あなたの、
『MOTHER』の気持ち。

こんにちは。
たくさんのメールをありがとうございます。

メールを受け取っていて驚くことは、
日々届くメールの数が減らないということです。
さすがに、発表されたばかりのころの
嵐のような勢いはおさまってきましたが、
それでも毎日じゃんじゃん届いています。

「うれしい!!」、「驚いた!!」という声が少し減り、
そのぶん、じっくり読みたくなるような
暖かい、切ない、優しいメールが増えてきています。
ほんとうにありがとうございます。

さて、じっくり、ゆっくりの土曜日。
今週も、心に残るメールを8つ紹介します。



私も大好きでした。
攻略本も他のゲームとは違っていて
小説としても読めるものでゲームはやらなくても
大事に大事にとってありました。
高校の先輩でやはりMOTHERが大好きな人がいました。
大分年が離れていてとっつきにくかったのですが
周りではまっている人はその先輩と私だけだったので
二人だけでいつも魅力を語っていたのを思い出します。
私がどうやってもギーグが倒せず、ものすごい経験値
(っていう言い方じゃなかったような・・・。)
になってもダメで途方にくれて、
「どうすればいいんですか?」って聞いたら
「人に聞くのは掟破りだ。自分で考えろ」
って叱られました。でもすぐ後に、
「何故旅していたのか、よく考えろ」と言ってくれて、
ようやく気がついた時、
本当に涙が出たのを思い出しました。
本当に本当に楽しかったです。
あれほど夢中になって
大切に思ったゲームは2度と現われず
ゲームをやめてしまったくらいです。
またぜひやりたいです。
(まゆひ)

今の私は、
ファミコンもスーファミも持ってないですが、
いつも一番好きなゲームは「マザー」でした。
当時、親友と二人でプレイしてたことを思い出します。
お互い、主人公をそれぞれが
当時好きだった人の名前にし、
女の子に自分の名前を入れて
きゃーきゃー言ってたこと。
テレポーテーションがうまく出来なくて、
十字キーをぐりぐりしてたら
親指にマメが出来たこと(しかもつぶれかけてた)。
好きな食べ物にハンバーグと入れて、
親友に大笑いされたこと。
フライングマンを(知らずに)連れて行って、
死んでしまった時のショック…。
その後、マザー2が出て、
またその親友と二人でプレイしました。
1の時のように名前を変えずに、
お互いデフォルトの名前でプレイしたこと。
(「名前いれるのって恥ずかしいよねー」
 とか言ってたと思います)
ゲームやって生まれて初めて感動して泣いたこと。
どせいさんがかわいくて、
二人してノートに落書きしまくってたこと…。
色んな思い出がつまっています。
今は、大阪と静岡に別れてしまっているけれど、
今でも仲良しのあの子にも
「マザー」復活のメールを
これから入れようと思います。
本当に復活してくれて、ありがとうございました。
もうプレイ出来ないと思ってたので、
本当にうれしいです。
(しろ)

「マザー1」をプレイしたのは大学生時代。
「マザー2」をプレイしたのは社会人になってから。
自分のなかでは別に「ベスト」なゲームではなかった。
でも、ずっと心にひっかかっていたゲームだった。
当時、RPGにハマっていた母に
軽い気持ちで「マザー2」を勧めたら、1ヶ月後
「こういうゲームもあるのね!」とやけにエキサイト。
その時は、母の思いがよく理解できずに、
「まあ、楽しめたようだから、いっか」
程度に思っていたのだが、
去年、ふとしたきっかけで「マザー2」を再プレイ。
娘をもつ父親としてプレイしてみてビックリ。
独身時代にはピンとこなかったメッセージが
グサグサ突き刺さって、
エンディングを迎える頃には
あったかい気持ちでいっぱいになった。
そして、8年前の母の思いも理解できた。
人の親になってはじめてわかるゲーム。
そんなの、他にはないよなあ。
(k)

