鼻歌で歌えます。
てゆうか、ちょっと歌ってみたら
フルコーラス歌えてしまった自分に
ビックリしてます。
誰もいない応接間のテレビを陣取って、
コントローラを握りしめたまま寝てしまう程
深夜までダンジョンを
さまよってた事もありました…。
当時の小学生にして
寝落ち体験できる程のゲームって、
やっぱすごかったんだなぁとしみじみ思います。
(Nyoco)

夜中にぼーっと見ていたTVが真っ赤になって、
どせいさんが、ぷうぷう言いながら出てきました。
アドバンスが出てからずっと密かに熱望していた、
「MOTHER1+2」が出る!! 
スーパーファミコンを物置から出してきて、思わず
「はじめから」を選んでしまいました。
(masamune)

小学生の低学年の時「MOTHER」に出会い、
最初はアルファベットのつづりを
何て呼ぶか分からないので
「地球」って呼んでたのを思い出します。
(ネス)

2003-04-27-SUN

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