ポケットに『MOTHER』。
〜『MOTHER1+2』プレイ日記〜

8月18日 ピラミッド考察


少し前まで、ネパールめいた場所にいたのだが、
いまは海を渡ってエジプトめいた場所にいる。
エジプトめいた場所というからには
やはりピラミッドがあって、
まだ足を踏み入れてはいないけれども
手応えのあるダンジョンが待ち受けているのだろう。

さあ、いよいよ後半なのだな、
と気合いを入れ直した僕だったが、
気合いを入れ直しながら、奇妙なことに気がついた。

なんだって僕は「後半の気分」でいるんだろう?

これまでの自分のプレイから推測すると、
どうやら僕は『MOTHER2』が
どういうふうに進んでいくかを詳しく覚えていない。
印象に残っている場面も多いけれど、
「この街のつぎにはどこへ行く」といった
ゲームのフローに関してはまるで記憶がない。

なのに、なぜ僕は、
「いよいよ後半だ」などと感じているのだろうか。

よくよく考えてみたところ
おぼろげにひとつ仮説を導いた。
少し突飛かもしれないけれど書いてみる。

それは、ピラミッドのせいではないかと思う。

身も蓋もない言いかたになってしまうが、
とかくロールプレイングゲームには
しばしばピラミッドが登場するものなのである。

具体的にいえば、
『ドラゴンクエストIII』にもピラミッドは登場した。
思い返せば、
『ファイナルファンタジーV』にもピラミッドは登場した。
言われてみれば、
『ゼルダの伝説〜神々のトライフォース〜』にも
ピラミッドは登場した。

こうして考えてみると、
ロールプレイングゲームとピラミッドは
切っても切れぬ関係なのだと言えないこともない。
ロールプレイングゲームとピラミッドは
相思相愛のステディな関係なのだと言えないこともない。
ロールプレイングゲームとピラミッドは
町内で評判のおしどり夫婦なのだと言えないこともない。

なぜというに、ピラミッドは、
固有の世界観とある種の不可思議を伴いながら
永きのあいだ独自の存在としてあり続けたため、
結果的にどこの世界に放り出されてもしっくりくるのだ。
どこの世界とも交わらぬ揺るぎなき存在感を持つがゆえに
どこの世界とも対等に渡り合えるのだ。

だから、たとえば、
中世を舞台にしたゲームに登場してもおかしくない。
現代を舞台にしたゲームに登場してもおかしくない。
宇宙飛行士が火星でピラミッドを見つけてもおかしくない。
タイムスリップした千年昔にそれがあってもおかしくない。
海中に埋没したピラミッド型遺跡があってもおかしくない。
遙か未来の世界にピラミッドが残っていてもおかしくない。
赤穂浪士が雪の深夜に吉良邸に討ち入りしたところ
そこにピラミッドがあっても、
いや、それはさすがに、おかしゅうござる。
ものものども、であえであえ。
毎度話が進まんなあ。

ややほころびはあるものの、
ピラミッドというものはどこの世界にも
相性がいいのだということを説明したうえで、
本題に戻るとすると、
上に挙げたようなゲームのなかで、
ピラミッドは概ねその後半に登場した。

それはおそらく、
ピラミッドの持つパブリックイメージが作用したもので
やはりゲームにピラミッドが登場するからには
その内部は複雑な迷路となっていなければならぬ。
さまざまなトラップによって侵入者をこばみ、
最奥部には金銀財宝が眠っていなければならぬ。
しかるにそれは物語の序盤には重すぎ、
それゆえゲームにおいて後半に登場するのではあるまいか。

つまり、ピラミッドとは、いわば、
ロールプレイングゲームの後半を象徴するものであり、
それゆえ僕は『MOTHER2』にピラミッドを見て
物語の後半を意識したのではあるまいか。

いかがだろうか。
あまりに見事な論旨といえまいか。
まるでミステリーのクライマックスにおける
名探偵の謎解きのごとき説明に、
食堂にお集まりいただいた関係者のみなさんも
静まりかえっているのではあるまいか。

我ながら見事な仮説だったとひとりごち、
この有意義な日記を締めくくろうとしたのだが、
念のために挙げたゲームの内容を調べてみたところ、
なんと、『ドラクエIII』のピラミッドは
ゲームのすごく序盤に登場しているではないか!

したがって学会に発表すべきかと思われたこの仮説は、
タブロイド紙のいんちきコラムと成り下がったのである。

ていうか、マジかよ、『ドラクエIII』。
あれって、けっこう後半だと思ってたのになあ。
ぼやきながら、むにゃむにゃと日記を終わる。

このページへの激励や感想などは、
メールの表題に「ポケットに『MOTHER』。」と書いて
postman@1101.comに送ってください。

2003-08-19-TUE


戻る