私はMOTHERにほんとにいろんなものを
もらった気がします。
言葉に表すのが下手だから上手くいえないんですけど、
こんなゲームは他にないです。
初めてエンディングを見た時は
やり始めてからだいぶ後ですけど、
終わってしまうのがすごい寂しかったです。
終わってもまた始めからできるけど、
冒険はあそこで終わってるんですよね…
姉のセーブ記録を
私が勝手に使って進めていたこと(笑)、
大学生になってもうゲームをやらなくなった姉が
「私もやる」と何年かぶりに
コントローラーを握ったこと、
毎日のようにMOTHER2をやっていたあの日の私、
忙しくなった今もときどき妙にやりたくなるその感じ、
このホームページに顔を出すようになったきっかけ、
ネットで長い文を読むのが嫌いな私が
糸井さんの語りをじ〜んとしながら読んでいたこと、
今ここにいる、MOTHER2が大好きな私。
全てMOTHER2が、糸井さんたちが、
私に与えてきたものです。
本当にありがとうございます。大好きです。
MOTHER2をクリアした日の
日記があったんで書いてみます(笑)
だいぶ前のだしすっごクサイですけど…(笑)
文がおかしいのもご了承ください(笑)
『人の心で、いろんなものが動かせる。
100%のうち99%不可能だって言われても、
その1%にはたつやたちと、
たつやたちのまわりのたくさんの人達の心が
働きかけたから、1%なんかじゃない、
そんなにたくさんの人たちの
優しいきもちが集まれば勝てないわけがない!
(中略)
だいすきだよ!!
つとむ、みかこ、ゆうすけ、じろうVv
そして、マザー2のせかいに住むすべての人!
ありがとう、今まで。そしてこれからもよろしくね!
ばいばいVvまたね!
ぜったい、会いに行くからVvそれまで…』
それでは、また。ハロー・そしてグッドバイ!!
(Sun-Flower)

私が初めてMOTHERの画面を見たのは
小学生になったばかりのころで、
母がプレイしていたのを後ろから見て、
「なんて怖いゲームなんだろう、
 早くお母さんゲームやめないかな」
と思ったのを鮮明に覚えています。
耳に残る少し切ないような音楽が怖くて、
ポルターガイストや、暴れ出す動物や車なども、
子供の私には今にも起こりうる出来事のように
感じられたのだと思います。
私の母はゲームが大好きなのですが、
幼い私は難しいゲームよりテレビの方が何倍も面白く、
ゲームが嫌いでした。
初めてMOTHERに出会ってから数年後、
熱中していた習い事を
ひょんなことから辞めてしまって、
落ち込んでいた時期があったのです。
ヒマを持て余していた私は、
母のゲームの中から赤い箱を手に取りました。
スイッチを入れて流れ始めた音楽に
心をうたれた瞬間は忘れられません。
それまではただ食わず嫌いで、
怖い怖いとだけ思っていたゲームというものが、
バーっと美しいものに変わっていった瞬間でした。
マップを歩くごとに感じられる色んな想いにふれ、
優しい気持ちになりました。
その後MOTHER2をお小遣いを溜めて購入し、
以来すっかりゲームが大好きになりました。
中学の文集の将来の夢には少し照れながらも、
「MOTHERのような作品を作りたい」と書きました。
あれほどゲームに興味がなかった私が、
MOTHERに出会ったことで
今はゲーム業界の片隅にいます。
ですが、時代は流れ、
MOTHERのようなあたたかく優しい、
「温度」のようなものを感じられるゲームが
極端に減ったことを感じます。
ゲームがないと生きていけない!
とまで思った時期もあり、
夢を持ってゲームクリエイターになったはずなのに、
いつの間にかまた、ゲームが嫌いになっていました。
そんな折、ずっと聞きたかった
MOTHERのサントラを友達が聞かせてくれて、
懐かしさと、不思議な嬉しさに
涙が止まりませんでした。
やっぱり私はゲームが大好きなのだと、
思い出すことができました。
MOTHERに出会うことができて本当に良かったです。
ありがとうございます。
私の目標や夢は、
いつでもこの作品の中にあるような気がします。
一生懸命旅したMOTHERの世界を思い出すと、
心が温まります。
移植されたMOTHERをどんな風にプレイしようか、
今からワクワクしています。
ファミコンもスーパーファミコンも壊れて、
MOTHERに触れることができなくなってから
5年ほど経ちます。
成人してからの初めてのMOTHERが、
私の心に何を残すのか楽しみです!
(saya)

小学生だった頃。
たまに熱を出して学校を休んだ時。
病院から帰ってきて、
でも寝ているのも退屈で、
弟が二人とも学校へいった静かな家の中で、
体のだるさや頭がぼーっとした感じと共に、
いつもと感覚の違う指でピコピコと、
MOTHERをやっていた。
学校休んでゲームやってていいのかな?
という、ちょっとした罪悪感と、
みんなが学校で勉強してる同じ時間、
自分は別な世界にいる、という優越感、のような。
「きっと また かえってくるのよ。
 くるしいときにここに…
 みんな あなたたちを
 すきなんだから。」
何度も何度もクイーン・マリーに会いに行った。
今日は歌を思い出したかな。
今日は泣いてないかな。
体の具合はいいのかな。
学校を休んだ日は一日中、お母さんと一緒だった。
弟が学校から帰ってくるまで。
私は田舎を離れて4年になる。
あの日には戻れないし、もう子どもでもない。
本当は、
クイーン・マリーの心配をしてたんじゃなくて、
私がただ帰りたくて、会いたかったから、かも。
「くるしいときに かえっておいで」と言ってくれて、
ありがとう、糸井さん。
…やだなあ。今から大学の授業なのに
ボロボロ泣いちゃった……
(かっしー)

高校生の時に、
一番仲の良かった友達が貸してくれたのが
「MOTHER2」でした。
RPGを一度もクリアしたことのない私に
これを渡してくれた友達は、
私がクリアできない部分を教えてくれたり、
時には彼女の家に泊まり込んで一緒にやっていました。
ゲームしながら、好きな人の話で盛り上がったり、
時には泣きながら話をしたりしたことを覚えています。
ゲームの内容というより(スミマセン・・・)、
そのときの自分の気持ちを沢山たくさん思い出して、
今、会社で一人で泣きそうになっています。
その友達とは、ささいなコトで喧嘩になり、
そのまま卒業して連絡を取っていません。
噂では彼女はあのとき話していた
「好きな人」と結婚をし、子どもがいるそうです。
私は、就職してまる1年が過ぎ、
あのとき彼女に話していた「好きな人」ではない
彼と結婚を考えていますが、
それもまだちょっと親との関係が難しく、
仕事も毎日忙しくて、
まだ新米だから緊張することも多く、
気持ちに余裕がなくなって、
なんとなく孤独になってました。
でも仲間って本当に大事だということ、
私の仲間、沢山思い出しました。
ケンカ別れになっちゃったけど、
あゆみちゃん、元気かな?
これをきっかけに、仲直りしたい!
けど今更連絡しても大丈夫かな?
不安ですが、連絡を取ってみたくなりました。
MOTHER3、一緒にできたらいいな。
(シズカ)

ほぼにちは。
初めて出会ったのは幼稚園児の時でした。
おそらく中古で、親父が買ってきた、
赤いカセットのゲーム。
親父のプレイをず〜っと横で見ていて
その時はちょっと不思議なゲーム、という感想でした。
そして小学校にあがった最初の年、
あのキムタクCMに出会いました。
始めて親にゲームを買ってくれ、と頼みました。
始めて自分だけでプレイするRPG。
その時もおもしろい、ちょっと変わったゲーム、
という感想で、なんとかクリア。
そしてそのままプレイする事なく、
中学生になりました。
ちょうどやるゲームもなく、
期待作が出るまでのひまつぶし程度の気持ちで、
MOTHER2をしました。
ゲームを進めるうちに、小学生の頃は感じなかった
変な気持ちになってきました。
その不思議な気持ちは、
話が最後に進むにつれ、どんどん膨らんでいきました。
あれほどボロボロ泣きながら
最後の敵と戦ったゲームは、後にも先にもありません。
2クリア後、僕はすぐに押し入れに眠っていた
初代ファミコンを引っ張り出し、
あの真っ赤なカセットを差し込み電源を入れました。
その瞬間流れるオープニングのあの音楽。あの映像。
そして、残っていた親父の記録の、
主人公の名前が僕の名前でした。
また涙が出て来ました。
幼い時に見たシーン、
音楽が流れる度に僕は鳥肌を感じました。
その度泣きそうになりました。
それから一ヶ月ほど、僕は何をするにも
頭からMOTHERの事が頭から離れませんでした。
そのすぐ後、3の制作中止を聞いて、と
ても悲しかったのを覚えています。
そして先週、あの印象的な赤いCMで、
異星人の汚い字を見てしまいました。
それだけで鳥肌が出ました。
その時から頭の中で
MOTHERがグルグルグルグル…
つくづく人の心の中に居座るゲームだと思います。
(秋田の男)

2003-04-26-SAT

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